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企業ファースト化する日本──虚妄の「働き方改革」を問う

竹信三恵子,2019,企業ファースト化する日本──虚妄の「働き方改革」を問う,岩波書店.(7.10.24)

「世界一企業が活躍しやすい国」を目指す安倍政権は、労働規制を大幅に緩和。そして、いま「働き方改革」の名のもとに、働く者の権利も、労働環境も、セーフティネットであるはずの公共サービスも、企業のためのものへと変質させられようとしている。危険な労働政策の実態と本質を暴き、働き手の対抗策を探る。教員の過労問題や外国人労働者受け入れ問題、水道民営化、公務労働の非正規化・民営化など、注目を集める問題にも鋭く切り込む。

 第二次安倍政権下で推進された「働き方改革」の虚妄、欺瞞を、深くえぐり出した好著。

 「働き方改革」関連法の制定により、過労死ラインの残業時間が晴れて合法化され、裁量労働制や「高度プロフェッショナル制度」の拡充により、ほぼ青天井の労働時間の増加が進行した。

 家事、育児、介護労働との両立が課せられる女性は、そうした長時間労働に耐えられないことが多く、正規社員を諦め、非正規化していく。

 また、日本の「同一労働同一賃金」の原則は、職務内容を精査することで適用されるものではなく、転勤、異動要件を受け入れる者にのみ適用されることで、それができない女性労働者は、その原則からはじき出され、非正規社員はもとより正社員であっても低賃金で処遇されることになる。

 女性にとって経済的自立を得るための「労働力」も、貨幣を稼いで市場から暮らしに必要なモノを調達する「消費力」も、子どもを産み育てる喜びを得る「出生力」も、憲法第二七条の勤労権、第二五条の生存権、第一三条の幸福追求権へ向けて発揮されるべきものだ。「男女共同参画社会基本法」も、前文で憲法の「個人の尊重と法の下の平等」を踏まえ、「男女が均等に政治的、社会的及び文化的利益を享受できる社会を目指す」とされている。だが、そうした個人の幸福のためであるべき女性の三つの潜在力が、「輝く」政策のもとで、国力増強へ向けた企業や国のための「三つの資源」とされていく。二〇一四年三月二八日、「総理主導で女性が輝く社会の実現に向けた全国的なムーブメントを創出し、社会全体で女性の活躍を応援する気運を醸成していく」(首相官邸ホームページ)ためとして、「輝く女性応援会議」が開かれた。趣旨説明には「人口の半分の女性たちの能力が、それぞれが望む形で、社会で発揮されるようになれば。そうなれば、日本はもっともっと強く豊かになれるはず」(傍点引用者)とある。国力増強のための能力発揮の要請が、ここにも見てとれる。
 女性に厳しい「働き方改革」
 もちろん、こうした女性の資源化や動員で「国力が増強」したことが、回り回って女性の経済力や意思決定力、自立度や自由度の向上につながるならば、「輝く政策」は、鹿嶋が述べるような、共同参画へのプロセスと言えるかもしれない。そこで次に、三つの資源化が、女性たちにどのような影響を及ぼすかを検証していきたい。
 まず「女性の労働力」である。
 第1章で述べたように、政府の「働き方改革」では、繁忙期は二~六カ月間の平均残業時間の上限が月当たり八〇時間まで、一ヶ月一〇〇時間未満という過労死基準すれすれの残業時間の容認が労基法に書き込まれ、「一日八時間労働」は原則のひとつに相対化された。これにより、「一日八時間労働」という生活時間を守るための拠点は、影が薄くなった。長時間労働の温床となりやすい裁量労働制の拡大は、データ改竄問題で、いったん引っ込められたものの、「高専門、高収入」に分類された働き手が労働時間、休憩、休日、深夜に関わるすべての規制から除外される「高度プロフェッショナル制度」は導入された。
 二〇一八年六月一二日の参議院厚生労働委員会では、福島みずほ議員(社民党)が、参考人として招かれたワーク・ライフバランス社の小室淑恵社長に、「高度プロフェッショナル法案で労働時間規制をなくせば女性は本当に働けなくなると思いますが、その点についてはいかがですか」と質問し、小室は「労働時間の上限ということをきちっと入れて、高度プロフェッショナル制度以上に、大多数の職場に早く時間当たりの生産性が求められるような状態というのをつくっていくことが大事」と答えている。だが、小室が求める一日単位の労働時間規制として期待を集めた「勤務間インターバル規制」(終業と翌日の始業の間に一定の間隔をあける規制)は努力義務にとどまっている。
 賃金についてはどうだろうか。働く女性の五割以上が非正規という中で、「働き方改革」での正規と非正規の「同一労働同一賃金」は、多くの働く女性の希望の星だった。だがこれも、第2章で述べたように、「職務内容」だけでなく、「職務内容・配置の変更範囲」(異動や転勤ができるかどうか)、「その他の事情」に照らした判断が法律化された。二〇一六年の「パートタイム労働者総合実態調査」によると、「同じ職務内容」のパートは六・五%と少ないが、「人事異動等の有無や範囲が正社員と同じパート」となると、このうち一・五%(事業所調査)と極めて少ない。家族へのケア責任があって転勤が難しいためにパートを選ぶことが多い女性にとって、この条件で「同一賃金」となることは針の穴をくぐるほど難しい。しかも、ILOなどの国際基準による職務分析とその点数化による客観比較ではないため、女性の仕事ぶりへの男性上司の偏見を正すことも難しい。このような国際基準の職務評価の手法は、日本の女性が、いくつかの賃金の男女差別裁判を通じて、少しずつではあるが勝ち取りつつあったものだった。「働き方改革」は、転勤や残業の恒常化といった女性の低賃金の原因となってきた慣行を法律で追認したかのような結果になった。女性の非正規が事態を改善する余地は狭められた面さえある。
 地方公務員法・地方自治法改定(第3章参照)で生まれた「会計年度任用職員」も、パートへの期末手当は新たに認められたものの、職務内容にかかわりなく、時間が短いだけでほぼ従来通りの低賃金に据え置かれることが事実上合法化され、格差が固定化されかねない結果となった。オランダでの「労働時間差別の禁止」に抵触しかねない改変だ。女性を直接差別しなくても、女性に不利な条件を入れることで結果的に女性が不利となる仕組みは、欧米では「間接差別」として禁止されていることが多い。「会計年度任用職員」の制度は、家庭のケア責任との兼ね合いで短時間労働を必要とする女性にとって「差別」として機能しかねない。
(pp.143-146)

