梧竹観音堂(三日月堂)
1908年に建立
佐賀へ行く前に友人宅に車を置き、彼のご先祖様である、書聖中林梧竹の観音堂をじっくりと見ました。
いつもは何とも思わず、気にも掛けてなかったんですが、立て看板を読んでみたり、少し離れて見てみたりと、観光客になったようでした。誰かに見られたら、よほど書に関心のある人か。怪しい人に間違われそうな感じで見ていたようです。
梧竹に関しては、皆さんの方が詳しいと思いますので、ざっと看板から抜粋します。
梧竹は1827年小城に生まれています。18歳で江戸へ行き、儒学と書を学んだそうです。その後明治維新の後、中国に二度渡り書の奥義を学んだそうです。副島種臣の勧めで、明治天皇に十七帖の臨書を献上、喜ばれたようです。
梧竹は全国各地を旅して回っています。各地に梧竹研究会があるようです。
中林さんとわたしの共通する所は、同じ高校で学んだと言うことと、お互い酒飲みで音楽が好きという事でしょう。
梧竹と私のご先祖様の共通するものがあるとすると、草場はいせん門下と言うことぐらいでしょう。
並木の向こうに観音堂
空が綺麗すぎたからパチリ
1908年に建立
佐賀へ行く前に友人宅に車を置き、彼のご先祖様である、書聖中林梧竹の観音堂をじっくりと見ました。
いつもは何とも思わず、気にも掛けてなかったんですが、立て看板を読んでみたり、少し離れて見てみたりと、観光客になったようでした。誰かに見られたら、よほど書に関心のある人か。怪しい人に間違われそうな感じで見ていたようです。
梧竹に関しては、皆さんの方が詳しいと思いますので、ざっと看板から抜粋します。
梧竹は1827年小城に生まれています。18歳で江戸へ行き、儒学と書を学んだそうです。その後明治維新の後、中国に二度渡り書の奥義を学んだそうです。副島種臣の勧めで、明治天皇に十七帖の臨書を献上、喜ばれたようです。
梧竹は全国各地を旅して回っています。各地に梧竹研究会があるようです。
中林さんとわたしの共通する所は、同じ高校で学んだと言うことと、お互い酒飲みで音楽が好きという事でしょう。
梧竹と私のご先祖様の共通するものがあるとすると、草場はいせん門下と言うことぐらいでしょう。
並木の向こうに観音堂
空が綺麗すぎたからパチリ
どんな青空より、故郷の青空はかないませんね
早く帰って来いよと言うようですね。
今日は夕焼けを撮りに行こうと思います。