goo blog サービス終了のお知らせ 

非力なエンジン改造日記2

This is my life after 50 years old
No one can stop me

Mar. 9th__筋トレ前に牛丼食べたくなって

2025-03-09 21:16:05 | Weight Training

週末の朝飯は割と質素に済ませることが多いけど、たまーに無性に牛丼とサラダ

セットが食べたくなる。筋トレに行く途中のすき家で牛丼並+サラダセット+

いつものマシマシ紅ショウガ。いつの日からか、紅ショウガが大好物になった。

ちなみに紅ショウガには疲労回復効果があるらしい。

 

牛丼並盛りのサラダセットで650円。金額的にもそうだけど、最近ちょっと思う

のが、ちょっと量が多いなと(特に筋トレ前)。今日は悩んだ挙げ句に結局並盛り

にしてしまったけど、次回は1サイズ下の”牛丼ミニ”にしてみようかな。

ちなみに牛丼ミニ+サラダセットだと590円。

 

20代、30代のころは大盛りじゃ足りなくて特盛りなど注文していたが、やっぱり

年齢とともに食欲が低下していくって本当なんだな。。。

 


Mar. 2nd__はじめての仏壇店に行ってきた

2025-03-02 20:33:36 | Family

朝9時に出発して横浜の仏具店まで行ってきた。

葬儀からわずか1週間と慌ただしいが、四十九日法要までに仮の白木の位牌から

戒名を入れた本位牌を用意する必要があるのだ。準備に2週間程度必要とのこと。

一緒に行く父は、葬儀の前から痛めていた腰の診断の結果、腰部脊柱管狭窄症

で歩くのが厳しく、当日行けるか怪しくなっていたので事前に車椅子のレンタル

も頼んでおいた。

①仏壇・・・床置き/上置きタイプ、国産/海外木材、木材種類(色味)、

     無垢/厚貼り/薄貼り/木目シール、サイズ(号数)、内部の段数

②位牌・・・従来の黒色(黒檀)/モダン(花梨)、サイズ(寸)、台座形状、

     塗り回数、戒名書き/彫り

仏壇のサイズに合わせての位牌サイズ選び、先祖よりも背高の位牌には出来ない

という決まりがあるよう。自分を含めた将来を見据える必要がある。

③仏像/本尊・・・宗派に応じて。木材、細部彫刻で価格が大きく異なる。

④その他、仏具一式。

いろいろ選択肢が多くて、悩みに悩んで結局午前11時から午後14時半まで昼食

も取らずぶっ通しで仏具選びに費やした。 総額は当初50万弱になっていたが、

予算内に収めようと香炉や湯飲みなどの仏具セットを変更して40万弱に収めた。

明るい優しい色味の仏壇に女性らしい花梨の位牌できっと母にも喜んでもらえる

お仏壇セットになった、と思う。

 

ちなみに仏壇は英語で ”Buddhisit altar” 

Buddhist(名詞)仏教徒、(形)仏教の + altar(名詞)祭壇

似ているが、alter(動)(部分的に)変える、手直しする

      To alter one's plan 部分的に計画を手直しする と混同しがちだ。  


Mar. 1st__久しぶりにTarzanなんて買ってみた

2025-03-01 21:42:07 | Running

たまたま書店で見かけて1回skipしたものの悩んだ挙げ句に舞い戻って

買ってしまった。最近たまーに思うんだ「また走りたいな」って。

まだ確信にまでは変わらないけど、ジムのトレッド見るでは5分/kmペース

のちょっと苦しいモードまで上げて、再び苦しみに快感を感じ始めている。

筋トレで言うマッスルメモリーみたいに、心肺機能も超速で以前のability

まで復活できたら良いのだけど。

最後にガチで走ったのは2015年11月のつくばフルマラソンだった。

↑ここからおよそ10年のブランク、まさにこれを最後にマラソンへのモチベ

ーションはガタガタと崩れ落ちてガチランからは完全に足を洗い、代わり

に英語学習にシフトしていったのをよく覚えている。

 

まずは自分で自分を様子見してみる。新しいランニングウォッチとか、

新しいランニング用のウォークマンに手を出すようだったらかなり危険な

感じがする。もうしっかり大人になって、完璧を求めず適度なところで

折り合いをつけて英語との両立も出来るかもしれないし。

 


Feb. 24th__ジムまでジョグ往復7kmx2

2025-02-24 21:35:31 | Running

結局、忌引きからの3連休が続いて、トータルで11連休となった。

毎日慌ただしかったり凹んだり精神的にはかなりシンドイ。

明日から仕事なのでリハビリを兼ねて今日はジムまで片道7km

ジョグって、筋トレしてまた片道7kmジョグって戻ってきた。

 

もう三途の川は渡っただろうか。。履かせてあげた足袋が脱げて

ないと良いのだけど。。。

I wonder mom has already crossed Sanzu River. It would be nice that

mom's Tabi which I put her on wouldn't come off.

