馬鹿琴の独り言

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超意訳:南総里見八犬伝【第三回 安西景連、麻呂信時、暗に里見義実を断る/杉倉氏元、堀内貞行、災厄と知るも舘山行きに従う】

2024-01-29 01:19:09 | 南総里見八犬伝

 こうして安西三郎大夫景連は、近習の報告から、結城の落人里見義実がたった主従三人、船で安房を訪れてきたことを知った。
 訪問の理由をおおよそ推察しながらも、後で厄介ごとに巻き込まれるのはかなわないとばかりに、近習への回答を渋っていた。麻呂信時を見て、
「ううむ、こんなことになってしまった。麻呂殿はどう思われるか」
 聞いたそばから、
「里見は名のある源氏の血筋の者だが、ここには縁も所縁もない。無二の足利持氏方であるから、結城氏朝に加担し三年も籠城し、京の将軍や鎌倉の関東管領を敵にしては、命が幾つあっても足らず、普通は無謀なことと思うはずなのに」
 麻呂の口調は辛らつだった。
「落城するに及んで、親も見捨てて、おめおめと逃げ出した挙句、安房へ流れてきたに違いない。取るに足らない愚か者になぜお会いするというのか。さっさと追払いなさるが良いでしょう」
 非難しながら説得してみるが、安西はしばらく考えてから言うのだった。
「私もそう思ったが、使い様がありそうだ。彼らは三年籠城して、戦に慣れている。義実は年が若いと言っても、数万の敵軍を相手に切り抜けて、ここまでたどり着いたのだ。招き入れて会ってみよう。その手腕と勇気を試してみて、使える者であれば山下定包を討つ一手の将にしてやろうよ。使えない者であるなら追出すまでもなく、すぐに刺し殺して後の災いを払うまでだ。これでどうだろうか」
 この囁きに麻呂は何度もうなづき、
「良いお考えだ。私も会おう、ご用意を」
 と急がせた。
 安西景連は急いで老党を呼びつけ、いろいろと指示を申しつけた。腕に覚えのある武士たちを集めて言い含めて、指図をする。
 麻呂信時もまた供についてきた家臣を呼び、安西の謀略を聞かせて、二人は連れだって客間に行った。
 戦支度をした軍装の安西の家臣二十人、麻呂の従者十数人がいかめしく両側に並ぶ。大きな弓、槍や薙刀が幾つも飾り立てられた。
 廊下には幕を垂れており、その陰には鎧を身に着けた武士が十人あまり、いつでも里見主従を生け捕る様に手ぐすねを引いて待っていた。

 里見冠者義実は半刻(約一時間)も城の主を待たせられ、ようやく別室に招き入れられた。
 衝立の襖の陰から、薄い藍色の麻の裃を着けた安西の家臣が四人現れ、
「どうぞこちらへおいで下さいませ、我らがご案内いたします」
 と義実の前後を囲みだした。だが半弓に矢をつがえるのを見て、少し遅れて従っていた杉倉氏元と堀内貞行がとっさに主君を守ろうとする。
 しかし黒い小袖にたすき掛けの安西の家臣が六人出てきて、短い槍の先を揃えて二人に向かう。先の藍の裃を着た四人は、義実を残して去って行った。
 当の里見義実と言えば、騒ぎ慌てる様子もなく、
「物々しいもてなしであることだ。この三年以来、結城城において、敵の矢面に立ってきた。槍の先を何度も潜り抜けてきたが、安房は海より他に何もない。この土地は波風立たず、身分の高い者も低い者も平和を楽しんでいる、と聞いてたが違うらしい」
 独り言を言った。
 後から着いてきた二人の郎党も立ち止まり、
「平和の中にも戦乱を忘れず、小敵と見ても侮らずとは兵書には記してありますが、三人に過ぎない主従に対して、鏑矢の吸い物に弓弦の素麺とは、変わったご馳走ですね。こちらの主の手料理を頂きましょう、さあ早くご案内を」
 と皮肉を言って案内を急がせた。