 「女性活躍」、「一億総活躍社会」の実相は以下のとおりである。

 少子化による企業の人手不足への対応策としての女性の「労働力」と「出生力」の利用→家庭内の介護・保育要員としての女性の不足→不足分を、税や労働時間規制による国企業の負担ではなく、①高齢者・若者・主婦らのボランティア的低賃金労働、②外国人女性家事労働者、③三世代同居による高齢女性の無償労働の活用などで補填→これらを公的サービスではなく、新商品として人材ビジネス業界に開放し、女性の「消費力」の活用で「GDP六〇〇兆円」に寄与させる(加えて、高齢男性の再雇用や障害者雇用の促進で、新しい低賃金労働力を調達しつつ、年金や社会保障費を削減する)。
 こうした「消費力」としての女性活躍をめぐって、もうひとつ注目されるのが「融資先としての女性」の活躍だ。「借金力」とでも言おうか。
 「異次元の量的緩和」でだぶついた資金を、どこに貸し出すかは今、金融機関の悩みのタネだ。そこで着目されているのが、女性への住宅ローンだ。だが、経済学者の足立眞理子の聞き取り調査によると、「借り入れ可能」な女性の購入者像として融資担当者が描く一般職女性といった要件を適用すると、非正規が過半数で低賃金が多い女性の八割は排除可能となる。そのため、「頭金なし」やパートでも払っている月の家賃を返済ローンが下回っていれば認めるなど、「多様な融資要件」を導入し、出産や介護などによる仕事の中断期間は利払いのみとして完済までの年数を伸ばす。これでは、利払いなどで元本返済は容易に進まず、生涯借金で縛られる女性の新しい貧困要因になりかねない。
(pp.153-154)

