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本と音楽とねこと

余白の春──金子文子

瀬戸内寂聴,2019,余白の春──金子文子,岩波書店.(6.21.24)

「生きるとはただ動くという事じゃない。…自分の意志が動いた時、それがよし肉体を破滅に導こうとそれは生の否定ではない。肯定である」。関東大震災後の混乱のなか、伊藤野枝、大杉栄や、多くの朝鮮人が虐殺され、金子文子とパートナーの朴烈は大逆罪に問われた。無籍者、虐待、貧困―過酷な境遇にあって、自らの生を全力で生きた文子。獄中で自殺するまでの二十三年の生涯を、実地の取材と資料を織り交ぜ描く、不朽の伝記小説。

 本作品は、関東大震災直後に起こった、流言蜚語に端を発する朝鮮人虐殺、甘粕正彦等による伊藤野枝、大杉栄の殺害事件の話からはじまる。

 金子文子とパートナーの朴烈も、震災後、警察に検束される。
 そして、両名は皇太子襲撃の嫌疑で大逆罪を問われ、文子は獄中で首吊り自殺を遂げる。

 文子は、アナキストよいうより、ニヒリストであった。

 二十歳の時から、文子は自分の虚無思想をしっかりと自覚していた。東京地方裁判における第一回第二回の調書に、すでにそれは言明されていた。
 「前回の申立の如くに被告はどうして虚無主義の思想を抱くようになったか」
 「私は私の家庭の環境とそれによって社会から受けた圧迫とにより虚無主義の思想を抱くようになりました」
 「被告の所謂虚無主義とはどういう思想か」
 「私の思想之にもとづく私の運動は生物の絶滅運動です。親の愛という美名のもとに私をふみにじった親の権力、博愛の名に隠れて私を虐げた国家社会の権力、私はこの権力がたまらなく癪にさわります。
しいた
 地上に於ける生きとし生ける者の総ての間に、絶えずうまれる生きんがための闘争、生きんがための殺し合いの社会的事実を見て、私は若し地上に絶対普遍の真理と言うものがあるとしたならば、それは生物界における弱肉強食こそ宇宙の法則であり真理であろうと思います。すでに生の闘争と優勝劣敗の真理とを認める以上、私には『アイデアリスト(理想主義者)』の仲間入りをして無権力無支配の社会を建設すると言うような幸福な考え方の真似はできません。またしかも生物がこの地上から影を潜めぬ限りこの関係による権力が終止せず、権力者は呶々として自己の権力を擁護して弱者を虐げる以上、そのようにして私の過去の生活が総ての権力を否認し叛逆して、自分はもとより人類の絶滅を期してその運を計っていたのであります。
 それゆえ私はいずれは爆弾を投じて自己の最後を遂ぐる意思でありましたけれども、その結果日本に革命が起きようと起きまいと、毫も私の知ったところではない。私はただ自分の気持をさえ満たすればそれで満足しているので、形を代えた新しい権力社会を建設する手伝いなどをしたくはないのです」
 こうした思想を抱いた文子の心にひらく闇は、どこまで深いものか、心にひろがる砂はどれほど広いものか、そこに吹きすさぶ風の凄じさはどういうものか、そしてまた、本当に遺書一通残されなかったとすれば、文子はその起の瞳に何を映していったのだろうか。
(pp.65-66)

 デイヴィッド・ベネターの「反出生主義」を想起させる、冷たく乾いたニヒリズムが印象的だ。

 朴もまた、ニヒリズムの人であった。

 「しかし、どうせこの世の中は弱肉強食の世の中だよ。ロシアだって革命が終ってみれば、結局少数の権力者の思うままになって民衆はただ彼等にひきずり廻されている。全智全能の神という奴が、人間の弱肉強食の世界を見殺しにして一向に救うことも罰することも出来ない。何が全智全能なものか。最も無智無能なのが神という名の奴かもしれない。俺はもう何も信じていないのだ。朝鮮民族だって結局は馬鹿なのだ。日本の虐政に対して、何ひとつ復讐も出来ない。俺はどうせ、肺病で長くないし、いっそ死ぬなら、せめて一人で、爆弾でも投げて少しは日本の権力者に復讐してやりたいのだ。今はそれだけで生きているようなものさ」
(pp.308-309)