 主従が席に臨むと、安西と麻呂の配下の武士は、弓を伏せ、槍を引き下げて、左右の幕の中へ入っていった。
 里見義実は、安西景連と麻呂信時を見ても少しも顔色を変えずに、客の席に着き、扇を持ちながら、
「結城の敗将、里見又太郎義実でございます。亡父治部少輔季基の遺言に寄りまして、何とか敵軍を突破して、漂泊しながらこちらに参りました。海女の粗末な家でもはかない今の身を寄せて、都はもちろん鎌倉の管領にも従わず、この安らかな国の民となれればこの上ない幸いでございます」
 一度里見義実は言葉を切った。
「でもそれも昨日までのこと、聞くことと異なる世間の噂、義によって我が微力を尽くせることもあろうかと思いまして、恐れながらもご面談をお願いしましたところ、敗軍の将とてお断りにならずにお会いいただき、胸中は極まりました。供は杉倉木曽介氏元、堀内蔵人貞行でございます。お目通りいたします」
 礼儀正しく名乗り、従者二人も頭を下げた。
 しかし、安西景連は思っていたよりも若く見える義実を侮って、礼を返さない。
 麻呂信時は城の主を待たずに目を見張り、大声を出して、
「私は麻呂小五郎である。今朝、別件で平舘から来たのでこの席上に参加している」
 麻呂は里見義実を罵倒した。
「お主は生意気な若武者であるな。我が安房の国は小国であるが、東南の果てで三面ともすべて海。室町の将軍の命令も受けず、関東管領にも従わないが、隣国の敵にも敢えてこちらから国境を攻めることはない。私は言うまでもなく安西殿に所縁もないお主が、京、鎌倉の敵となって身の置き場もないのに、若造の癖にさえずって利害を説くなど愚かなこと。慈愛深い御仏のごとくお主らを受け入れたとしても、罪人を匿い祟りを招くことなど誰がいたそうか。面会するなどまったく意味がない」
 と顎をさすりながらも笑い、嘲り罵った。
 しかし里見義実もにっこりと笑って返した。
「そう言われるは有名な麻呂様でおられるか。麻呂、安西、東條は当国の旧家として、勇猛で知略に長けておられると思っておりましたが、違う様でございますな。悔しいことでございますが、私の父の里見季基は生涯ただ義の一字を守って、長くは守れないと思われる結城城に立て篭もり、京と鎌倉の大軍を三年もの間防ぎ、死に臨んでも後悔しませんでした。父には及びませんが、私は敵を恐れて逃げず、命を惜しんで逃げたりもしません。亡父の遺言によりやむを得ず、ただ運命を天に任せて時を待とうと思うだけなのです」
 改めて義実は二人を見た。
「鎌倉公方の足利持氏卿、勢い盛んな時節には安房、上総はもちろん関八州の武士は、全員心から忠誠を誓い出仕しない者はおりませんでした。永享の乱で持氏卿がご逝去されては、幼君のためにすべてを投げ出して、結城氏朝に協力し、結城に籠城した者は少のうございましたぞ。強い方につこうという人の心、頼りにならないものでございますから、麻呂殿、安西殿、持氏卿の恩義に応えず、関東管領を恐れ、私を受け入れないというのであれば、袂を分かって出て行きましょう」
 義実は更に皮肉交じりに言った。
「現在、二人の関東管領、扇谷定正殿と山内顕定殿の勢力は強うございますからな。関東の国々の武士は追従しております。恐れるのも当然でございますが、たった三人の主従にに過ぎない義実をひどく怖がって、武器を持った家臣らに案内させ、ここは安全であると口にはされるものの、用心に用心を重ねて席上に弓矢を掛け、太刀の鞘を外し、それどころか幕の内に多くの武士を隠されているのは一体どういうご了見なのか!」
 問い詰められた麻呂信時は怒りで顔を赤くし、安西景連に合図を送る。当の安西は思わず大きな息を吐き、
「里見殿の言われることは至極全うなことだ。弓矢も刀も武士に必要な物、身を守るために座る時も寝る時も手放したりはせんが、あなたを脅すためではない。だが案内をさせた者が武器を持っていたこと、幕に武士が隠れていたことは、景連はまったく知らん」
 安西景連は家臣たちを叱った。
「そもそもお前たちは何のためにこんなことをしたのだ。とっとと出て行け」
 と退く様に命令し、飾り立てていた槍や薙刀を屏風で隠させた。
 すべて主の命令した通りの用立てではあったが、全部無駄となり、安西と麻呂の家臣は、汗を拭いながら本来の持ち場に戻って行った。

