教育のとびら

教育の未来を提言 since 2007
presented by 福島 毅

コーチング的手法とアプローチ

2008-01-19 | マインド、メソッド、ツールなど
過去のいくつかの記事の中で、日本の児童・生徒は受け身的というお話をしました。
この原因として私は受動的メディアの影響(特にテレビ)によるものや、家族内での会話が乏しい、学校教育において、予め答えが用意されたことの問いかけ・演習がほとんどといったことがあると考えています。

では、こうしたことから脱するのに、親や教師は何をしたらよいのかということを考えてみたいと思います。その大きなヒントはコーチング的な手法にあると思っています。

ここでは、想像しやすいスポーツトレーナーのようなコーチを考えてみることにします。もちろん中にはコーチという名がついている監督に近いポジションの人もいますが、それは一方的に指示を出し、選手を従わせていくという意味において、ここではコーチの定義からはずすこととします。

コーチは、選手をじっくり観察し、選手の変貌・進化を促すための発問をしていきます。選手はそのフィードバックを受けて、自分の身体を使い、頭を使って考えます。どのようにしたら進化できるかということに気づいていくわけです。ここで重要なのは自らの気づきを最重要視するということです。

「やらされている、教わっている」という感覚からではめざましい進化は期待できません。もちろん、ある程度基礎力の充実として天下り的に学ぶ場面もあるかもしれません。しかし重要なのは本人の自覚と気づきであります。

これは教科指導だけでなく、生徒指導も同様かと思います。「遅刻はいけない」ということを親や教師から言われただけではなかなか改善していきません。「遅刻はなぜいけないのか、自分や周りの人にとってどういうデメリットがあるか」ということの自覚が本人から生まれない限り、なかなか遅刻は改まっていかないのです。

今の授業形態は圧倒的に上意下達、知識伝授といった形態がほとんどです。
これではやらされているという意識はぬぐえません。小学校では漢字や計算に象徴されるように少なくても知っておかなければいけない暗記項目というものを先生から教わる場面が多いかと思います。 しかし、中学生から高校生にかけては、情報を検索したり信頼性を調べて選んでいったりという能力がついてきますし、そうしたテクノロジーも発達してきているわけです。

ですから、本人がどういう気づきをしていくことが将来の学習に結びつくのかということを適切に指示できる、または発問できるコーチング的センスが、これからの教師には求めらる気がしてなりません。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1億をかかえる人口と意見集約 | トップ | 選択肢の多さ メリットとデ... »
最新の画像もっと見る

マインド、メソッド、ツールなど」カテゴリの最新記事