 文子の朴烈との純愛は、文子の一方的な思慕の告白にはじまる。

 「で、つまり、そのう、単刀直入にいいますけど、あなたは、そのう、配偶者がもうおありなの、いえ、恋人でも何でも、そんな方・・・・・・、もし、あの、あったら、せめて、同志としてつきあっていただけませんか」
 文子は赤くなったり青くなったりして終りまでいった。
 「ぼくは独身ですよ」
 「えっ、そうですか、嬉しいわ。ではあの、も少し、伺いたいんです。お互いの心の中を歯に衣きせず、はっきりいっていいでしょう」
 「もちろん」
 「あの、ところで······、私は日本人です。しかし、朝鮮人に対して別に偏見はないつもりです。でもあなたは私が日本人であるため、やはり反感は捨てられないかしら」
 「いや、ぼくが反感を持ち憎むのは、日本の権力階級です。一般民衆じゃありません。殊に、あなたのように珍しく何の偏見も持たない人に対しては、むしろ親愛感がわきます」
 「まあ、嬉しい、ありがとう」
 文子は思わず朴烈の手をとりたいような気になったが、朴烈が真面目なので、はしたないと思われそうでひかえていた。
 「では、もうひとつ伺うわ、あなたは民族運動者かしら・・・・・・、私、実は朝鮮に長くいたものですから、民族運動をやっている人々の気持はわかるような気がするのですけど、何といっても私は日本人ですし、朝鮮人のように日本に圧迫された事がないので、そうした人たちと一緒に、朝鮮の独立運動をする気にもなれないんです。ですから、もし、あなたが独立運動者だったら、残念だけど、私あなたと一緒になれないと思うんです」
 「ぼくもかつては民族運動に加わろうとした事はあります。でも今はそうではありません」
 「じゃ、あなたは全然、民族運動には反対なの」
 「いや、決して。朝鮮人と生れたからには、誰だって、やりたいでしょう。しかし、ぼくにはぼくの思想があり、仕事もあります。そのため、ぼくは民族運動の戦線に立つことは出来ないんです」
 文子は喜びと安心のあまり涙ぐんでいた。これ以上、自分の理想に近い男がまたとあるだろうか、これまでのどの男たちも、ただ、自分の上を気まぐれな季節風のように、通りすぎただけにすぎないように思う。自分の運命は朴烈にめぐり逢うため、この半生を生きていたのだ。あの辛い屈辱と汚辱にみちみちた半生を。文子は声を押えてようやくいった。
 「私、あなたのうちに私の求めているものを見出しているんです。あなたと一緒に仕事が出来たら、ほんとに嬉しいと思います」
 朴烈は大して表情を変えずむしろ冷たい声でいった。
 「ぼくはつまらん者ですよ、ぼくはただ、死にきれずに生きているようなものです」
文子がその店の支払いをしようとすると、朴烈が押しとどめた。
(中略)
 「ここまで理解しあってるんですもの、もう一緒に暮した方が、経済的だしすべてうまくいくと思うけど」
 それも文子の方からいった。
 「苦労しますよ。ぼくはどうせ長生きしないんだから」
 「いいわ、苦労はふたりでわけあうと少しは軽くなるでしょう。あなたをもう、病気でひとりで寝かせておいたりしないわ。あなたを寒がらせたり、ひもじがらせたりは出来ないわ。私にはあなたが必要なんです。あなたも私をきっと必要になってくれると思うわ。ね、私たち、一緒に生きて、そして、一緒に死にましょう」
 「文子さん」
 朴烈ははじめて、文子の肩を強く引きよせた。
(pp.276-279)

