日常~社会人編~

いつの間にか大人に。
その時思ったことを綴る。言葉にする。

個々がナニを望むのか。

2022-02-28 13:30:00 | つぶやき

ニュースを見るのが最近嫌でTVを付ける時間も以前より減った気がします。

それでもSNSやネットを見れば情報は自然と入ってくる。

 

日々状況が悪化している。そんな気がしてなりません。

コロナで死者が国内でも増え続けているのも苦しいな…と感じながら、

自分たちにできることはできるだけ蔓延させる側に回らないことかという意識でした。

 

けど今はどうすることもできず、ただ祈るばかりです。

どうか争いが一刻も早くなくなりますようにと。

 

 

やっぱり知っておかなければならないことだとも思うから情報を入れるために

ニュースも気が重い中見るようにしたり、様々な人の見解をみたりはしています。(以前よりは回数少なめですが)

 

多くの人は戦争を望まないと声を上げているのを見ます。

ただ日本の国内の声では憲法の改正や核保持に関する問題を取り上げているものも多くなってきている。

もちろん私も選挙の時期やそういう話を見かけた時はできるだけ自分で考えるようにはしていました。

 

今は特に一人一人が考えるべき問題なのかなと感じます。

 

憲法を変えるにしろ今は国民投票があります。

国民に承認してもらって改正、変更が可能になります。(詳しくはご自身で調べてみてね)

 

その時何も考えず皆がこういうからという答えで投票して、自分の判断が戦争を招きかねないことになるということをしっかりと考えるべきです。

もちろんそうなることを望んでいるのならそちらに投票していただくのも間違いではありません。

それも個々の判断であり、自由ですから。

 

ただ、今回のウクライナとロシアの問題によってまた戦争について様々な意見や情報が出てきてしまった。今だからこそ個々が考えるべきだと感じます。

戦争が今後起きるにしろ起きないにしろ、各国が武力を持っている以上その国の国民として考えるべきだと思います。

結局日本も自衛の為とは言え武器を持てる自衛隊というものが存在しますから。

それを武力と呼ぶか呼ばないかも個々で考えてみてもいいかもしれませんね。私も考えます。

 

守るための戦いであったり、攻め込む場合の戦い…様々な戦いには理由がある…。

それがどんな理由かはわかりません。いえ、戦争になれば最終的に理由なんてどうでもいいのかもしれない。

武器を持ってしまって、相手を傷つければそれが最初で最後だと思います。

始まってしまえば、終わりがどうなるかも考えてみるといいかもしれませんね。

 

こちらは守る為であったと主張したところで、そんなつもりはなかったのに向こうが一方的に攻撃してきたといえば

どちらを周りや第三者が信じるかは、結局のところ今までの関係であったり問題であったりで決まってくると思います。

平和を望んでいるという主張だけでは相手は納得しません。あちらも平和を望んでいるそれでも武器を選んだ。

 

どちらが?誰が?

 

かといって国民一人一人の意見がどういうという話ではないのです。

国民全員が武器を持ちたくないと叫んだところで、日本の選挙で選ばれて私たち国民が選んで政治家になった人が

"武器を持て"と言えば私たちは持つしかなくなります。

 

日本では選挙で私たちが選んだ人たちがこの国の行く末を握っているということですね。

 

 

お国の為に戦死することが名誉なことだと考える方もいる。

国の為に自分の命を捨ているのは嫌だと思う人もいる。

様々な考えや思いを持っている人がいる。居て当然だと思います。

どちらが正しい答えというわけではない。それがその人の想いや考え方だから。

それを塗り替えるというのはまぁ難しい…けどまぁ今までの歴史を見ても始まってしまえば"嫌だ"と言う意見は通らなくなりますね。

その時になって焦っても後の祭りと言った感じでしょうか。

 

自分が正しいからと自分の主張で他者の命まで巻き込むことだってあることを忘れてはならないと思います。

 

