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本と音楽とねこと

エッセンシャルワーカー──社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか

田中洋子編著,2023,エッセンシャルワーカー──社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか,旬報社.(4.15.24)

 コロナ禍において、感染リスクを負いながら、人の命と生活を守る職務を遂行し続ける医療・介護従事者に対し、「Clap for Carers(医療・介護従事者に拍手を)」というフレーズが唱えられたのは記憶に新しい。

 また、デヴィッド・グレーバーのブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論が嚆矢となり、「クソどうでもいい」仕事に高給が保障され、人の命と生活の持続に不可欠の仕事が冷遇されている理不尽にも関心が向けられることになった。

 エッセンシャルワーカーとは、医療・介護従者を含む、人の命と生活の持続に不可欠の仕事に従事している人々のことであるが、本書では、スーパー、飲食業従業員、相談支援員、保育士、看護師、介護士、ごみ収集作業員、トラックドライバー、建設作業員、アニメーター等の職種が取り上げられている。
 アニメーターがエッセンシャルワーカーであるのかについては議論の別れるところだろうが、アニメ、映画、文学作品、美術、音楽等には、人間に実存──生きる意味を与える大きな力があり、その意味で、人が生きるには文化が欠かせない、こうした認識が背景にある。
 なお、ドイツでは、2020年3月23日、連邦政府文化メディア担当大臣、モニカ・グリュッタースが、「アーティストは、いま生きるために必要不可欠な存在である」と述べ、文化産業従事者に対し、多額の、「即時支援」、「個人の生活の保護」、「法的措置の緩和(家賃や保険料の据え置きなど)」の3本柱からなる救済策を提示した。

 本書は、一般向けに編まれた著作であるが、学術書に要求される、事実記述を裏付ける根拠の提示がきちんとなされており、労働社会学、産業社会学の研究書としても、高いクオリティを達成している。

 エッセンシャルワーカーのうち、スーパー、飲食業従業員、相談支援員、保育士、看護師、介護士の労働条件が悪く──とくに低賃金で、就労が不安定な非正規労働者が多い──そして女性が圧倒的に多数を占めるという実態がある。

 バブル経済崩壊までは、一家の稼ぎ手としての男性(male breadwinner)の賃金水準とその安定性が高く、その扶養下にある女性と子ども(学生)の非正規労働者としての賃金は低くとも問題はないとの、暗黙の前提があった。

 しかし、バブル崩壊後、30年以上にわたって、男性正規労働者の実質賃金はほぼ一貫して下がり続け、女性と子ども(学生)の就労は、世帯とその構成員の生活に欠かせないものに変質した。

 「家計補助だから低処遇」で良いという低賃金を正当化する理屈は、「自活型非正規の増加」の前に、その根拠を失っている。
 また、「単純作業だから非正規」(で良い)という理屈も、低処遇のまま進行する、パート主婦やアルバイト学生の基幹労働力化を前に、同じくその根拠を失っている。
 そして、新たに登場したのが、「残業・転勤しないなら非正規」(で良い)という理屈である。
(pp.322-326)
 しかし、本書で比較対象国として取り上げられているドイツでは、ごく一部の幹部昇格組を除いて、「正規社員」に転勤要請に応じる義務はないし、残業(時間)も厳しく制限されている。

 「残業・転勤しないなら非正規」(で良い)という奇妙な理屈を正当化したのが、「パート労働法」であった。

 もう一つは、一九九三年制定、二〇〇七年改正のパート労働法が、残業や転勤の有無による処遇格差を法的に正当化したことにある。
 この法律では、正社員とパートの異なる取り扱いを禁止した一方で、仕事の内容と責任、人材活用の仕組み、契約期間が異なる場合の処遇格差は問題ないとした。特に「人材活用の仕組み」の違いとして、「転勤の有無」、「将来にわたって転勤をする見込みがあるかどうか」、「全国転勤かエリア限定転勤か」が考慮されることになった。二〇〇〇年のパートタイム労働に係る雇用管理研究会報告書でも、「正社員と比較して、残業、休日出勤、配置転換、転勤がない又は少ないといった事情」により格差をもうけられることが明確に認められた。
 ここにおいて、転勤と残業・休日出勤という、空間的・時間的に無限定に働くことを受け入れるかどうかが、正規・非正規の処遇格差の新たな正当化の根拠となったのである。
 男女雇用機会均等法の実施に際して、コース別雇用管理に新たに転勤条件を組み込んだ企業内制度と、それに寄り添ったパート労働法の制定・改正により、正社員の過酷な働き方と非正規の低処遇という不幸な二元構造は法的根拠をもって促進されていったのである。
 転勤と長時間残業が正社員の前提とされたことは、特に女性のキャリア形成と経済的地位の向上にとって決定的なマイナスの影響を及ぼした。これは正社員として長く勤め続けるハードルを異常に高くし、特に育児中の女性に大きな無理をもたらした。やむなく離職に追い込まれる女性は後を絶たない。自分や家族のためにはじめから非正規を希望する女性も増える。結果、日本では女性管理職も大きく限定され、一度非正規になるとずっと低処遇のままで収入も低く停滞し、それが世界的に異常に低い女性の地位をもたらしている。
(p.327)

