電脳東京雑記(仮)

大煩悩人の世迷言

ぶらり岩手 歴史探訪(盛岡編)

2015-01-26 20:34:24 | 旅・仕事
先日、ぶらりと盛岡を散策しました。



この日(金曜)は午後から盛岡でお仕事がありましたので、東京発の新幹線は6時半過ぎの電車に乗りました。



この日は朝が早く、朝食を摂らずに家を出ましたので、東京駅で朝食を購入しまた。今回は駅弁のかに寿し(アベ鳥取堂製)を頂きました。



そのお味ですが、シンプルなお味で、酢がきいていて美味しかったです。



盛岡駅には9時前には到着。この日は先週の出張の際よりも暖かく感じました。



今回は午前中の2時間程の空き時間でしたので、盛岡城跡公園を観る事にしました。



この盛岡城ですが、南部藩の南部氏により築城されたものですが、廃藩置県により廃城。そして、今は石垣のみが残っています。
(この盛岡城は別名、不来方(こずかた)城とも呼ばれていますが、厳密には不来方城とは別のお城だそうです)



また、本丸跡には、第15代盛岡藩主南部利恭の長男で南部家第42代当主でした、故・南部利祥(なんぶ・としなが)中尉の銅像もあったそうですが、今は台座のみ残されています。



榊山稲荷曲輪(さかきやまいなりくるわ)から観た眺めは良かったものの、お城全体としては残念でした。



城内跡にはその他、石碑もありました。しかし、城の大きさや石垣にはロマンを感じるものの、やはり、もう少し整備してほしいものでした。
(ま、お城の整備には巨額の費用がかかりますので、簡単にはいかないと思います。しかし、この盛岡城も100名城の一つに数えられていますので、もう少し、何とかならないものでしょうか?)



お城の後は隣接する櫻山神社を観ました。この神社は盛岡藩八代(南部家三十三世)利視公により盛岡藩初代(南部家二十六世)信直公の御遺徳を偲び、城内淡路丸(本丸東側)に神殿を建立、九月二十六日、その御神霊を勧請して淡路丸大明神と尊崇し奉ったのが始まりだそうです。



また、この神社では築城の際に見つかった烏帽子岩(えぼしいわ、別名:兜岩(かぶといわ))も奉られてます。この岩はかなり大きく、不思議な力を持っているようでした。



このこの神社では戊辰戦争の戦死者も祀った碑等もありました。



櫻山神社を出て、商店街を通り、盛岡駅に戻る際、御田屋清水(おたやしみず)という湧水が出ているのを見つけました。



これは、盛岡三清水と言われている名水の1つであり、藩制時代には城下第一の清泉として、公供・大奥御用、御茶道に利用されていたそうです。



盛岡駅から盛岡城に向かう際、北上川に架かる橋を渡るのですが、川岸には昨年の雪が溶けずに積もっていました。



お昼は現場の方と一緒に「焼き干しらーめん 渡り家」で焼き干しラーメンのチャーシューメンを頂きました。この焼き干しラーメンはあっさり・ややこってり・こってりの三種類のスープから選べるのですが、私はあっさりで頂きました。そのお味ですが、焼き干しがきいててあっさりのスープも美味しかったのですが、チャーシューもなかなか美味しかったです。また、ランチは小ご飯(50円)をつけても800円は、コスト面でもおいしかったです。
(ラーメンの麺は手打ちちぢれ麺とストレート麺の二種類あったのですが、私は手打ち麺で頂きました)





夕方、仕事も終わり盛岡駅へ。新幹線を待つ間、駅弁の津軽笹寿司:青森、かきかまぼこ(牡蠣のせ笹かまぼこ):宮城、日本酒の南部美人:岩手と東北づくしを頂きました(づくしと言っても、秋田・山形のものがないのは、ご了承ください)。

お腹も一杯になり、私は東京ではなく、北へと進路を向けたのでした。

※次回、ぶらり青森 歴史探訪(弘前編)に、つづく。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ぶらり宮城 歴史探訪(白石編) | トップ | ぶらり青森 歴史探訪(弘前編) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅・仕事」カテゴリの最新記事