あくまでどんな判断であれ個人の自由です。相手が間違いであることはない。ただ貴方が正しいわけでもない。

他人を巻き込むような情報の流し方や拡散をすべきではないと感じます。

ただ、それを信じるか信じないかも個々の自由なのでね。

ただすぐにそれを拡散するんじゃなくて間違いじゃないかな?と答え合わせをするのもいいかもしれませんね。

 

これは戦争関係なく、普段の出来事でも同じだと思います。

根拠もなく人の悪いことを言いふらしたり、間違った情報なのにそれをあたかもあったかのように話してしまったり…

それは…された側はたまったもんじゃないですよね…(-_-;)

疑われるようなことをするのが悪いともいうかもしれませんが、それを言いふらすことを正当化する理由にしかならないので

私はあまり好きではありませんね。よくないことだと感じます。

 

色々なことを含めて、今後もっと一人一人が自分の意思で自分の考えで動くことを願います。

 

 

 

 

 

私はやはり争いはしたくなと思うタイプなので、そういった視点の記事なりました。

7年前かな…?に作られたこのアニメーションが今になってまた話題になっていることを知りました。

自衛隊を悪く描いているなど様々な意見はあります。

 

OGPイメージ

「戦争のつくりかた」アニメーションプロジェクト-What Happens Before War?-

みなさま、『戦争のつくりかた』という絵本は知っていますか? Hello all, Are you familiar with a book...

youtube#video

 

 

ただ作品を見て自分がどう感じるかをまず考えてから、様々な人の意見を見るのとではまた変わってくると思います。

自分の意見を持つということはとても難しいことですね。

それでも考えて考えて悩んで悩んで人は生きていくと思うので…。

私も嫌だし苦しい…けど悩んでいきましょう。考えていきましょう。


今私にできることは。

2022-02-25 23:40:00 | つぶやき

自分が生きているうちで戦争行為を見るとは思っていなかった。

教科書に載っていること。それだけで十分だった。

 

どこか私も戦争なんて起きないだろうと思っていたのかもしれない。

平和ボケ。

そんな言葉をよくみる。確かにその通りだとは思う。

 

仕方ないじゃないか。平和な国で平和に暮らしてきたのだ。

戦争なんて血を流すことなんて望んでいないし考えたこともない。

自分が争いに加担するそうなことはしたくないと…思ってはいけないのだろうか?

平和を…望んではいけないのだろうか…と悶々と考えてしまう。

 

 

今回の争いの中でも平和のための争いだという。

平和のための争いとは何なのだろうか。

敵と判断したものをすべて排除していくことだろうか?

 

傷つけたくない。けど武器を持っているから自分を守るためにこちらも武器をもって対抗する。

力には力で対抗する。だから暴力や武力は正統だということだろうか?

そんなことでは平和なんてものはやってこないのではないだろうか…?

 

平和を世界は望んでいないのだろうか。

誰も傷つけたくないし傷ついてほしくないと思ってはいけないのだろうか。

 

平和ボケといわれたからには脱却したいとも思った。

けど平和ボケの逆とは何なのか。調べてはみたものの良い答えが見つからなかった。

 

ネットで検索してみて大体たどり着くのは

政府や官僚の方々の平和ボケはあってはならない。日本の危機に敏感に立ち回る必要がある。

その政府の下で暮らす国民はそういった危機感を感じず生きていく、そういう国家が平和の象徴であり理想。

 

といった感じの内容でした。(私の言葉で書いています。)

 

国が動くとなれば国民一人一人の声というより代表の声が一番重要ですからね、そりゃそうだ。

私たちがいくら考えて叫んだところで最終的に世界に対して発言するのは総理大臣。日本政府。

 

今後世界は目まぐるしく動くしもしかしたら日本だって危ない場面が来るかもしれない。

また原爆が落とされないという確信はないし、ミサイルが雨のように降るかもしれないし。

 