 文子は、朴に、自らと同じ過剰な生命力を認めていた。

 一見栄養失調らしい貧相な朴烈に一目逢って文子が惹きつけられたのは、朴烈の惨めたらしい外見の内につつまれた生命力の白熱の炎を、文子の心眼が映しとったからだろう。
 「俺たちはかかる残忍なる運命に対して絶対に復讐することを誓うぞ。俺たちは汝らがした暴虐とともに、この悪魔のごときやり口を限りなく呪っているぞ。赤い血を吐いて斃れるまで反抗して闘うぞ。俺たちは犠牲にされても、ただは犠牲にされないぞ。俺斃れるまで反抗して闘うぞ。俺たちは犠牲にされても、ただは犠牲にされないぞ。俺たちは滅ぼされようともただは滅ぼされないぞ。必ず復讐するぞ。汝らがいかに厳重なる取締りをしようとも、俺たち朝鮮三千万民族が完全に滅亡されてしまう最後の一人まで、俺たちの復讐戦は継続するぞ。否、汝らの圧迫が激しくなればなるほど俺たちの胸の中に燃える抗争の意識がますますハッキリ燃え盛って行くぞ。俺たちの復讐戦をますます猛烈に展開するぞ。だから汝らが、その満々たる帝国主義的野心をもって、いわゆる、文明的に間接化し陰険化して、いわゆる、文化政治とか仁政を行おうとしても、なお、依然として爆弾銃器の輸入を俺たちは自由にやってみせるぞ。いわゆる、不逞鮮人の暗殺襲撃はますます繁く、いよいよ深刻化してお前たちを襲うことを覚悟しろ。汝らのいわゆる厳重なる取締りは、俺たちにとっては、単に一種の興奮剤として役立つものであることを知れ。汝らのいわゆる文化政治とか、或いは仁政も、俺たちにとっては単に蚊禍政治、或いは塵政にすぎないものであることを暴露して叩き返してやる」
 こんな呪いと復讐心を持続して燃やしつづけている朴烈もまた、凡俗の生命力であり得よう筈がない。
(pp.354-355)

 なぜ、朴は皇太子へ爆弾を投擲しようとしたのか。

 大正十三年一月二十日の第三回予審で、文子は早くも、第一階級は皇族、第二階級は大臣やその他の政治の実権者と規定し、
 「私はこの両者の階級に対して爆弾を投げようかと考えた事もあり、朴と同棲後その談合をした事もあったくらいであります」
と答えている。
 大正十三年五月十二日の予審廷で、朴烈は、爆弾を使用する目的の真意はと、改めて訊かれたのに対して答えた。
 「日本の政治的経済的の実権を有する総ての階級者、およびその看板──其の看板とは日本の天皇、皇太子の事だ──並に之に従属する者に対して爆弾を使用する事を目的としていた。出来るなら爆弾に依ってそれ等の総てのものを絶滅するにあったが、それが出来ないため、選ばねばならなかったから、俺が朝鮮人である立場から第一に日本の天皇皇太子を対象とした。今もその心持でいる」
と、決定的なことを断言している。
(pp.337-338)

