過去を振り返るのが好きなもっちゃんの「若い頃ネタ」です。
2009年の9月に「30年変らぬ谷中」というタイトルで20歳頃に住んでいた
台東区谷中を当ブログで紹介しました。
今回は、その谷中から引っ越した先、目黒区下目黒です。
大学1年は東中野、2年が谷中、3年~4年が下目黒と学生時代は移り住んでいました。
あまり引っ越しするものだから田舎の母が上京するたびに
「なんたら、また前のアパートに行ってしまったよ。」と嘆いていました。
さて、下目黒。
ここも32年前とさほど変わっていないという印象です。
山手線の目黒駅から歩いて10分少々。
途中にはかの有名なホテル「目黒エンペラー」や女子プロレスの道場がありました。
今は、どうかしら?
山手通りを越えるとそこが下目黒。
向こうに見えるのが山手通り。
ここのとんかつ八千代でよく食べてました。
考えてみればスゴイよね。32年前もこんな感じで変わっていないのでそれ以前からずーっと営業しているのだから。
浮き沈みの激しいこのご時世、たいしたもんです。
続いて商店街を少し歩くとこれも知る人ぞ知る「たこ薬師」。
さすがに若い頃は、近所にあってもお参りも何もしませんでしたが。
商店街の一角、この自販機があるお店の角を左に曲がると当時住んでいたアパートです。
たぶんこの店も32年前にもありました。
当時コンビニもろくに無かったのでここでパンとか買っていたかな。
はい、ここです。
1階の真ん中の部屋でした。
東中野、谷中は共同玄関、共同トイレでしたからこの下目黒で初めて
独立玄関、独立トイレのいわゆるアパートに住むことができました。
今までのは下宿っていうのかなぁ。
確かに名前が、東中野は○○荘、谷中は○○様方、そしてここは○○ハイツでしたから
格上げされた感じでしたね。
日当たりは悪かったけどどうせ昼間はほとんどいないので気になりませんでした。
向かいの家に小学生がいてよく遊んであげていた記憶があります。
どうしてんのかなぁ、あいつ。
奥の方に向かってつきあたりに銭湯がありました。
雨が降っていても傘がいらない距離です。
これは、前に住んでいた谷中とまったく同じ環境でした。
風呂無し生活者にとって銭湯までの距離はお部屋探しの重要ポイントですからね。
ここで大学の3年、4年を過ごしていたわけです。
当時のもっちゃんは音楽業界にあこがれて授業そっちのけでコンサート会場やスタジオを飛び回っていました。
懐かしき青春の1ページであります。
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ご紹介されているとんかつ屋さん、パン屋さんは立派です。
また、
32年前の下宿が今もあるとは大屋さんも凄い人なのでしょう。
小生の学生街である江古田なんか、まるっきり変わってしまいました。母校も先般大規模に模様替えしてしまったし。
でも、管を巻いていた居酒屋は数件とも健在でした。
オヤジは代替わりしていましたけど…。
昔街を懐かしむとは、お互い「歳ですかな」。
そこで30年ぶりの再会がありまして、そんなことで
特に大学時代、音楽に夢中になっていた頃を思い出しているんです。
生きてるっていうことの証は、もう忘れている過去の自分を知る人に出会えたりすることかなぁと思います。