聖歌隊の方からご紹介を受けた映画をお知らせいたします。
「約束の旅路」(岩波ホール http://www.iwanami-hall.com)
家族を失い、母と二人、歩いてスーダンの難民キャンプにたどり着いた九歳のエチオピア人少年。母は少年に命じた。生き延びるためにユダヤ人と偽って、ひとりイスラエルへ脱出するようにと。母と別れ、故郷から遠く離れて、真実の名前を隠して生きる新しい地。そこで少年は愛情豊かな養父母に出会うが、別れた母とアフリカの大地への思いは抑えがたく、肌の色や宗教による壁、そしてユダヤ人だと偽り続けることに激しく葛藤する。やがて彼は成長し恋もしるが、故郷アフリカの窮状を知り、医師を志してパリへ向かう...
とてもよかったそうで、わざわざパンフレットを郵送してくださいました。皆さんもよかったら鑑賞しにいってください。
「約束の旅路」(岩波ホール http://www.iwanami-hall.com)
家族を失い、母と二人、歩いてスーダンの難民キャンプにたどり着いた九歳のエチオピア人少年。母は少年に命じた。生き延びるためにユダヤ人と偽って、ひとりイスラエルへ脱出するようにと。母と別れ、故郷から遠く離れて、真実の名前を隠して生きる新しい地。そこで少年は愛情豊かな養父母に出会うが、別れた母とアフリカの大地への思いは抑えがたく、肌の色や宗教による壁、そしてユダヤ人だと偽り続けることに激しく葛藤する。やがて彼は成長し恋もしるが、故郷アフリカの窮状を知り、医師を志してパリへ向かう...
とてもよかったそうで、わざわざパンフレットを郵送してくださいました。皆さんもよかったら鑑賞しにいってください。
サンパウロ出版の「カトリックとプロテスタント どのように違うか」著:ホセ・ヨンパルトをご紹介します。
ひょんなことを切っ掛けに、「私はcatholicです」と自己紹介する機会が私には多々あるのですが、大抵聞かれるのは次のような事です。
「カトリック?クリスチャンという事ですか?」
キリスト教徒というのは日本国内において非常に少ないため、興味を持ってさらに詳しく聞いてくる方も居ます。
「プロテスタントとは違うんですか?」
こう聞かれてきちんと説明できなくて悔しかった方(私もそうでした)にこの本をお薦めします。自分たちの信じているものをちゃんと皆に説明できるようになれば微力ながらも布教に貢献できるのではないでしょうか。もっとも「宗教は広める者ではなく、広まるものである」という意見もありますが。
この本の著者は哲学と神学の修士号を持っておられるせいか、キリスト教内の対比のみならず、キリスト教と他の思想(資本主義思想・共産主義思想等)をも対比させながら非常にわかりやすく本題のカトリックとプロテスタントの共通点・相違点を説明しております。若干カトリックの味方すぎるきらいがあり、現代のプロテスタントの多様な側面には深く触れていませんが、信者では無い方に二者の違いを説明できる知識は十分手に入れられると思います。
この本を読んで、さっそく身近な未信者の方に二者の相違点・共通点を説明をしてみるのもいいと思います。いつか「私はcatholicです」と自己紹介する機会がくるときの予行演習として。
ひょんなことを切っ掛けに、「私はcatholicです」と自己紹介する機会が私には多々あるのですが、大抵聞かれるのは次のような事です。
「カトリック?クリスチャンという事ですか?」
キリスト教徒というのは日本国内において非常に少ないため、興味を持ってさらに詳しく聞いてくる方も居ます。
「プロテスタントとは違うんですか?」
こう聞かれてきちんと説明できなくて悔しかった方(私もそうでした)にこの本をお薦めします。自分たちの信じているものをちゃんと皆に説明できるようになれば微力ながらも布教に貢献できるのではないでしょうか。もっとも「宗教は広める者ではなく、広まるものである」という意見もありますが。
この本の著者は哲学と神学の修士号を持っておられるせいか、キリスト教内の対比のみならず、キリスト教と他の思想(資本主義思想・共産主義思想等)をも対比させながら非常にわかりやすく本題のカトリックとプロテスタントの共通点・相違点を説明しております。若干カトリックの味方すぎるきらいがあり、現代のプロテスタントの多様な側面には深く触れていませんが、信者では無い方に二者の違いを説明できる知識は十分手に入れられると思います。