 文子は、皇太子襲撃の理由を、理路整然とした天皇制批判として滔々と述べる。

 その翌々日五月十四日には、文子が朴烈に劣らない更に決定的な陳述をしてしまった。
 「その爆弾を誰に投げるというのか」
 「つまり坊ちゃん一匹やっつければ好いのであります。天皇をやっても好いのですが、行列の機会が少ないのと天皇は病人ですから坊ちゃんをやるのとは宣伝価値が違って甲斐がありません。それで坊ちゃんを狙ったのです」
 「被告は何故皇太子殿下にその様な危害を加えようとしたか」
と更に問いつめられると文子は持前の早口で滔々と止まるところを知らない雄弁でまくしたて、日頃の天皇観を展開し陳述してみせた。
 「私はかねて人間の平等ということを深く考えています。─略─
 総ての人間が人間であるというただ一つの資格によって、人間としての生活の権利を完全に且つ平等に享受すべき筈のものだと信じています。
 具体的にいえば、人間によってかつてなされた、また現になされつつある、あるいはこれからなされるであろう処の行動の総ては、完全に人間という基礎の上にたった行為であります。従って地上に於ける人間に依ってなされた行動の悉くは、人間であるというただ一つの資格によって、一様に平等に承認さるべきはずのものです。しかし、この自然的な人間の行為や存在自体が、如何に人為的な法律の名の下に拒否され、左右されつつあるでしょう。
 本来平等であるべきはずの人間が、現実の社会では如何にその位置が不平等であるか、私はその不平等を呪うのです。私はつい二、三年前までは、いわゆる第一階級の高貴の人々は、私ども平民とはどこか違った形と質とを備えている特殊の人種のように考えていましたが、新聞で写真を見てもいわゆる高貴の御方は少しもわれわれ平民と変ったところがありません。
 お目が二つ、お口が一つあって歩く役目の足でも働く手も少しも不足するところはないらしい。いや、そのようなもの、不足する畸型児はそうした階級には絶対に無いことと考えていました。この心持、つまり皇室階級と聞けば、そこには侵すべからざる高貴なあるものの存在を直感的に連想せしむる心持が、おそらく一般民衆の心に植えつけられているのでしょう。語をかえていえば、日本の国家とか君主とかは僅かにこの民衆の心持の命脈の上に繋りかかっているのであります。
 もともと国家とか社会とか、民族とか、または君主とかいうものは一つの概念にすぎません。ところがこの概念の君主に尊厳と権力と神聖とを賦与せんがためにでっちあげたものが日本に現在行われているところの神授君権説の天皇制です。いやしくも日本の土地に生れた者は小学生ですらこの観念を植付けられています。天皇を神の子孫であるとか、君権は神の命令に依って授けられたものだとか、天皇は神の意思を実現せんがため国権を握る者であるとか、従って、国法はすなわち神の意思であるとかいう観念を愚直な民衆に印象づけるために架空的に捏造した伝説により、その根拠として鏡だとか、刀だとか、玉だとかいう物を神の天皇に授けた物として祭りあげて、鹿爪らしい礼拝を捧げて、完全に一般民衆を欺瞞して、かかる荒唐無稽の伝説によって眩惑されている憫れなる民衆は、天皇をまたなく尊い神様と心得ているようです。
 しかし天皇がもしも神様か、神様の子孫であり、日本の民衆が歴代の神である天皇の保護の下に存在するならば、戦争の際にも、日本の兵士は一人も死なず、日本の飛行機は一つも落ちない筈でして、また神様のお膝元で昨年のような天災のため何万という忠良な臣民が死ぬ筈もないでしょう。
 しかしこのあり得べからざることがあり得たという動かすことの出来ない厳然たる事実こそは、即ち神授君権説が空疎な仮定に過ぎない事をあまりにも明白に証明しているではありませんか。全智全能の神の顕現であり、神の意思を行う処の天皇が現に地上に実在しているに拘わらず、その下に於ける現社会の赤子の一部は、飢に泣き、炭坑に窒息し、機械に挟まれて惨めに死んで行くではありませんか。この事実こそ、とりも直さず、天皇が実は一介の肉の塊であり、いわゆる人民と全く同一であり、平等であるべき筈のものだという事を証明して余りありませんかね。
 お役人さん、そうでしょう。日本は連綿として絶ゆる事なき天皇を戴き世界に比類な国体である。この国に生れあわせた事は人間として唯一の誇りであるから、それを発揚するため努力せねばならぬとは小学校時代に私の教えられたものです。しかし一つの血統というのも、嘘か誠か判ったものではない。
 まあかりにとにかく一つの系統の統治者を戴くという事が、それ程にも大きな名誉でありましょうか。
