耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

実家と生家

2016年04月30日 09時55分55秒 | 都会の風景
 昔、女性が結婚、と言うより嫁入りして、自分の両親が居る
家を離れて、嫁いだ先に移った後で、実際に生まれ育った家を、
実家と言った。
 最近は、男でも独立して家を出る事が多いから、親が住んで
いる家を実家と言う事が多い。

 然し、これは生家と言うべきであろう、と言う考え方は、
古いんだろうか?

 家には、先祖代々の位牌が入っている仏壇が有り、戸主がそ
れを守っている。お寺には家の墓が有り、家族は死んだら
みんなそこに入ることになっていた。
 結婚式や葬式は、親族が集まり、血のつながりを確認する場
となっていた。

 しかし今の民法では、家では無く世帯が単位だ。核家族化が
進み、一人や二人の世帯も多い。葬式も最小限を志向する
傾向が強い。
 私のおじさんの1人の死去を、忌中の葉書で知ったことも
有ったし、別のおじさんに至っては数年後に知らされた。
 結婚式も二人だけでやったり、入籍だけで済ますことも有る
ようだ。
 老人の介護が家族では手に負えず、施設のお世話になる
ことも多い。最適な介護は、必ずしも親身な介護では無い
ことも有る。


 そもそも、家とは何だろうか?
 今や人が住む住居と言う意味では無い、家の名前に存在意義
が有るのか?

 自民党の憲法草案では、基本的人権や個人の尊厳という
基本理念より、国家や道徳、家族主義を優先させたい、明治憲法
回帰の傾向が強い。


 いまこそ、個人が大切にされなければならない時代ではない
だろうか?
 

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