この本を読んで、さっそく身近な未信者の方に二者の相違点・共通点を説明をしてみるのもいいと思います。いつか「私はcatholicです」と自己紹介する機会がくるときの予行演習として。
「キリスト教の本 (上・下)」をご紹介します。この本はキリスト教についての入門書として大変わかりやすく作られています。が、どちらかと言いますと歴史的観点から書かれておりますので、教会の勉強会等では勧められない本の類でしょう(たいていのカトリック教会内ではキリスト教を疑いの心なく信じることを良しとされてますので)。
この本は改めてキリスト教について、史実として勉強しなおしたい方にお勧めします。色々な考えがありますが、私は「信じる」ということと「盲信する」ということは違うと考えてます。「盲信する」ということは自分自身で考えることを放棄することであり、私たちがそうすることを創造主が望んでいたとは思えないのです(神学的には私の考えは罪深いのかもしれません)。「我思う故に我あり」「人間は考える葦である」等の言葉に代表されるように、自ら考える力があるからこそ、人は人であると私は思っています。「自分は何を信じていて、どのように向かっているのか?」とチェックしたいと思った方にこそ読んでいただきたい本です。
「なぜ十戒などのことに従わなければならないのか?」「誰が罪を定めたのか?」「神父や司教の意向に従わないことは不従順に当たるのか?」「”貧しい人々に愛の手を”と壇上から述べている神父が結構羽振りがいいのはなぜだ?」等の疑問は信者といえども誰でも持つものだと思います(ちなみに私は最近しょっちゅう思ってます)。
そういう疑問が浮かんだ際に、「まぁ世の中はそういうものだし、教会やキリスト教においても同様だろう」と済ませるのはあまりにも悲しいことですし、「今の考えは罪深いっ!」と思考停止状態に自分を陥らせるのは少しこわいとも感じます。
たまには自分の信じている教えを外側から眺めてみることも、信仰を深めるには必要なのではないでしょうか。史実としてキリスト教を眺めなおし、少し冷静になったのちに改めてイエスさまについて行くのを選ぶ。この過程を繰り返してゆくことで人間的に成長してゆくのではないでしょうか。
注:写真は本文とは関係がありません。
この本は改めてキリスト教について、史実として勉強しなおしたい方にお勧めします。色々な考えがありますが、私は「信じる」ということと「盲信する」ということは違うと考えてます。「盲信する」ということは自分自身で考えることを放棄することであり、私たちがそうすることを創造主が望んでいたとは思えないのです(神学的には私の考えは罪深いのかもしれません)。「我思う故に我あり」「人間は考える葦である」等の言葉に代表されるように、自ら考える力があるからこそ、人は人であると私は思っています。「自分は何を信じていて、どのように向かっているのか?」とチェックしたいと思った方にこそ読んでいただきたい本です。
「なぜ十戒などのことに従わなければならないのか?」「誰が罪を定めたのか?」「神父や司教の意向に従わないことは不従順に当たるのか?」「”貧しい人々に愛の手を”と壇上から述べている神父が結構羽振りがいいのはなぜだ?」等の疑問は信者といえども誰でも持つものだと思います(ちなみに私は最近しょっちゅう思ってます)。
そういう疑問が浮かんだ際に、「まぁ世の中はそういうものだし、教会やキリスト教においても同様だろう」と済ませるのはあまりにも悲しいことですし、「今の考えは罪深いっ!」と思考停止状態に自分を陥らせるのは少しこわいとも感じます。
たまには自分の信じている教えを外側から眺めてみることも、信仰を深めるには必要なのではないでしょうか。史実としてキリスト教を眺めなおし、少し冷静になったのちに改めてイエスさまについて行くのを選ぶ。この過程を繰り返してゆくことで人間的に成長してゆくのではないでしょうか。
注:写真は本文とは関係がありません。