庚申塔の建立が行われたのは、寛永期(1640年)以降です。
当初は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、地蔵が彫られた。
その後、徐々に青面金剛像が主流となりました。
庚申塔・庚申の文字塔は江戸中期、後期以降のものです。
5番目の庚申塔です。

享保10年(1725年)287年前の建立です。
すべてがそろっている庚申塔です。
頭上には太陽と月が描かれています。
青面金剛は、腕が6本で、中央の手は合掌しています。
その他の手は、人身、武器を持っています。
そして脇に童子を従えています。
足は邪鬼を踏みつけています。
三浦の三猿は横向きや、脚を延ばした姿勢のものがあります。

二鶏と三猿が刻まれています。
三猿は見ざる 聞かざる 言わざるです。
そして最後の庚申塔は文字塔でした。

青面金剛の像を彫らずに文字だけになりました。
建立は天保7年(1836年)176年前です。
三浦三崎の庚申塔はバスからもう一か所見えました。
文字塔が見えたのですが、まだあったかもしれません。
いつか、必ず見に行きたいと思っています。
美味しい魚を食べに行きながら…
当初は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、地蔵が彫られた。
その後、徐々に青面金剛像が主流となりました。
庚申塔・庚申の文字塔は江戸中期、後期以降のものです。
5番目の庚申塔です。

享保10年(1725年)287年前の建立です。
すべてがそろっている庚申塔です。
頭上には太陽と月が描かれています。
青面金剛は、腕が6本で、中央の手は合掌しています。
その他の手は、人身、武器を持っています。
そして脇に童子を従えています。
足は邪鬼を踏みつけています。
三浦の三猿は横向きや、脚を延ばした姿勢のものがあります。

二鶏と三猿が刻まれています。
三猿は見ざる 聞かざる 言わざるです。
そして最後の庚申塔は文字塔でした。

青面金剛の像を彫らずに文字だけになりました。
建立は天保7年(1836年)176年前です。
三浦三崎の庚申塔はバスからもう一か所見えました。
文字塔が見えたのですが、まだあったかもしれません。
いつか、必ず見に行きたいと思っています。
美味しい魚を食べに行きながら…