 それでも麻呂信時は懲りずに膝を進めて、里見義実に向かって、
「今そなたが申されたことは尤もらしく聞こえるが、納得がいかん。敵を恐れず、命を惜しまず、運を天に任せて、時を待とうと言うのならば、坂東には源氏が多い。他に身を寄せるべきところもあるだろうに、元から親交もない、一国の主でもない安西氏を頼んで、船でやってきたというのは理解できん」
 麻呂信時は声を強めた。
「飢えた者は皿を選ばないし、追われる者は道を選ばない。敵を恐れ、命を惜しんで逃げ迷った挙句、恥を掻いてここまで来たのだろう。甲斐性のない身の上を飾らずに、その通りであると明確に告げてこそ、憐みもひとしおだろうに。この席にせっかくおるのだから、仲介してやろう。逃げ出したと言いなさい、はっきりと本当のことを言いなさい」
 麻呂信時が再三繰り返すのを聞いていられなくなった堀内貞行は、杉倉氏元の袂を引いて、主人のところに進んで、
「当て推量で人を計ってみれば、当たらないこともあるのです。麻呂殿の推量は、雑兵、端武者のものでございます。源氏にはこの様な大将はおりませぬ。そもそも主人の義実は命を惜しみ、敵に追われて、道に迷って、思わず当国に来たのでございません」
 あくまで涼やかに言うのだった。
「昔、源頼朝卿は石橋山の戦で敗れて、安房へ行かれた時、あなた様の先祖、麻呂信俊殿、安西様の先祖阿安西景盛殿、東條殿とご一緒に一番で付き従われ、無二の忠誠をお示しになったではありませんか。頼朝卿は三人を先導とし、上総へ入った際も上総広常、千葉常胤が迎えになり、たちまち大軍になって、更に鎌倉を本拠とされ、遂に平家を滅ぼされたのでございます。里見も同じ源氏の嫡流、八幡太郎源義家殿のご子孫です。この様に先例がございますのに、あまりに無下に貶めなさるのが残念でなりませんので、この際申上げました。言い過ぎはお許し下さい」
 と言い返す。
 智も勇もともに兼ね備えた二人の里見の老臣に説き伏せられて、麻呂信時は怒りに任せて何も言えなかった。

【景連、信時、義実を威す】

下段中央が里見義実、左上に堀内貞行、右隣に杉倉氏元、右上に安西、麻呂が仲良く座ってます。

にしても義実に安西家臣の弓矢が近すぎ、手が滑ったら ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

 