 政府の「働き方改革」の要点は、以下のとおりである。

 「労働力という生産の核となる機械が、『過労死』などによって損壊されない最低限の基準(=過労死基準すれすれの残業上限規制)を設け、女性や高齢者も含めたすべての使用可能な人的資源を、グローバル企業が考える「最適効率」に即して使い切る(=一億総活躍政策)ことで、企業ファーストの社会を形成していく政策」
(p.164)

 「企業ファースト社会」において、労働者の搾取がとめどなく進行する。

 このような労働市場の各層に、「働き方改革関連法」はどんな影響を与えるだろうか。
 「働き方改革」で、働き手は、「週四〇時間、一日八時間」という一律の労働基準から次の労働時間制度の対象者に移行する。①「繁忙期には最大一ヶ月一〇〇時間未満まで」「二~六ヵ月の平均が月当たり最大八〇時間まで」の残業を受け入れる、②「高度プロフェッショナル制度」のもとで、労働時間、休憩、休日、深夜など労働時間に関わる労基法の規制から除外されて不払い残業を引き受ける、③「裁量労働制」のもとで、一定の労働時間規制の適用はあるが仕事量に応じて「自由に」自らの「裁量」で残業を引き受ける、のいずれかだ。①は繁忙期の過労死ぎりぎりまでの残業受け入れを通じて、②③は働き手の労働時間を考慮せずに仕事量を増やせる仕組みを通じて、同じ仕事にかける人員を抑制できる。
 企業の生産性(労働生産性)は「付加価値額÷投下した労働量(=社員数または社員数×労働時間数)」の計算式ではじき出されるとされているから、分母の社員数か、労働時間数(実は見せかけの労働時間数)を減らせば、数字の上では生産性は上昇する。というわけで、①②③はいずれも、実際の付加価値額が上がらなくても見かけの生産性を上げることに役立つ。その意味で、人口減少と賃金の低迷による消費減退の時代に、知恵を使って生産額を上げるような経営ができないタイプの企業トップにとって、「働き方改革関連法」は生産性上昇の便利な道具になりうる。
(p.167)

 これまでの検証からは、生産年齢人口の減少による人件費コストの上昇を防ぐため、「女性」「高齢者」「若者」「外国人労働力」といった周辺的な労働力を労働市場に送り込んでいく装置としての「働き方改革」の顔が浮かんでくる。それは、過労死を招く長時間労働や、「雇用管理の違い」によって固定化される非正規労働の低賃金、転勤できなければ低賃金でも仕方ないという高拘束の労務管理、必要なときに必要なだけ導入して不要になれば追い返す外国人労働政策などを、「美しい衣装」で隠して追認・合法化するものでもある。
 労働権の強化によって働き手を豊かにする労働政策ではなく、「国力」と「経済成長」に貢献する労働力を作る政策だ。そんな装置づくりを円滑に進めるために、従来の労働関係機関の外箱は変えないまま、グローバル企業のトップや、その成長の必要性を第一義とする「有識者」が内側から入り込んで占有し、静かに変えていく手法が多用される。報道や統計にも統制されているのではないかとの疑いが生じ、客観的な情報が不足する中で、「高度成長期劇場」が上演される。
 賃金の伸びが鈍い一方で、二〇一七年度の法人企業統計では、企業の利益剰余金(内部留保)は前年度より四〇兆二四九六億円(九・九%)増えて四四六兆四八四四億円と、六年連続で過去最高を更新した。原因について記者に問われ、ある官僚はこう答えたという。
「自分の口からは言いにくいが、低賃金の非正規の高止まりと、正規の賃金が上がらないことで働き手に金が回っていかず、企業にカネが残る。これがやはり大きい」
(p.188)