 

 


Feb. 22th__母の急変から旅立ち、見送りまで

2025-02-23 06:46:38 | Family

2月22日、いつもいつも一人息子の私を気に掛けてくれていた母を見送った。

いつかこの日が来ることは覚悟していたが、こんなにも突然その日はやって来るのだな。。。

 

2/12 21:00頃、父から定例の特養に入居する母のお見舞い報告をLINEで受ける。痰が絡んで辛

   そうだが、食欲はあり夕飯のことを看護師さんに聞いていたとのことだった。

2/13 朝08:30、父から電話。こんな時間に何かと思って受けたら、母が呼吸をしていないので、

   特養から病院に救急搬送するので病院に同行するという。

   朝09:20、再度父から電話あり「母さんダメだった、亡くなっちゃった」と。2年前に意識

   失った時のこともあり、今度も大丈夫だろうと考えていたので、突然のことで頭の理解が

   追いつかない。仕事を早退し急いで帰宅する。

   この日は春一番吹き荒れ、自分の住む地域はいたるところ記録的な砂嵐。車で急いで横浜

   に向う。強風の影響で途中の高速はあちこち事故渋滞。

 

   昼12:20、斎場に到着。病院で対面出来ると考えていたが、既に斎場で、棺の中の母と対面。

   とても穏やかな顔、亡くなったようには見えない。まだ現実として受け取れず涙も出ない。

   死亡診断書をそこで確認した”急性心不全”、食事途中に意識がなくなり特養自室のベッドに

   戻りAEDや救命措置が取られたがそれが最期だったとのこと。

 

   午後15時くらいまで葬儀の打ち合わせ。葬儀の様式(宗派)、棺の色、祭壇の花、遺影の

   写真、精進落としのメニュー、参列者の調整、、、、決めることが非常に多い。父と私、

   男2人で不慣れなことばかりだが、やるしか無い! 横浜市は火葬場が大変混み合っている

   とのことで、随分と先だが最短で2/22の葬儀と決まった。

   この日ばかりは父を一人にするのも心配で、横浜実家におよそ25年ぶりくらいに宿泊した。

 

2/21 16:00に斎場に向かう。この日は納棺式だった。映画 ”おくりびと” で見たシーンのよう。

   母にエンゼルメイクをしてあげて、旅立ちの装束を身につける手伝い。生前着ていた洋服

   を身体の上に掛けてあげて、愛用していた口紅を手元に。趣味の皮工芸で作ったバッグ、

   社交ダンスのシューズを足元に。好んで宿泊していた横浜や鎌倉のホテルの写真や風景を

   顔の周りに。最後に我々家族の匂いのするものということで、自分は汗の匂いが付いた

   ジョグTシャツを納めた。この日も横浜の実家に宿泊して明日に備える。

 

2/22 告別式当日。

   10:30に会場に向かい葬儀場の担当さんと事前の最終確認や、お布施を持ってお坊様へ挨拶。

   遠方から参列の親族が、式場の場所がわからないということで走って外まで迎えに行く。

   11:30から告別式開始、初七日法要のお経、お別れの儀へと続く。ここが母に触れられる最後

   の機会だったので、ほっぺを両手で触って

   「今まで本当に有り難うね。また向こうで会おうね。」と今までの感謝の気持ちを伝えた。

   冷たかったけど柔らかいほっぺだった。

   参列者は11名、葬儀式の途中は母の大好きな ”タブレット純” の曲がずっと流れていた。

 

   12:30にレンタルしたマイクロバスで横浜南部斎場(火葬場)に向かう。噂に聞いてた通り、

   火葬場の入口から霊柩車の渋滞が始まっていた。場内も非常に沢山の人でごった返していた。

   13:00、火葬炉の前で最後のお経。ここまで何度も涙を流してきたが、炉に入っていく母の棺

   を見送る時が一番悲しかった。

   13:20頃から控え室に移動して参列頂いた皆さんに精進落としを振る舞った。父は喪主として

   挨拶、自分は母のちょっとしたエピソードを話して献杯の挨拶。控え室の正面にある大きな窓

   の外に、この冬初めての雪が降り始めた。これも母の演出だったのかな。

 

   14:20、火葬完了のアナウンスがあった。事前に聞いてはいたが母のように高齢で小さな身体

   はあまり時間が掛からないようで思っていたより早かった。

   父と自分で火葬炉に行き、故人と火葬炉番号の確認作業。予想していた以上にお骨が少ない。

   晩年、母は歩行困難で ”くの字” に曲がっていた右膝下はそのままお骨になっていたから

   間違いなく母のお骨だ。参列者でお骨を拾って骨壺に収めた。骨壺の重さは5kgくらいあり、

   喪主の父は長時間抱えるのが心配というので代わりに自分が抱っこし告別式会場まで戻った。

 

   15:30、告別式会場で解散。一連の葬儀を取り仕切ってくれた担当さんに心より感謝。こんな

   機会ではあったが親しみある心から話せる方だ。毎度人との出会いに恵まれていると感じる。

   16:00、父と私、妻、子供らで横浜自宅に戻り、祭壇の母にお線香をあげた。

 

昨年6月のコロナ入院から有料老人ホーム、特養と長らく自宅を離れていた母であったが、漸く住み

慣れた家に戻ってこれた。母さん、おかえりなさい。