 かつて海に沈んで魚の餌食となったという安徳天皇とやらは、僅かに二歳で日本の統治者としての位を負うていたと聞いています。こうした無能な人間を統治者として祭りあげて置くということが、果して被統治者の誇りでありましょうか。寧ろ万世一系の天皇とやらに、形式上にも統治権を与えて来たということは、日本の土地に生れた人間の最大の恥辱であり、日本の民衆の無智を証明しているものであります。
 天皇の現に呼吸している傍で多くの人間が焼け死んだという昨年の惨事は、即ち天皇が愚かな肉塊にすぎないことを証明すると同時に、過去に於ける民衆の愚かな御目出度を嘲笑しているようなものです。
 学校教育は地上の自然的な存在たる人間に教える最初に、まず『旗』を説いて、国家的観念を植付けるべく努めています。等しく人間という基礎の上に立って、諸々の行動もただそれが権力を擁護するものであるか否かの一事を標準として総ての是非を振り分けている。そしてその標準を決定するのは、人為的な法律であり、道徳であります。法律も道徳も社会の優勝者により能く生活する道を教え、権力への服従をのみ説いています。
 法律を掌る警察官はサーベルを下げて人間の行動を威嚇し、権力の塁を揺がす虞れのある者を、片っ端から縛りあげています。又裁判官という偉いお役人は法律書を繰っては、人間としての行動に勝手な断定を下し、人間の生活から隔離し、人間としての存在すらも否認して権力擁護の任に当っている。
 かつてキリスト教が全盛であった時代にはその尊厳を保つために、神の迷信的な奇蹟や、因襲的な伝説の揺がされることをおそれて、科学的な研究を禁止したと同様に、国家の尊厳とか、天皇の神聖とかが、一場の夢であり、単なる錯覚にすぎない事を明らかにする思想や言論に対しては、力をもってこれを圧迫しています。こうして自然の存在たるすべての人間の享受すべき地上の本来の生活は、能く権力に奉仕する使命を全うする者にのみ許されているのであります。それ故、地上は今や権力という悪魔に独占され蹂躙されているのであります。そうして地上の平等なる人間の生活を蹂躙している権力という悪魔の代表者は天皇であり皇太子であります。私がこれまで坊ちゃんを狙っていた理由は、この考えから出発しているのであります。─略─
 そこで私は一般民衆に対して神聖不可侵の権威として彼等に印象されているところの天皇、皇太子なる者は、実は空虚な一塊の肉の塊であり木偶にすぎない事を明らかに説明し、又、天皇、皇太子は、少数の特権階級者が、私腹を肥す目的の下に、財産たる一般民衆を欺瞞するために操られている一個の操り人形であり、愚かな傀儡にすぎないことを現に搾取されつつある一般民衆に明らかにし、かつそれによって天皇に神格を賦与しているもろもろの因襲的な伝説が、純然たる架空の迷信にすぎないことを知らせたいのです。
 従って、神国とまで見なされている日本の国家が、実は少数の特権階級者の私利を貪るために仮設した内容の空虚な機関にすぎない事、故に己を犠牲にして国家のために尽すという日本の国是とまでみなされ讃美され鼓吹されている彼の忠君愛国の思想は、実は彼等が権利を貪るための方便として美しい形容詞を以て包んだ、己の利益のために他人の生命を犠牲にする一つの残忍な欲望にすぎない事、従ってそれを無批判に承認することは、即ち少数の特権階級の奴隷たる事を承認するものである事等を警告し、そうして従来、日本の人間たちの生きた信条としていた儒教に基礎を求めている他愛的な道徳や、現に民衆の心を風靡しがちな権力への隷属道徳の観念は、実は純然たる仮定の上に現れたうつろな幻影にすぎないという事を、すべての人間に知らしめ、それによって、人間は、完全に自己のために行動すべきものである。宇宙の創造者はすなわち自己自身である事、従って総ての『もの』は自分の為に存在し、総ての事は自分の為に為されねばならぬ事等を民衆に自覚せしめる為に私は坊ちゃんを狙っていたのであります。
 私等は何れ近いうちに爆弾を投擲することによって地上に生を断とうと考えて居りました。私が坊ちゃんを狙ったという事の理由として只今申上げました外界に対する宣伝方面即ち民衆に対する説明は、実は私のこの企ては、私の内省に稍々着色し光明を持たせたものに過ぎないのであって、取りも直さず自分に対する考えを、他に延長したもので、私自身を対象とするそうした考えが、即ち今度の計画の根底であります。私自身を対象とする考え、私の虚無的思想については既に前回詳しく申上げて置きました。
 私の計画を突き詰めて考えてみれば、消極的には私一個の生の否認であり、積極的には地上に於ける権力の倒壊が窮極の目的であり、又此の計画自体の真髄でありました。私が坊ちゃんを狙ったのはこうした理由であります」
 何の原稿の用意もなく、一気にこれだけ長い答弁をまくしたてる頭脳の回転の速さ、明晰さは非凡としかいいようがない。
(pp.339-345)

