NHK朝の連ドラ「あさが来た」が終わってしまいました。このドラマまで明治維新による激動の大阪にヒロイン朝のモデル広岡浅子のような人物がいたとは恥ずかしな
がら、知りませんでした。
最初はなんとなくいつものお転婆な娘の立志伝くらいにしかとらえていなかったのです。一貫してドラマには温かな空気、家族愛が流れていて封建的社会の中でいろん
な壁を乗り越えて社会に新しい風を送った一人の女性に拍手を送っていました。だからこそ高視聴率になったのでしょう。
波乱万丈の人生を送った広岡浅子。九転十起を信条としていた浅子。彼女は京都の豪商、三井家の四女として生まれました。
豪商の娘としての素養を学びましたが当時女性には必要ないとされた学問にも興味を持った変わった少女だったとか。学問をきちんとしていないというコンプレックス
がずっとあったようでここぞという時の写真には必ず本を手にしてるのです。
経営難に陥った加島屋の家業を手伝うことから始まり、炭鉱事業にも乗り出し、多くの挫折と失敗を繰り返しながらも夫信五郎に支えられながら突き進みます。
明治21年には加島銀行を設立。翌年には紡績業。明治35年には生命保険業。当代一の女性実業家となるのです。
自身が学問を売ることを許されなかった浅子は、女子教育の必要性を訴え、明治34年実家の三井家の土地を寄付してもらい女子大学設立に奔走しました。日本女子
大学です。
これだけのことを明治の時代に女性が成し遂げたエネルギーや抵抗勢力は想像を絶するものでしょう。彼女のバイタリティにエールです。これだけことをやりぬけたの
は浅子自身の不屈の精神もあるでしょうが夫信五郎の理解が深かったこともあるでしょう。ドラマでは夫役白岡新次郎を玉木宏が好演されていました。ドラマの始めで
は新次郎は単なるボンボンとしてしか描かれてなかったと思いますが次第にその存在感が増していきましたね。ゆったりとしていて温かな包容力。(船場言葉の柔らかさ
も影響してる)空気を読んでその場を和ませる。娘の前では決して母親を非難しない。かえって誉める。なんて理想的なダンナサマ♡「あんなダンナサマがほし
いーっ。」と多くの世の女性は思ったでしょう。最終回の前日、進次郎が息を引き取ったときは新次郎ラブな女性の視聴者は涙涙で、せっかく朝したばかりのメーク
が崩れて困った、とネット上で話題だったようです。
現代では大学を出るまでは当たり前に女性も勉強ができてほとんど差別を受けることがありませんが社会に出ると突然何かしらの困難の壁が立ちはだかります。
政府が「すべての女性が輝ける社会に」としきりに訴えています。しかし簡単にはそうみんな輝けません。でも声を上げなければいけません。
医療介護の世界も女性が圧倒的に多い社会です。彼女らの力なしには日本の未来はないといっても過言ではありません。
浅子が今の時代を見たらなんていうのでしょうか。「びっくりぽん」でしょうか?
余談ですが、浅子がのちに別荘に向学心のある女性を招いて開いた勉強会にはあの村岡花子も参加していたとのこと!覚えていらっしゃいますか。そうです、「花子と
アン」のヒロインです。歴史の面白さですね。
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