 だが義実は麻呂の顔色を見て、
「貞行、氏元、無礼であるぞ。それになぜ私を頼朝卿と比べるのだ。馬鹿げているぞ」
 と大きな声で二人を叱り、下がるように命じた。
 詫びようともしない来客の態度に、麻呂信時は怒った眼差しだったが、手をこまねいているばかりで何も言わない。
 そこで安西景連は、肩を揺るがして嘲った。 
「里見の従者よ、良く聞け。源頼朝の父、義朝は十五か国の将軍だった。もし朝敵とさえならなければ、平清盛もなす術がなかったろうな。従って、頼朝は伊豆へ流人になったが、一度挙兵するに及んで、旧恩を慕う坂東武士は自ら鎌倉に従ったのだ。里見家は頼朝と違うではないか。その始めは太郎義成、頼朝卿に仕えたころから、領地はわずかなものにしか過ぎず、手勢も百騎に足らない。鎌倉以降は南朝に従い、あちらこちら世の中を逃げ惑い、鎌倉公方へ降参してようやく本領を安堵してもらったが、それも少しの間で、今は落人ではないか。主人すら口をつぐんでいるのに、お前たちは何の議論をしていると言うのか。考えを改めて、この安西に仕えるというのならそれ相応のことをしてやらんでもないが、身の程を知らないのだな」
 あくまで里見主従を侮辱するが、氏元も貞行も主人の心を汲んで反論をしなかった。
 当の義実は微笑を浮かべ、
「安西殿の言われる通りだ。しかし人の口には戸は立てられません。私がこの地に来て以来聞きますのは、どこでも同じ噂です。民の誹謗や文句が静まることはございませんが、家臣は主君の耳を塞いで、お伝えもせずお諫めしないということは、甚だしく不忠ではございませんか。先ほど当家への仕官の話をされましたが、氏元、貞行に思いがけなくも、高禄をもって召し抱えようとなさっても、不忠の人と肩を並べるお耳の不自由な主君に仕えることは願わないでしょう」
 こう言われて安西景連は顔色を変えた。
「それは何を誹謗しているのか。噂とはどんなものか」
 と問うが、義実は扇を膝に立てたまま、
「まだお分かりにならんのか。これは安西殿だけではなく、麻呂殿もまた同じなのだ。神余、安西、麻呂の三家は旧交深く、相互いに助け合って、当国を無事に治めてこられた。しかし神余の寵臣、山下定包が悪巧みによって主人を喪わせ、二郡を横領し、安房の国主と僭称するのを、神余のためにこれを討伐もせず、おめおめと奴の下風に立って、ともに穢れるというのであれば、民からも非難されるでしょう」
 静かな口調ではあったが、かすかに憤りが感じられた。
「私はこのことを申上げて、受け入れられることがあれば精いっぱいお働きしましょうと思っていましたが、どうやら無駄でございましたな。出陣のご用意もなく、お話合いもないようであれば、思いを告げることもございません。我が主従をひたすらに非難されるだけで、神余がために定包を討つ勇も義もない武士は頼もしくございませんな、今はこれまで、お邪魔いたします」
 と言うが早いか席を立とうとするが、安西景連は何とか義実を呼び止めた。
「こちらの心中をお見せしていないので、そう思われるのも無理はない。今もう少し座られよ」
 しかし相方の麻呂信時は少しも納得しない。
「分からないのか義実、今日私がここに来たのは本当は軍議のためなのだ。謀は人目を忍ぶが良いという。初めての対面となるお主に軽々しく言うものか。我々が勇気があるのか、それともないのか、知りたければまずこの刃に聞け」
 麻呂信時が息巻いて反り返った刀の柄に手を掛けると、身構えていた杉本氏元と堀内貞行は、改めて主人の周りを固めて用心の眼を配った。
 麻呂の家臣たちも拳を握って振り上げ、近づこうとしていた。
 その時、城の主である安西景連が慌てふためき、麻呂信時を抱き止め、耳に口を近づけて何ごとかを囁き、言い含めた。
 やがて麻呂と安西は配下たちを見て、首を振った。
 配下たちはそれを見て、麻呂を連れてその場を去って行った。里見義実は扇を小さく扇ぐだけで、何も言わずにいた。
 席上はますますしらけ切っていく。
 安西景連は自分の席に戻り、
「義実、どのように思われるか。一言の言葉に死を賭けるのは武家の習いであるが、麻呂殿はおふざけになっただけだ。お気にされるな」
 安西の言葉は少々調子が良い。
「しかし時と勢いを知る者は耐え忍ぶをことを知っていて負けないものだ。こうしていろいろ試させてもらったが、そなたは真に武人だ。例え結城の守将であっても、今この安房を流浪って我が一軍に加わり、山下定包を討とうとするのであれば、我が軍令に背くことはできまい。士卒とともに忠を励んで、戦場で大功があれば、恩賞の沙汰もあるであろう。家柄を誇り、自分の才を頼んで、我が安西の軍勢につくのを嫌、とするならば軍令に背くものだ。そういう風に思うのであれば軍勢には加えまい。お主自身の力を持って、かの賊を打ち滅ぼし滝田の城を取ってみよ。もし平群と長狭の二郡をの主になっても少しも恨みはない。行くも留まるもこの一義で決めなされ。心を定めて回答してみせよ」
