教育のとびら

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presented by 福島 毅

【生きるための哲学講座】カント編の気づき

2021-06-23 | 生き方・働き方改革

2021年4月から、「生きるための哲学講座」をオンライン上で主催しています。

なぜ、いま、哲学なのか?
企業にしろ、政治にしろ、個人にしろ、これからは「なんのためにどこに向かって」が一層問われてくる時代となると実感しています。

なぜなら、そうしたものが希薄であったりぶれていると、人々はついてこないし、自分自身も自信を持って日々前に進むことができなくなります。

しかし、何の思考の枠組みもなくこれにのぞむのは現実難しいものです。そこで哲学です。
古今東西の哲学者・思想家に思考の枠組みを学ぶ。守破離ではないですが、自分オリジナルな思考の枠組みをゼロから構築するのではなく、すでに先人が築いてきた智慧を使う戦法です。

さて、5月はカント。


カント哲学は哲学の中でも難解なものの1つとされているわけですが、この講座では、専門家の解説によりわかりやすくエッセンスを紐解くとともに、参加者同士による問いの連鎖で理解を深めるようなワークショップにもなっています。

自分なりにカントを学んでの自分の気づきは2つ。
1つが、認識論でもう一つが道徳論です。
ここでは、道徳論について触れてみましょう。

自分は、よく小さいときに祖母から、「お天道さまにみられても恥ずかしくないように生きなさい」と教えられたことを記憶しています。他人からの目が届かないところでは、不摂生をしてしまったり、さぼったり、お世辞でも人に堂々とみせられるような行為ではないことをしたりできちゃうものです。

カント流に言うと、内なる道徳法則に照らしてどうなのか?
という問題になります。何を持って、正しい行為と言えるのか?
それは生きている時代や環境、文化によっても変わっていきます。例えば歴史上は、奴隷制度にしても肯定されていた時期があるわけですが、現代社会においてはそれは否定されるべきものです。また、男尊女卑的な社会が当たり前の時には、男女不平等を普通に人は受け入れていたのかもしれませんが、今はそんな時代ではないように・・・・

人を暴力で傷つけたり、人の所有するものを盗んだりというのが倫理に反することは、その行為を堂々と人におすすめできないように、もともと人は内部に倫理規範を持っており、その基準については、万人にそれを照らしても堂々と正しいと主張できるか否かにかかっているとカントは言います。

翻って、いまの日本の状況をみてみるとどうでしょうか?
「苦しいけど、こうしてください」とお願いする立場の人が、自らその法を犯している状況はないか?

面子や体裁、権力への忖度が行動原則となってしまっていて、ものごとの本質から逸脱した行動をとってしまっていないか?

結局は、こうした内なる道徳法則を無視した行動から、信頼は崩れていき、社会は崩壊していき、制度や組織は有名無実化して腐っていきます。

カントを学びながら、善とは何かを定義して生きるためのヒントを自分は得たなと思え、これは大きなことだったと実感しています。

「哲学学ぶって意味があるの?」という人々に、
そして 現代社会で迷路で迷子になっている人々に
自分はこうした情報発信や講座を通じて、何かをしていきたい。
そんな気持ちが継続しています。

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