私はもともと、それほど酒を飲むほうではないが、500mlの
缶ビールを2本、昨日、まだ若いのに死んでしまった、彼の
かわりに、飲んだ。すぐに、酔いはじめた。チョコレートと
チーズを、彼のかわりに口にしながら。日曜日の朝はやくに。
お気にいりの、小さなグラスの中の、ビールの色がきれいだ。
日本酒を飲んでいるような感覚で、ゆっくりと時間をかけて。
彼の素晴らしい音楽を聴きながら。私なりに、彼を見送って
いるのだ。さよならではあるが、いつもそばにいるような彼。
楽しい歌、悲しい歌。考えさせられる歌。いつの間にか私は
涙を流していた。鼻につんとくる、やはり喪失のさみしさだ。
朝7時。長い期間、服用しつづけている抗うつ薬が、体内に
蓄積されているのか、その作用?で、すでに私は酔っている。
徐々にラジカセのボリュームを上げる。清志郎の、あのせつ
ない歌声が室内に私の耳もとに。修辞学の音楽。ふとそんな
ことを、彼の曲に感じた。今、「BEAT POPS」を聴いている。
私のBabyも、すでにいないし、残された自分は、壊れかけて。
娘にメールをした。近いうちに会う約束だった。しかし私は
引きこもってしまいそうな予感が。悲しみは、すぐにはいや
されないだろう。それほど私は彼を好きだったのだ。何年か
たって、私も彼のように、若く死んでしまうことを考えれば、
わけのわからない怒りにも。