 最後の方は言い方も改まっていた。
 里見義実は困難なことと知りつつ、
「行き先も帰る港もない船となってから、その時その時に寄せてもらった場所を岸として、この身を預けてきたのです。ここに恩を頂き、用いていただけるものならば、何を嫌っていられましょうか。包み隠さずにおっしゃって下さい」
 言われた安西景連はうなづき、
「それではことの始めだ。万が一にも背いてはならん。我が家の祝いごととして、出陣の門出に軍神を祀るのだが、供え物としてそれはそれは大きな鯉を用意することになっているのだ。私のために針を垂らして、鯉を釣ってくれれば、良き敵と戦って首を得たようなものだ。分かってくれるな」
 と説得すると、里見義実は断る様子もなく、
「承りました」
 返答するのだった。
 立とうとした義実の後ろに控えていた杉倉氏元と堀内貞行は、左右からその袂を引き、二人は同時に前に出た。
「安西殿へ申し上げまする。祝いごととおっしゃいますが、竿を差して船に乗り、針を降ろして魚を捕る、その手管は漁師より得意な者はございませんし、武士のすることではございません、主人義実には似つかわしいものでございます」
 もう一人が後を引き取った。
「君が辱められる時は、臣も死す、とこそ古人も申しております。ただ私たち二人の首を持って、軍神への供え物となさって下さい」
 最後まで言わせず、安西景連は杉倉氏元らをきっと睨み、
「無礼な奴らめ。義実が掟に従ってすでに承諾したことを、耳の聞こえぬ者が何を言っている。下僕として軍令を犯した罪、軽くはない。外に引き出して斬って捨てよ」
 激しい怒りをものともせず、杉倉氏元と堀内貞行は、更に前に出て反論しようとしたが、義実は家臣らを叱り後ろに下がらせた。
 同時に安西景連に対し家臣の非礼を詫びると、城の主もようやく機嫌を直した。
「であれば鯉を見るまでは二人をお主に預けよう。お主、自ら釣りをされよ。それも三日間に限る。約束を守らず日々を過ごせば、二人の愚か者どもだけではなくお主もどうなるか、心得るが良い」
 と念を押して言うことに、里見義実は恭しく承諾した。
「そろそろ宿に戻ろう」
 何か言い足りなさそうな老臣たちを急き立てて、里見主従は出て行った。
 隣の部屋で立ち聞きをしていた麻呂小五郎信時が夏向きの障子を開けて入って来た。冷笑を浮かべて主従の出て行った方向をしばらく見てから、城の主の元に近づいた。
「安西殿は手ぬるい。どうして里見の従者たちを助けてそのまま行かせてしまうのだ。私はひたすらに義実を討ち果たそうとしたけれど、安西殿が盾となるから、網に掛かった魚を逃がしてしまったわ」
 とやかましく言えば、安西景連は微笑んで、
「私も初めはそう思ってはいたが、義実は名家の子で、若造だが、思慮といい才能といい、普通の者ではない。それに従者たちも一騎当千というべき者たちだ。下手に手を下せば、こちらも多くの者を失うことになる。窮鼠猫を噛むと言うではないか。まして奴らは勇将に猛卒、黙って刀を受ける訳もない。窮鳥懐に入れば猟師これを殺さずの諺通り、今、山下定包を討たずに、恨みもない人々を殺してしまえば民の誹謗は日に増して、大事をなすことができなくなる。しかし義実をここに置いては猛獣を養うようなもので、安心して眠ることもできん。山下を討つか討たないのか、私が日和見している様に見せて、あの主従の態度に我慢をして、祭祀の生贄として使ってやろうと思っていると思っている。これは落し穴を作っているのだ」
 安西景連は得意気な顔になった。
「風土によるものなのか、安房の国には鯉はいない。奴らはきっとそれを知らないから、水辺の淵に立ち、瀬を漁り、日数だけをいたずらに過ごすであろう。空しく帰ってきたところを軍法によって斬ってやる。罰するにも罪が必要、私怨とは呼ばせず、だからな。どうして奴を助けてやるだろうか」
 と自慢げに説明すると、麻呂信時は上機嫌になって笑い出して手を打った。
「名案ではないか。なまじ打ち損じて、山下の滝田城にでも入られて、向こう側についてしまえば、虎に翼を与えるようなものだ。かと言ってこちらで使えば、庇を貸して母屋を取られる、の例えになれば後悔するだろう。こちら側に留めて、後で始末する、こんな謀の他に名案はないな。よしよし」
 ひたすらに称賛するのだった。

