Even 言い分

風の向くまま、気の向くままに、今日は何を書こうかな~。

歴史なカンモン(その2)

2009年07月31日 | 旅行記
嗚呼、壇ノ浦。。。

周遊バスが次に向かった先は「みもすそ川公園」でございます。

関門海峡=壇ノ浦といえば、源平合戦で平家が滅ぼされた地として有名ですよね♪
公園名の「みもすそ川」の由来ですが、源平合戦の終焉の際に平家の二位の尼辞世が詠んだ「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」という歌だそうですわ。

こちらの公園で、まず目を惹くのが「長州砲」のレプリカです。


幕末、攘夷運動の中心となっていた長州藩は日本海と瀬戸内海を結ぶ海運の要衝であるこの地に砲台を築きました。
1863年5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回に渡り砲撃。
その結果、翌年6月にアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊が報復のため下関にやって来て、長州藩は敗れてしまいました。

長州砲の他に目を惹くのが、こちらの像です。
【平知盛】


平知盛は平清盛の四男。
兄の重盛、宗盛は後白河院に対して優柔不断であったため、清盛は知盛に期待を寄せていたんだとか。
知盛は壇ノ浦の戦いで海に身を投げ、自害しました。
入水後、浮かび上がってさらし物になる辱めを受けるのを避けるため、碇を担いで海に身を投げたと伝えられています。

【源義経】


壇ノ浦の戦いは初め、潮が東に流れるのを待ってうまく源氏方の船に近づいた平家が源氏を圧倒していました。
しかし、義経が船頭を弓矢で射殺すという軍略を取り、平家の船は動きを失ってしまい、形勢が逆転したのです。
当時、船頭は攻撃しないというのが暗黙のルールだったそうですよ。
ですから、義経の取った策はある意味、卑怯と言えるかも。。。

【明日へつづく】

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
その時歴史が動いた!! (あっきー)
2009-08-01 18:04:46
関門海峡、確かに歴史の鍵を握る場所ですね~
わたしもレプリカとか像を生でみて、感じたいです。

モノで歴史を語っているのでしょうけれど
その地にはたくさんの人々のキモチがつまっているはず。

たとえば戦で流した汗や血、その家族や恋人の涙、
わたしたちの見ることはできないいろんな想いの上に
その地は続いているんですものね。
返信する
Unknown (あっきーさんへ(INAMI))
2009-08-02 18:37:05
関門海峡って、歴史上の大きな出来事の舞台に数多くなっているんですよね~。
歴史好きなあっきーさんでしたら、きっと満足できる場所だと思います

歴史上の有名人達の様々な思いが交錯しながら今があると思うと観光に奥深さが生まれますよね。。。
返信する

コメントを投稿