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日々進歩を願って!

思いついたことを気ままに書いています!

三浦三崎の庚申塔 4

2012年05月29日 22時09分31秒 | 庚申塔
庚申塔の建立が行われたのは、寛永期(1640年)以降です。
当初は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、地蔵が彫られた。
その後、徐々に青面金剛像が主流となりました。
庚申塔・庚申の文字塔は江戸中期、後期以降のものです。



5番目の庚申塔です。

享保10年(1725年)287年前の建立です。
すべてがそろっている庚申塔です。

頭上には太陽と月が描かれています。
青面金剛は、腕が6本で、中央の手は合掌しています。
その他の手は、人身、武器を持っています。
そして脇に童子を従えています。
足は邪鬼を踏みつけています。

三浦の三猿は横向きや、脚を延ばした姿勢のものがあります。

二鶏と三猿が刻まれています。
三猿は見ざる 聞かざる 言わざるです。

そして最後の庚申塔は文字塔でした。

青面金剛の像を彫らずに文字だけになりました。
建立は天保7年(1836年)176年前です。

三浦三崎の庚申塔はバスからもう一か所見えました。
文字塔が見えたのですが、まだあったかもしれません。
いつか、必ず見に行きたいと思っています。
美味しい魚を食べに行きながら…




三浦三崎の庚申塔 3

2012年05月29日 19時17分19秒 | 庚申塔
全部で6基あった庚申塔です。
庚申塔の三猿を見た瞬間、とても感激しました。


3番目の庚申塔です。

この舟形庚申塔も建立年が不明です。
左手には人身をつかんでいます。

青面金剛は邪鬼を踏み、足元には三猿が刻んでありました。

言わざる 聞かざる 見ざるの三猿です。


4番目の庚申塔は文字塔でした。

安永5年(1777年)235年前の建立でした。

おまけ情報

京急線と京急バスで、エリア内を自由自在です。
1DAYは1,900円、2DAYは2,000円です。




三浦三崎の庚申塔 2

2012年05月29日 08時04分01秒 | 庚申塔
三浦半島は庚申塔が多く残っています。
私が庚申塔に興味があると言うと驚かれます。
なんで…好きなの?と聞かれることもあります。
答えは『なんとなく…』です。


左から2番目の庚申塔です。

この形を舟形庚申塔と言います。
323年前の元禄2年(1689年)に作られました。
この元禄2年に松尾芭蕉が奥の細道の旅に出ました。


三猿は言わざる 聞かざる 見ざるに並んでいます。


おまけ
途中にあったスーパーいなげや

かわいいサブレでしたが、買いませんでした。



三浦三崎の庚申塔 1

2012年05月28日 19時27分31秒 | 庚申塔
三崎口駅から三崎港へ向かう途中に庚申塔がありました。
今回は歩きなので、写真が撮れました。



左端のものは庚申塔ではありませんでした。
全部で6基の庚申塔が並んでいました。
6基のうち2基が文字塔でした。

この庚申塔の建立年は不明です。

邪鬼を踏みつけ、三猿が刻まれています。
そして人身(ショケラ)をつかんでいます。


三猿は聞かざる 見ざる 言わざるの順です。
左右の猿が横向きなのも珍しい。


青面金剛の造形は、腕が4本または6本で、
      中央の手は合掌、あるいは剣と人身を持っています。
その他の手には、三叉戟・法輪・剣・弓矢などを持っています。
そして脇に童子を従え、邪鬼を踏みつけています。
足元には三猿と二鶏が刻まれています。
ただし、全部がそろっている青面金剛は滅多にありません。
私は三猿を見ています。

めぐりあい…庚申塔

2012年05月18日 07時37分17秒 | 庚申塔
練馬区平和台のクリニックへ通院しています。
行きは大通りを急ぎ足で歩いています。
帰りはゆっくり、毎回違う道を歩いています。


4回目の帰り道に見つけたのは駒形の庚申塔です。
庚申講の本尊として祀られる、疫病や災厄を鎮める青面金剛。
江戸時代に庶民の間で盛んに信仰されたのが庚申講でした。

     練馬区春日1-32所在 

この青面金剛は腕が6本あり、左足で邪鬼を踏みつけています。
そして、金剛像の頭上には太陽と月が配されています。
残念ながら年号等が消えています。(クリックで拡大)

保存状態だけでなく、作者が下手だったのでしょう。
手に持っている武具がはっきりしません。
それでも、花を手向ける人がいて、祀られていました。

久しぶりに青面金剛の庚申塔にめぐりあいました。
私の好きな三猿は刻まれていませんでした。
知らない街を歩く楽しみが早くも実現しました。