 この国では、大企業の経営者、政治家、官僚が結託して、働く者からの搾取が行われてきたことがよくわかる。

 児童・高齢者虐待やDV、ストーカー被害の防止、生活困窮者支援等、自治体の相談支援業務は拡大してきた。

 しかし、それら相談支援業務に就く者の多くが、非正規労働者であり、かつ女性である。

 生活保護担当面接相談員もその端的な例であり、生活困窮者の支援の窓口業務を担う公務員自体がワーキングプアであるという、グロテスクな構図さえ現出している。

 相談支援の専門職が、まっとうなキャリアとして成立するよう、抜本的な制度改革が必要だ。

 正規公務員には三年前後で異動する人事制度があり、相談支援業務の担当になったとしても三年未満しか仕事を経験できない。幅広い人事ローテーションを通じてジェネラリストとして養成されるのが正規公務員のキャリアパスであり、そこでは一つの分野での長年の経験は蓄積されない。これに対し、異動しないで現場で長い業務経験を蓄積することで多くの知識と高い専門性を得るエキスパート型の専門職は、この一般の昇進キャリアに乗らない。以前はこうした専門職も正規公務員の一つのタイプであったが、徐々に高い専門性をもつ人々は、人事異動を通じて上に上がる正規公務員から別扱いされていき、ついには専門職の非正規公務員という低処遇の身分に押し込まれるようになってしまった。
 ここには、頻繁な人事異動を通じてジェネラリストにならなければ正規の公務員にはなれない、という組織内部の人事の論理が存在している。そのため現場で長く一つの専門領域で経験・知識を積むタイプの人は、正規公務員からはずされる。結果として、異動を前提に公権力を行使する、ジェネラリスト型公務員だけが予算削減の中で正規として残り、相談支援を専門職として担う人々はそこから排除され、非正規化したのである。
 しかし、法律でその必要性が規定された相談業務は、人の生活・人生や命に直結する重大な使命をもつ仕事であり、専門的な深い知識や長年の経験に裏打ちされるほど、より的確な対応が可能になる。こうした人々を一年の有期契約・安い時給という低処遇で不安定な非正規公務員にとどめることは全く不合理であるだけでなく、そもそもあるべき公共サービスとして相応しいものであるとは言えない。
 この状況を改善するためには、当然のことながら、法律で求められている業務を担う人々を正規公務員で雇うことが必要である。そのために必要な予算措置を講じる政治的決定が必要である。この二〇年間続けてきた予算削減・人員削減・規制緩和の政策の方向を逆転させることが求められる。
 それと同時に、社会的重要性を増す相談業務を、公権力の行使と並んで、公務員の重要な仕事として行政的・
法制度的に位置づける作業、そして第II部第1章で提案されたとおり、異動昇進型の正規公務員以外に専門職型の正規公務員を人事制度に組み込む制度改革が必要となる。人事異動型のジェネラリストだけでなく、現場のベテランの専門職を、非管理職・非ジェネラリスト・非出世型の専門職型正規公務員と位置づける制度をあらため創設する必要がある。
 苦境に陥った時に私たちを支援してくれる専門の相談員が、安定した勤務・給与基盤のもとで、自分の生活への憂いなく働けるようにするため、制度を変革するための世論と政策の形成が重要である。
(pp.338-339)

 20世紀前半に成立し、戦後の高度経済成長期(「資本主義の黄金時代」)に全面開花した「フォーディズム」の特徴の一つに、「構想と実行の分離」がある。

 「構想」を担うのは知識労働者であり、経営、技術開発等にたずさわる。
 「実行」を担うのは現場、現業労働者であり、フォーディズムにおいては、構想部門(あたま)と実行部門(手足)が分離しながらも、両者が有機的に結びつき高い生産性を上げることがめざされた。

 そして、ポスト工業社会──経済の主役が、とくに従事者数の点からして、サービス産業に移行したポストフォーディズムの社会においては、人口構成の高齢化もともないながら、医療、介護、相談支援、保育、販売等の「実行」部門の拡大、自律化と、エッセンシャルワークの、人の命と生活を守るという意味での重要性が高まってきた。

 エッセンシャルワーカーを低処遇のまま捨ておくことは、わたしたちの命と生活を危険にさらすことにつながる。
 このことは、エッセンシャルワークの現場において、人材不足が深刻化していることからも明らかであろう。

