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買春王国の女たち──娼婦と産婦による近代史

森崎和江,2024,買春王国の女たち──娼婦と産婦による近代史,論創社.(7.11.24)

「妻」と「娼婦」をめぐる、藩政末期から売春防止法の成立までの100年の歴史を、聞き書きの手法で明らかにした名著を復刊する。森崎女性史の集大成!

 本作品には、売春防止法成立までの100年におよぶ女性史が収められている。

 舞台は、「買春王国」、福岡である。

「売春王国」と男たちは誇った。買春王国というべきだが、女が売りたがるのだと解釈されつづけた。
(p.150)

 ときは明治33年。

 公娼は国家管理となってほそぼそながら廃業への道ができた。けれども娼妓名簿に登録されぬまま売春を強要される料理屋の酌婦たちには、廃業の道はない。行政上も一般も、彼女たちを私娼と呼んだ。または、いんばい、じごく、と俗称した。貸座敷免許のない娼街の各楼に娼妓同様前借金で抱えられた一二~一三歳からの女たちである。
 この無免許の娼楼を行政上、三等料理屋と呼ぶ。一般に、あいまい屋、いんばい屋、と呼んだ。福岡県では一八(一八八五)年元旦から施行の「料理屋飲食店取締規則」があり、客の宿泊や、芸妓まがいの所業を禁じていたが、売春にはふれてない。そして実情は娼街である。内務省令第四四号で全国の公娼規則が統一された三三年に、「料理屋飲食店取締規則」を県は改めた。
(p.89)

 旧憲法と旧民法により法体系に組み込まれた家父長制は、イエの存続のために子を産み、家事労働を担う女と、男の性欲を充たすための存在であり子を産まない売春婦、公娼、酌婦という、二つの身分をつくり出した。

 国際連盟の働きかけや、廃娼運動家のたたかいによって、公娼制度下の女たちの身柄拘束は「売春王国」は別として、各県ごとにかなりゆるやかなものとなった。娼妓たちの公休や、小遣い銭の所有などという規則改正は、娼妓を性の奴隷身分に固定させようとする業者や、それを当然視する一般的な観念に風穴をあけるものだった。廃娼は無理だが、時代に対応して娼妓身分を娼妓職として取りあつかおう、という態度である。
 それは女たちを家制度下の女と、公娼制度下の女に二分し、前者は家のために子を産む性、後者は男一般のために性交しつつ産まない性としていた男中心の性観念を、後者の女も前者へ個別にもどれるものへと、一本化しようとするものといえた。政府および識者の基本姿勢が、先進諸国の反応に対応しながらなお家制度維持へと整いつつあることをうかがわせる。
(p.136)

 カネで女を買うことを当然のこととする感覚と価値観に支えられた公娼制度は、戦場で女性を徴集し性欲充足の道具とする従軍慰安婦の制度につながっていく。

 アジア民族女性の従軍慰安婦への強制連行は、日本の敗戦のあと、半世紀近くたった一九九○年前後から、韓国を中心として日本内外で問われはじめた。日本政府は軍や政府との関係を否定していたが、しだいに資料が明るみに出されはじめた。近代日本が公娼制度を社会の必要具として、家制度維持に利用してきた結果であった。男の性を中心として天皇制の元に体系化し、男の「家」の外での性交は責任を問わぬことを法制化していた。女たちは法のもとで無能力であり、戦時下では未婚一掃を指令され、人的資源を絶やさぬよう産むことを強要された。こうした発想下で、産まぬ女という娼婦幻想が慰安に挺身するのは、当然のことと考えたのである。
(p.181)

 売春防止法は施行されたが、「買う男」が罪に問われることはなく、売買春の場は、性風俗店から飲み屋に至るまで拡散していく。

 当初の相談員の一人は語る。
「尾を引くのですね、くりかえし、くりかえし。売春は法的には消えたのですけど。売防法でやめるときにいくらかのお金を業者に渡して縁を切った方と、転職でトルコぷろに行って、ずっと関係を引きずっている方と・・・・・・。やめると同時に、たいがいヒモがついていまして。ヒモといっても、なじみ客でね。
 けど、まあ、だいたい何かの形で片がつきました。里に帰るとか。よその土地から来ていますから。従業婦に地元の人はいないです。なじみ客と結婚した方もいます。
 表向き売春は消えて、陰の潜在売春がはびこってきたんです。特飲店の女中さんとか、バーのホステスとか。そんな売春はとめられないです。市内に、ずらーっと、そんな飲み屋が並びましたもの」
(p.253)

 森崎さんが描いた「買春王国」の実態は、けっして過去のものではない。

 『買春王国の女たち』[森崎1993]とはよくも名づけたものだ。本書を読む読者は、わずか一世紀前に、女性が家の内外で、モノとして、商品として、牛馬のごとき家畜として、一生忍従を強いられる下僕としてどのように扱われていたかを知って震撼するだろう。娘は売り買いされた。また家と家のあいだでやりとりされた。女には忍従のほか選択肢はなかった。反抗すればもっと厳しい打擲が待っていた。男には多妻も畜妾も許され、主人やその息子は奉公人に手をつけ、孕ませた。悪所通いも女郎買いも男の道楽だった。その気になればいつでも凌辱することのできる女がそこには待っていた。避妊せずに性交し、妻を次々に孕ませた。闇の堕胎や嬰児の圧殺を、自分は手を下すことなく、女に強いた。
 セクシュアル・ハラスメントという用語も、ドメスティックバイオレンスという概念も、まだこの世に存在しなかった。だが、こんなふうに書き連ねると、今とどう違うというのだろう?男が風俗に通い、少女がSNSで「神待ち」をし、上司が部下をセクハラし、実父や義父が娘を長期にわたって性虐待し、避妊なき性交に妻が妊娠の恐怖に怯え、女子大生が産み落とした嬰児を公園の片隅に埋める・・・そんな事件が次々に目の前で起きる、この時代と?
(上野、p.266)