今ニュースで起きていることが日本で起きないためにも、今の日本政府がどう国民を

この国を守ってくれるのか。自分が生きている間はしっかり見ていこうと思います。

 

そして戦争は反対だと声に出し、現在ウクライナで暮らしている方々そして戦闘に参加せざるおえなくなったロシアの方々も

どうか、愛する人のところに無事に帰れることを願っています。

 

今私にできることは、そんなことぐらいしかできない。

 


五つの輪

2022-02-05 12:00:00 | つぶやき

冬季五輪が始まりましたね。

めちゃくちゃ個人的な意見ですが…こんなことをしている場合なのか?と感じてなりません😇

東京オリンピックの時も同じような感じでした笑

 

東京五輪に関してはいつの間にか終わってましたね笑

 

 

選手の方々には罪はないし、頑張ってほしいとは思います。

ただオリンピック自体のその金メダルに、表彰にそれほどの価値があるのか…?と思えるようになりました。

 

 

私は小、中、高とソフトボールをしていました。

私が小学生の時ソフトボールがオリンピックで優勝したときの光景をいまだに覚えているし感動しました。

私がソフトボールをするきっかけにしてくれたものです。

 

オリンピックは子供たちに夢を与えてくれるものではあったと思います。

 

スポーツは、少しでもハマってやったことがある人ならわかると思いますが、プロやアマチュアは関係なく

チームでやるものならどんなに嫌いな人がいてもスポーツの中で共に協力してぶつかり合いながらも共に頑張れる協調性であったり、

個人競技なら自分を超え続ける気持ちを持ち続け、一人で戦い続ける忍耐力など…

そのつらいことすらも楽しみに変えてくれるものがスポーツや芸術、文化などなんじゃないかなと個人的に思っています。

 

 

しかし去年、一昨年はコロナウイルスで各学校では体育祭や文化祭、その他行事も中止になり思い出も作れなかった子供たちが多い中…

オリンピックが開催され、主に大人たちが盛り上がり…未来への希望という感じでもなく盛り上がりが欠けるものになったように思えます。

せっかくやるのならよいものにしてほしかったなぁっていう思いがあったので…

 

その瞬間から、あぁこの行事は得をする人たちの為にするものだったんだな…と大人になって気づかされたように思えます。

大人になったから見方が変わってしまったのか、それとも今の時期だからなのかはわかりませんが…

 

 

そして今回の冬季五輪には"ボイコット"が色んな国で行われている。

主に新疆ウイグル自治区やチベット、香港の人たちに対する人権問題ですよね。

 

まぁ日本でも外国人労働者に対してや、歴史を振り返ればどの口が言ってんだ!と他国から言われてもおかしくはないんですよね😂

アメリカでも黒人差別が解決どころが、最近ではアジア人の差別まで広がっているのにボイコットか…と思ってしまいました…

 

けど、人権問題に大きいも小さいも関係はないのは確かです。

人が人として生きているうえで保障されている権利が"人権"なので、死んでしまえば人権なんてものはほぼ存在がないようなもの。

 

ただそれを言い出すと言葉をしゃべれない猫や犬などの人ではない動物、ペットには権利はないのはなぜなのだろうとも思えてきます。

人の言葉をしゃべれないから人の都合で増やし、殺しを繰り返している。

人間とは改めて考えると考える力をもって、数が多いだけで非人道的と呼ばれるものを繰り返しているのに

自分たちは自分たちのルールの中で安全に生きようとする卑怯な生き物なのかもしれませんね…

 

じゃあ動物園に居るサルが飼育員さんと人の言葉を交わし自分も人だと言い始めたなら、サルは人とされるのか。

同じ目や鼻、腕、脚、指…備えているサルでも見た目がサルだと人が決めてしまえばサルには人権は適応されないのか…。

人同士でもあいつは人じゃないから人権なんかないとルールで決めたり言葉にすれば人ではなくなるのでしょうか…?

