カトリック藤が丘教会青年会有志ブログ

カトリック藤が丘教会は横浜教区にあります。開かれた教会を目指してブログを公開中。信徒活動停止処分の解除を待ち望んでます。

愛するみ心

2005-09-25 23:57:12 | イエスのみ心の聖時間
 み心はすすんでわたしのために自分の大切な命を捧げられました。わたしはみ心に何を捧げているのでしょうか。
 今わたしがこの世に生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を捧げられた、神の子に対する信仰によって生きているのです。
(ガラテヤ 2.20)

新たになるように

2005-09-25 23:56:00 | イエスのみ心の聖時間
 かって、み心の力によって、大勢の人がいやされました。今、み心は、愛の力によって、世界の人々の心が新たになるように、働き続けておられます。
 群衆は皆、イエスに触れようとひしめきあっていた。それは、すべての者をいやす力がイエスから出ていたからである。
(ルカ 6.19)

拒むことを知らないみ心

2005-09-25 23:53:59 | イエスのみ心の聖時間
 み心に何かを願うときに、必ず与えられるという約束を思い出しましょう。わたしたちに対するみ心の愛がそうさせるのです。
 求めなさい。そうすれば、与えられるであろう。探しなさい。そうすれば見つけるであろう。たたきなさい。そうすれば、開かれるであろう。
(マタイ 7.7)

み心に喜びを

2005-09-25 23:52:28 | イエスのみ心の聖時間
 み心を喜ばせることができるでしょうか。それは、み心の姿に近づこうと努力するときでしょうか、それともみ心の愛を受け入れるときでしょうか。み心を喜ばせたいものです。
 わたしを愛する人は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身を現わそう。
(ヨハネ 14.21)

誠実なみ心

2005-09-25 23:51:16 | イエスのみ心の聖時間
 み心は弱いわたしを、変わらない愛でいつも見守ってくださいます。わたしもみ心の期待に忠実に応えたいものです。
 われらの主キリスト・イエスにおいて現われた神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。
(ロマ 8.39)

最高の祝福

2005-09-25 23:48:14 | イエスのみ心の聖時間
 自分自身のすべてをみ心に奉献すると、地上をはるかに超えた幸福感を味わうことができます。
 わたしの喜びがあなたたちにあり、あなたたちの心が喜びに満たさ
れますように。
(ヨハネ 15.11)

避難場

2005-09-25 23:45:51 | イエスのみ心の聖時間
 わたしたちは、理解が必要な時、力を貸してほしい時に、暖かく迎えてくださるみ心のところに避難すれば良いのです。心を開いて話し、み心の励ましや支えを期待できるのです。
 わたしは世の終りまで、いつもあなたたちとともにいる。
(マタイ 28.20)

ご聖体におられるみ心

2005-09-25 23:44:04 | イエスのみ心の聖時間
 ご聖体を通して、復活され、栄光に満たされたキリストのおん体をいただくとき、愛と慈しみにあふれるみ心の精神もいただきます。ご聖体によって、愛するための新しい力を期待することができます。
 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしに留まり、わたしもその人に留まる。
(ヨハネ 6.56)

開かれたみ心

2005-09-25 23:40:15 | イエスのみ心の聖時間
 わたしも、み心の愛の泉から飲み、皆のために生き、皆を受け入れる開かれた心を求めて祈ります。
 渇く者はわたしのもとに来て、飲みなさい。その中から生ける水の川が豊かに流れ出るであろう。
(ヨハネ 7.37-38)

すべてを受け入れる

2005-09-25 23:39:09 | イエスのみ心の聖時間
 み心は、楽しいことも、つらいことも、おん父の恵みとして受け入れ、すべてに感謝されました。わたしたにも、み心のような心が与えられますよう、力をください。
 わたしはキリストとともに十字架に付けられました。今わたしがこの世に生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を捧げられた、神の子に対する信仰によって生きているのです。
(ガラテア 2.19-20)

ともに担う十字架

2005-09-25 23:36:43 | イエスのみ心の聖時間
 苦しいこと、いやなことが起こるたびに、み心とともに救いの十字架を担うように、み心から招かれています。
 わたしの後に従いたい者は、己を捨て、日々、自分の十字架をになって、わたしに従いなさい。
(ルカ 9.23)

突き刺されたみ心

2005-09-25 23:35:32 | イエスのみ心の聖時間
 突き刺されたみ心を観るとき、苦しみの価値がわかるでしょう。そして、自分の苦しみをも世の救いのために捧げることができるでしょう。
 彼らは自分たちが突き刺したものを仰ぎ見るであろう。
(ヨハネ 19.37)