残月録

残月がやがて消えていく間にも、私の日常生活の中に何か一瞬の輝きを求めて写真を撮っています.

ワクチンはヒトが作った宝物

2021-07-04 17:23:42 | 日記

赤べこは魔除け、疫病除けのお守りで有名な郷土玩具ですが、
胴体に描かれている黒い丸は 天然痘(疱瘡、あばた)を表しています。 

天然痘において一度かかった人は二度と
かからないことを古代のインド人やペルシャ人は経験上、
このことを知っていました。
それにより天然痘の予防のため、ヒトの天然痘の膿を健康な人に接種していました。
ヒトの膿(抗原)を直接接種するのでこれを後に人痘接種と名付けました。
これがワクチン療法の始まりです。


        天然痘(出展:Wikipedia)
この人痘接種をヨーロッパに広げたのはトルコ駐在のイギリス大使夫人
メアリ・モンタギュー夫人です。
夫人はトルコで経験した人痘接種を4歳になる我が子に受けさせ、
更に夫人は国王侍医の前でやはり3歳になる我が娘にも人痘接種を受けさせました。
そして皇太子を説得し王立病院でその娘たちにも受けさせました。このことにより
人痘接種はヨーロッパに全土に広がりました。時に1710年代のことです。
コッホにより細菌が発見されるより100年以前のことです。


トルコ服を身にまとったメアリ・モンタギュー夫人
(出展:疫病の時代.大修館書店)

他方、イギリスの開業医エドワード・ジェンナーは近隣の乳しぼりの女から
「自分は牛痘にかかったから天然痘にかからない」と聞き
人痘接種に変わり、牛痘接種法を確立しました。以降、牛痘接種法は世界にひろまりました。

 エドワード・ジェンナーが孤児に接種している図
(出展:Wikipedia)

我が国にも天然痘の流行が「続日本記」(天平7年)の記録に
残っていて古くからあったようです。
日本は鎖国のため、ジェンナーの牛痘接種法が伝えられるのは
それから遅れること50年後です。
寛政七年、我が国で最初の天然痘に関する書を
緒方春朔が「種痘必順弁」として上梓しています。


 緒方春朔 (出展:疫病の時代.大修館書店)



現在では天然痘は撲滅しています。
コロナおそるるに足らず。今週はワクチン受けに行こう。
申し込むのが遅くてトホホの週です。



水無月

2021-07-01 10:52:29 | 日記


京都では6月30日に水無月を食べます。
水無月の無は文語体の(の)にあたり
水の月で、田に水を引くことからきています。
和菓子さんによれば和菓子の水無月は
6月24日~30日に売り出すそうです。
本体は”白いういろ”でその上に厄除けのため、
丹波の小豆が載せてあります。三角の形をしているのは
カチ割った氷の冷たさを表しています。何故カチ割った氷かと申しますと
日本書紀によれば、昔は冬の氷を氷室に保存しておいて、夏場に割って使ったからで、
京都の西賀茂に”氷室町”として地名が残っています。
6月30日に食べるのはこの日に”夏越祓(なごしのはらえ)”という神事が
行われます。前半の半年の穢れを払い、後半の半年の無病息災を祈ります。

それでは私も無病息災を願って”頂きます”。












京都では6月30日に水無月を食します。