 

そんなことを考えてしまいます。

 

おっと話がそれてしまいました。悪い癖😮

 

 

人権問題については様々な意見やニュースが飛び交っていますね。

海外や日本でのメディアでは"ジェノサイド"が行われていると言われて、被害にあった人たちが被害を訴えている。(なぜ無事なんだと思いますがね…)

しかし日本にするウイグル族の人の所にはウイグル自治区で暮らす家族から平和で快適な日々を過ごしていると連絡が来たり

ウイグル自治区の幸せな光景がメディアによって公開されている…

 

海外と中国の主張は食い違いがでてきます。

ただそれは当たり前のことだとも感じます。(嘘か本当かは別の話で)

 

 

どんな物事でも、見ているとか聞いている、その当事者であっても感じ方はそれぞれだと思います。

同じものを見ていても同じ回答が得られることは人間の場合まず少ない。個々で"主観"というものは違いますから。

つまり、どちらの主張も"真実"なのでしょう。

 

しかし、幸せに生きている人たちがいる中で苦しんでいる人たちもいるということが"事実"としてある。

 

一昨年のブログで私は"性の暴力"という記事を書いていました。

性被害を訴える女性の番組を見た感想というかそういうものです。↓

https://blog.goo.ne.jp/free_one11/e/50debfb174f3e541dfb5fac4334cf414

 

働きたい。けど怖くて辛くて、自分がしたいこともできなくて。
それなのに加害者は前に進み普通に生活を送っている。
それが悔しくて悔しくて仕方がない。

この苦しみが嘘だと言うのか。

誰にも話せないことを勇気を出して嘘までついて喋ろうと思うのか?

お金も苦しくて、けど体がいうことを聞かなくて働けないこの現実が。


嘘だというのか。

 

ウイグル人の人で人権を侵害されたと訴える人も同じような気がします。

アメリカから金をもらって言わされているという人もいる。

CG技術が発達したこの世の中だからすべて映像は捏造だという人も。

 

多分すべての事実を知っているのは神様ぐらいかもしれません。

人同士が言い合ってもキリがない。

 

"事実"がある以上、それを否定することは嘘をつくということになると思います。

 

 

ただ今の世の中嘘をついたところでデメリットはまるでない。

なんなら今の世の中事実を告げた方がデメリットになるケースが多いと思います。

嘘を貫いても批判されたところで一時のこと、人は忘れる生き物なのでその場さえり過ごしてしまえばなんてことはない。

 

ルールもまた人が決めたものなのですよね…本来ルールとは自分たちを守る為にあるものだと思いますが…

最近ではそのルールを利用して悪を消し去るためのモノのように思えてきます。

 

平等や平和については一人一人が人の世を生きるのであれは人として生まれたなら考えるべきなのかなぁと思いつつ

そんな大層なことよりも、一人一人が幸せに生きていけるのならそれでいいんじゃないかとも思います。

 

ボイコットを行い多くの人が声を上げていますが、声を上げる人たちは自分の幸せの為にも声を上げているのだと思います。

日本に住むウイグル族の人たちは家族と連絡が取れない、どういう状況かわからないのに自分の幸せを感じることなんてできないでしょう。

国に帰れと言葉をかける人もいるでしょうが、それもそれで自分の幸せではないのでしょう。

どこに住み生きていくのも人一人一人の自由であり、幸せの在り方だと思いますから。

 

 

自分の幸せの為に障害があるのなら声を上げて変えたいと願う。

その行為自体悪いことだと思わないし、生きていくうえで当たり前のことだと思います。

 

そして五輪に出場する選手もまたいろんな思いで挑んでいると思います。

それが彼ら一人一人にとっての幸せの1つであるのなら頑張ってほしいと思います。

 

ただ応援するかしないかも個人の自由ですね。

こんな哲学的なことを考える20代前半最後の冬です😇