 バブル崩壊以降の、行財政改革、雇用制度改革は、企業や自治体が、人件費を削減すべく、安易に雇用の非正規化を推進し、経営体のイノベーションによる生産性向上、新市場開拓の自助努力を放棄することにつながった。

 谷本真由美さんの激安ニッポンでも明らかにされている、先進産業国における、日本の経済競争力の低下、異常なほど低い賃金水準も含めた国民生活の窮乏化、その要因と問題解決策は、本書で指摘されているとおりであろう。

 一九九〇年までの日本は、日本的雇用による生活保障が雇用労働をほぼカバーし、現場で働く労働者も社員や現業公務員として正規の一員だった。頭脳労働と肉体労働の間に給与差はあっても、処遇はほぼ平等で、男性正社員は家族の生活を支えることができた。中小企業や自営業者、日雇労働者でさえ、系列や受注調整、商店街や保護政策、公共工事・公共事業など、さまざまな社会的安定装置によって守られる面があった。
 ところがこれらの安定化メカニズムは、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、自由競争を阻害する悪しき規制・旧弊、税金の無駄遣いとして廃止されていった。男性正社員が享受してきた生活保障機能も徐々に弱化し、氷河期世代以降多くの若い男女が非正規化し、小企業や自営業は大型資本との競合や過当競争・安値競争で追いつめられ、日雇労働者はホームレスになった。現場で働く人を安く使う一方で、管理・頭脳部分を担う正社員だけが守られる。まるで頭でっかちで手足がやせ細ったようなアンバランスな社会が形成されたと言える。 こうした政府・企業の方針が、なんの歯止めも抵抗もないまま拡大し、現場の働き方が三〇年にわたって悪化を続けたことは、低賃金社会、格差・貧困問題、女性の地位の低迷はもちろん、生活のきびしさ、展望が見えない閉塞感や不安感、働きづらさや生きづらさを社会全体に蔓延させた。
 その一方で、人を安く都合よく使うのに慣れた企業・組織は、その方法に安住したために自己改革の契機を失っている。安く使える人を利用してとりあえず数字を出すという安易な手法に頼った企業・組織は、近年の環境の急激な変化に対応する革新・改革の必要性に真剣に向き合う機会を失い、結果として日本経済の競争力も損なわれた。一九九〇年から今日まで、日本経済がどれだけ多くの世界的指標を下げてきたかは、この三〇年間に日本がとった選択が経済政策的にも間違っていたことを示している。日本にすっかり定着してしまったこの仕組みと考え方は、早急に更新される必要がある。
(pp.375-376)

 なにより先に手をつけるべきは、官民両面での、メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への転換と、ジョブ型雇用の原則を踏襲することで、同一価値労働同一賃金の原則を実現することであろう。

 本書で比較対象されているドイツでは、フルタイムの労働者と短時間労働者の均等処遇が実現している。

 時間あたり賃金が、フルタイムの労働者と短時間労働者で均等となる労働政策をいち早く実行したのは、オランダであり、その内実については、中谷文美さんのオランダ流ワーク・ライフ・バランス──「人生のラッシュアワー」を生き抜く人々の技法で詳しく知ることができるが、コーポラティズム国家として保守的な傾向の強いドイツでさえ実行できたことが、なぜ日本で実現しないのか、あまりに理不尽すぎる。

 政治家、官僚、大企業経営者、金融資本、労働組合、有権者等それぞれに責任があるのだろうが、どうしようもなく凋落、堕落したこの国が再生していくことを切に願う。

スーパー従業員、保育士、ごみ収集作業員、看護師、介護士、トラックドライバー…社会にとって不可欠な仕事(エッセンシャルワーク)の待遇はなぜこんなにも悪いのか。あまり知られていないそれらの仕事の実態から、なぜ待遇悪化が起きているのか、それが私たちの社会にどう跳ね返ってくるのかをあきらかにする。エッセンシャルワーカーの国際比較を通じて、現状を変えていくためのヒントも提言。

教員、スーパー従業員、看護師、介護士、ドライバー、ごみ収集作業員…“本物の仕事”なのに、なぜ低待遇のままなのか?頭でっかちで手足をやせ細らせた日本社会をアップデートするために。

目次
序章 知られていないエッセンシャルワーカーの働き方
第1部 スーパーマーケット、外食チェーンの現場 フルタイムとパートタイムの処遇格差―ドイツとの比較
第2部 自治体相談支援、保育園、学校、ごみ収集の今 予算削減で進む公共サービスの非正規化
第3部 病院、介護の現場はどうなっているのか 女性が中心に担うケアサービスの過酷さ
第4部 運送、建設工事、アニメーション制作のリアル 仕事を請け負う個人事業主の条件悪化
第5部 働き方はなぜ悪化したのか そのメカニズムと改革の展望


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