 専業主婦、娼婦に加えて賃金労働者の女性、この三つのカテゴリーによる分断支配は、現在もなお続いている。

 売買春──金銭を介した人身、人心売買が継続しているのは、政治家をはじめとして、「女を買う」、おのれの卑しい心性を恥じもしないセクシストたちがいまだに権力中枢にまで蔓延ったままであるからだ。

 「家婦」「労働婦人」「娼婦」の三つのカテゴリーに女は分断支配され、互いに隔離されて反目を強いられる。家婦は労働婦人(それは働かざるをえない女に対する蔑称だった)を階級的に蔑視し、性規範の上から娼婦を差別する。自分が労働婦人や娼婦の立場に身を落とすことがあろうとは想像もせず、また彼女たちは互いに交わる接点も持たない。家婦の貞操は「守られる」が、言い換えれば監視され、貞操を強いられる。森崎の筆は姦通罪の片面性に切り込む。男の性は自由なのに、いったん男に所属した女の性は、正妻であると妾であるとを問わず、管理下に置かれる。なぜなら妻は男のモチモノだからだ。
 労働婦人たちは夫の横暴や遺棄、そして何よりも貧困のために最底辺の賃労働に従事する。子どもを自分の乳で抱いて育てる自由もない。農家の女たちは何よりも労働力として家に迎えられ、保育所もない時代には、子どもを育てるのはもはや労働に耐えなくなった祖父母や、近隣の共同体の役目である。女坑夫は男と共に前山・後山の一組の労働団を組んで、一日中命がけで坑内で働く。炭鉱住宅には保育所ができたが、森崎は保育所が、児童福祉施設ではなく、女性を労働に駆り出すための施設であることを指摘する。そのとおり戦後の保育行政は児童政策でも家族政策でもなく、何よりもまず労働政策であった。そして女性労働者には、当然のようにセクハラがつきまとっていた。奉公人の女性は主人やその息子に犯され、孕まされ、男は責任をとることなく、「身持ちの悪い」女として里に帰す。女は罰されるが男は罰されない。なぜなら「貞操を守る」責任は女の側にあるからだ。
 娼婦は人身売買のもとで奴隷状態に置かれた最底辺の女たちだ。産児制限の一種である「子戻し」「子返し」のなかでも女の子は救われる、なぜなら「売れる」からだ。父や夫にとっては、娘や妻は所有物にすぎないことがよくわかる。人身売買が年季奉公のような「契約」に置き換わっても、実態は少しも変わらない。明治政府のもとでの「公娼制」がどのような紆余曲折を経て、業者の利益を守ったかを森崎は克明に描きだす。売淫廃止に政治家が消極的なのは、彼ら自身がその有力な顧客だからだ。伊藤博文の乱倫は有名だし、男女同権を唱えた植木枝盛にしてからが、民権演説会で各地を廻るたびに、「○○にて登楼す」と臆面もなく『植木枝盛日記』に書く。売られた女に人権はない。彼女たちは隔離され監禁され、外出の自由もないから、家婦や労働婦人と接触の機会もないだろう。家婦が産む性、避妊もなく産まされる性だとしたら、娼婦は産めない性、産むことを禁じられる性だ。
 だが肉体の自然は彼女たちに妊娠をもたらす。刑法堕胎罪は彼女たちには適用されず、野蛮で苛酷な中絶が行われる。彼女たちは子をなすことを認められないばかりか、再生産さえ期待されない消耗品扱いであった。多くの娼婦が二〇歳までに死んでいったという事実はそれを証明する。売春公許の最低年齢を一四歳とするか一六歳とするかの攻防は、性産業がどれほど政治とふかく結びついているかを示す。そしていずれの規制も「植民地を例外」としたことは、植民地人の人権もまた、無視されたことを意味する。
 女を分断支配する家父長制には、それぞれ家父長制の代理人というべき女がいた。家婦は家の最底辺の労働力である「嫁」として婚家に入り、「牛馬に劣る」扱いを受けた。嫁の労働を差配し、管理したのは戸主の妻である姑である。森崎は嫁の立場の女がどれほどの苦役やひもじさに耐えたかを聴き取りするが、嫁にそれを強いた姑も、過去に同じ経験をしてきたはずなのだ。森崎が福岡女性史を執筆したときの元「嫁」たちは、おそらく日本社会における最後の嫁世代、自分たちは姑に仕えたが、自分の息子の嫁たちにはもはや仕えてもらえない過渡期の世代だったことだろう。
(上野、pp.267-269)

 二〇二三年に成立した改正刑法は、性交同意年齢を一三歳から一六歳に引きあげたが、その審議の過程にも男たちの抵抗があった。なぜなら...男たちが女を性的客体として消費したがっているからだ。「中学生の女の子が中年の男に真剣な恋愛感情を持つこともある」というレトリックを行使して。吐き気がする。こんな社会の現実は、森崎が描いた「買春王国」とどこが違うというのか?
(上野、pp.271-272)

 家父長制、セクシズム、ミソジニーに覆い尽くされた「買春王国」の悲惨は、いったいいつになったら終わるのであろうか。

目次
第1章 風習とともに
第2章 家制度の確立へ
第3章 浮かぶ瀬もなし
第4章 売春王国とデモクラシー
第5章 軍国時代
第6章 敗戦
第7章 娼楼の灯を消す


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