 だが、日本のその後の歩みはむしろ、「賃金が上がらないから日本がつぶれる」方向をたどり続けてきている。経済学者の岡田知弘・京都大学教授は、安倍政権の主流を占める日本再興戦略推進派の間で見られる「日本は資源が少なく少子高齢化が進んでいるので輸出で稼ぐしかない」といった論に、「輸出それ自体では経済的価値は増えない」と述べる。富を生み出しているのは雇用者や自営業者などの勤労者の働きであり、どの国も、国民所得の中で最大の比重を占めるのは雇用者報酬だ。そちらに富が回らないと国民所得も伸びないという指摘だ。
 岡田によると、一九九五年を一〇〇とした各国の雇用者報酬総額の推移を比べると、第二次安倍政権下の二〇一五年時点で日本だけが一〇〇を割り込み、米国や英国は、失業率は高くても雇用者報酬総額は倍に増えている。日本では、資本金一〇億円以上の大手企業の労働分配率も二〇一一年度の六〇・六%から二〇一六年度の五二・八%へと低下し、一方、企業の内部留保と株主への配当が急増している。背景として、一九九六年の「経団連ビジョン二〇二〇」や二〇〇〇年代初頭の小泉改革などを通じ、雇用の規制緩和が進んで、非正社員が増えて働き手に賃金が回りにくい仕組みがつくられ、加えて、法人減税や補助金支給による企業への補填もこれに寄与した、という見方だ。
 こうした流れを促したのが、産業構造の転換だ。戦後の復興景気の終焉と低成長の中で、一九七〇年代以降、モノが売れない時期が続いている。製造業では利益が上がらず、カネを動かすことで利益を取ろうとする動きが世界中で進んでいる。労働者はかつて、大量生産を支える大量消費の担い手だった。だから、労働者の賃金を極端に下げれば、企業の利益にも大きな影響が出た。だが、カネを動かして利益を取る動きが主流化したいま、労働者にカネを回さなくても利益を上げる道が広がり、企業からの賃上げのモチベーションは弱まる。
 そのような構図の中では、企業の自主性に任せておくだけではカネはなかなか働き手に回らない。最低賃金の引き上げや、「あの人たちは安くても当たり前」という差別意識を利用した賃下げに風穴を開ける真の同一価値労働同一賃金など、賃金を引き上げるための意識的な政策が、社会の必須のアイテムになってくる。
 そんな私たちに問われているのは、企業の業績さえ上がれば賃金は自動的に上がるという神話を捨て、企業の利益向上が確実に働き手の働きやすさに結び付くような労働時間制度や賃金制度を、現場の実状に合わせて、ひとつひとつどう獲得していくかだ。
(pp.212-213)

 これまで述べてきたような実体にもかかわらず、政府の「働き方改革」が何となく「いいこと」と受け止められてきたのには、いくつかの原因がある。ここからは、その原因をたどりつつ、それを生かして「本当の働き方改革」に転化させる方法をさぐっていきたい。それが、私たちにとっての「本当の働き方改革」のためのヒントになると考えるからだ。
 原因の第一は、「現場からの働き方改革」の存在だ。安倍政権の特徴は、「有権者のために国は何ができるか」から、「国のために有権者は何ができるか」への転換にある。「一億総活躍政策」も「国家とグローバル企業の成長のための働き手の総動員」であり、「働き手を豊かにするための国と企業」という戦後社会の原点の転換が行われている。「働き方改革」でも同様に、「労働者保護」から「働き手の生産性への貢献」への働き方のルールの転換が見られる。にもかかわらず、各職場での「早く帰る工夫」などといった、「現場からの働き方改革」運動がマスメディアなどでクローズアップされ、それが明るいイメージを喚起して「高プロ」などの危険性を覆い隠す役割を果たした。プロローグの図0-2のように、「高プロ」など、労働の規制緩和の毒入りあんことしての法律が、「現場の働き方改革」というおいしげな皮でくるまれ、「残業の規制」「同一労働同一賃金」といった労働側の言葉を流用した美しいパッケージで飾られている「毒まんじゅう」としての「働き方改革」だ。
(pp.214-215)

 長時間労働の常態化、労働強化、「会計年度任用職員」の公務員も含めた雇用の非正規化、理不尽な「同一労働同一賃金」要件による女性への間接差別、使い捨ての労働力としての外国人活用等々、「企業ファースト社会」において進行する搾取の構造を、本書は見事に解き明かしている。

 搾取をなくしていく方途を考えると、暗澹たる気持ちになるが、諦めたらそれで終わりだ。

目次
プロローグ フェイクとしての「働き方改革」
第1章 「上限規制」という名の残業合法化
第2章 差別を固定化させる「日本型同一労働同一賃金」
第3章 公務の「働き方改革」の暗転
第4章 「女性活躍」という資源づくり
第5章 「企業ファースト社会」の作られ方
第6章 「本当の働き方改革」の作り方
エピローグ 忘却を乗り越えるために


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