 驚嘆するほかない見事な弁論である。

 文子と朴は、天皇の特赦により、死刑を無期懲役に減刑されるが、文子は、特赦状を破り捨てる。
 文子は、どこまでも高貴な精神の持ち主なのであった。

 ここで死刑執行の申し渡しがあるのかと思った文子は、机の前から立ち上った秋山要所長の方をきっと見た。所長は二人の方へ進んでくると、緊張した表情で、今日、陛下のかたじけない御仁慈により恩赦が下ったとつげ、二人を並べて起立させた前で、うやうやしく特赦状を読みあげた。
「特典ヲ以テ死刑囚ヲ無期懲役ニ減刑セラル」
という文章を読みあげ、秋山所長がまず朴烈に特赦状を手渡した。朴烈はふんと、鼻先で冷笑してそれを無造作に受けとった。秋山所長は残る一枚を文子にさしだした。それまで黙って、睨みつけるように秋山所長の行動を見守っていた文子は特赦状を手にするや否や、いきなりそれをべりっとひきさき、あっというまもなく、またしてもべりべりっとそれをひき破ってしまった。
 「人の命を勝手に殺したり生かしたりして玩具にして、何が特赦なものか。私はあんたたちの勝手になんかさせるものか」
と、どなった。秋山所長は仰天して、とっさに朴烈の手から、特赦状を奪いかえした。朴烈にも破られたら手のほどこしようもないと恐怖したからである。
(p.380)

 そして、文子は、自らの魂を生かし続けるために、首を吊って自死する。

 文子があれほど切望していた朴烈と共に死刑台に上るという夢は、ここに破られてしまった。その後朴烈は千葉刑務所に、文子は宇都宮刑務所栃木女囚支所に移されて無期刑に服役することになった。
この思いがけなく与えられた無期刑の歳月が、文子にとってはむしろ屈辱と拷問でしかなかったことは察するに余りある。生きていても、もはや朴烈とは交通も許されず永久に相逢うことは出来ない。
 栃木女囚刑務所の独房で暮した四カ月の日々を文子は敗北感と悔恨と絶望の中に過していただろうか。文子が一切の作業を拒否し、食事さえ次第に拒みはじめたのは、敗北からではなく、自由を奪われた文子の捨て身の抵抗と挑戦ではなかっただろうか。
 国家権力に抵抗することによって得た死刑は、文子の思想が選びとったものであった。その栄光を奪われた文子が、国家権力によって与えられた生を否定し、自殺するしか自分の思想を貫く方法はないと判断し決意したのは、文子の日頃の揚言から見ればむしろ当然の結果であった。
 決して感傷的に絶望的に、あるいは、錯乱して発作的な死をとげたのではないことは、それまでずっと拒否しつづけていた作業を、自分から申し出て、縊死するための縄をつくる材料として、マニラ麻の配給を受けていることでも知れよう。文子は七月二十二日にもらったマニラ麻で縄を編みはじめ、二十三日真夏の朝日の、明るく強く射しこむ独房の窓ぎわで、縊死体となって下ったのだ。文子は死の瞬間まで冷静な判断力を失わず、自分の意志で死を選びとったのであろう。文子の選んだ死刑は文子の魂の生であった。しかし、与えられた無期刑の生はむしろ文子にとっては魂の死であった。文子はこの死に挑戦して、ふたたび自分の意志で死を選び獲ることによって、永遠の生を摑み獲ろうと図ったのである。
 その死は、だからこそ、赫々とした生命そのものの夏の朝陽に向って遂げられたのであろう。
(pp.382-383)

 自らの苦悩と不幸とを強靱なニヒリズムに昇華させ、欺瞞に欺瞞を重ねた社会制度、とくに天皇制を真っ向から否定し、最期は、自らの魂を死なせることをよしとせず、生命を絶つ。

 金子文子、その生と死の軌跡は、あまりにも鮮烈だ。


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