 里見義実は白浜の旅宿に向かって足の運びを急がせてはいたが、距離があったために到着するまでには日は暮れた。
 そもそも安房の白浜は、朝夷郡の中であり、「和名鈔」という書物にその名前が乗っており、古い郷なのである。滝口村に隣接しているという。今は七浦と言い、この浜辺の総称である。里見氏の旧跡、縁のある寺社などもここにある。所謂、安房の七浦は、川下、岩目、小戸、塩浦、原、乙浜、白間津である。

 無駄話はさておき、義実は、明け方に白浜に帰りついた。休みもせずに釣りの準備をしていると、氏元や貞行は怒った。
「我が君、そろそろお気づきになりませんか。麻呂信時は思慮分別がなく、安西景連は他人を妬み、そしり、僻んでいます。私を見る眼が仇を見る様な眼差しでした。あんな頼りない人のために、鯉を探して何になるのでしょう。早く上総に向かって害毒どもから逃れましょう」
 二人は諫めたが、義実は首を振って、
「いいや、お前たちの意見は間違っている。麻呂殿も安西殿も利には聡く義には疎い。言動一致せず、山下定包を恐れているだけだ。滝田の城を討つつもりはなく、と分からない訳ではないけれど、ここを避けて上総へ向かっても、そこがまた同様であれば下総は敵地、その時はどこへ向かえば良いのだ」
 杉倉と堀内は義実の言葉を待った。
「君子は時を得て楽しみ、時を失ってもまた楽しむと言うぞ。太公望呂尚がそうではないか。七十になるまで世間では無名だったが、渭水で釣りをしている途中に周の文王に出会い、悪である殷の紂王を打ち滅ぼす大功をお持ちの人だ。斉の国に封じられて、子孫数十世にまで栄えた。太公望ですらそうだ。私は時も勢いも両方とも持っていない。だから釣りを嫌がったりはしない。また鯉はめでたい魚だ。安南(ベトナム)では鯉は、龍門の滝を登る時には龍に変身するというぞ。私は三浦で龍尾を見て、白浜へ来た時には鯉を釣れと人がいう。前兆後兆、頼もしいと思わぬか。もし釣れたら持って行って、安西景連の態度を見てみたい。夜が明けたら出発するとしよう」
 と急がせるので、杉倉氏元も堀内貞行も主人に従って、針と竿を準備して、弁当箱を腰に括った。主従三人は名も知らぬ淵を尋ねて出発する。
 烏も梢を離れて、夜は静かに明けていくのだった。

(続く……かも)

 

2023年2月11日、タイトル修正。

コメント (3)
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