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EVERYTIME WITH MOVIE

アナキンのBLOG

あの頃から今まで 思いは夢の中

豊山 長谷寺

2009年05月17日 | 西国三十三所
久しぶりに妻と娘の三人。遠足気分で長谷寺へやって来た。
長い回廊の階段を登り、ひと汗かいて、本堂の舞台から見る
長谷寺の風景に、心地好い風が吹く。
御本尊の十一面観音様の、大きく威厳のあるお姿に感動した
妻と娘は「来た甲斐があった」と言ってくれた。

長谷寺は花のお寺と聞いてはいたが、その通りの寺であった。
回廊の周りを牡丹の花が咲き誇り、僕の好きな躑躅の花が参
道を彩り、春の長谷寺を花々が謳歌していた。


花と寺。関西花の寺二十五所巡りもあるように、お寺には実
に花がよく似合う。
椿・梅・桜・藤・菖蒲・紫陽花・石楠花・芙蓉・牡丹・躑躅
・沙羅・桔梗・萩・彼岸花・コスモス・菊など、そう薔薇の
花が似合う寺もある。
花の命は短い。一年草であれ多年草であれ、季節のひととき
だけ、その艶やかな姿を見せては、また次の季節を待つ。
輪廻転生のように繰り返す花の生態は、それだけでも仏教的
ではないでしょうか。
特に西国三十三所は観音巡礼なわけで、蓮の花はいつも観音
様の手に咲いている。

植物に関してあまりに無学な僕ですが、少しはこの巡礼を通
じて勉強できた気もします。

東光山 竜蓋寺(岡寺)

2009年05月15日 | 西国三十三所
近鉄飛鳥駅。岡寺までバスに乗ろうと待っていると、七十歳頃の
お父さんがやってきて、バスの時刻表とにらめっこしている。
このお父さん、壷坂寺からほぼ僕と同じ行動で、バス・電車も
一緒だった人です。

「岡寺に行かれるんでしょ、だったらこの系統のバスだから、
あと10分で行きますよ」と声をかけた。
お父さんは微笑み「ありがとう」と答えてくれた。

二年ぶりに飛鳥の里。この前来た時はレンタサイクルで娘と妻で
走った道をバスが行く。

バスを降りて、岡寺へは登り坂の参道を行かねばなりません。
あのお父さんも歩き始めましたが、僕の方がやはり足は早く、
山門には先に着いた。


岡寺に参るのは二度目で、十数年前に来た時とは少し違った印象
を感じた。
御本尊の如意輪観音様に御挨拶する。この如意輪様は日本最大の
塑像であります。塑像とはいわゆる粘土で造られたもので、補修
を重ねたとはいえ、奈良時代から今に残る見事な仏様です。

岡寺って竜蓋寺という正式名称とは知らなかった。法相宗の祖と
される義淵(ぎえん)僧正が岡寺の近くで暴れる竜を池に封じ、
大石で蓋をしたところからこの名がついたらしい。
境内は花が美しく、カメラを片手に散策し、バス停まで下りる
ことにした。

帰りのバスの時間まで少しあるので、缶コーヒーを飲んで待って
いると、さっきのお父さんが坂道を下りてきた。
それからはお父さんとの会話がつづく。

兵庫県の遠方より朝の六時からやって来たこと。
以前は愛車でお寺参りをしていたが、年老いた今は逆に自分の足
でお参りしているということ。
奥さんが足を悪くしてから、あまり二人で行動できていないこと。
泊まりで岐阜の華厳寺や長野の善行寺へ、奥さんとゆっくり廻っ
てみたいこと。

お父さんは僕に話を聞いてほしかったのか、次々と自分の身上を
語ってくれた。
僕はまだお父さんの年齢には遠く、お陰様で妻も確かな足取りで
いる。
しかしどことなく僕等は似ている気がして親近感を感じ、自分の
未来もこんな風なのかと思いに耽る。
お父さんはその後、近鉄電車で葛井寺へ参る予定で、橿原駅で
別れた。

また岡寺へお参りする事があれば、あのお父さんと三十三所巡礼
の日々を思い出すことでしょう。
いいや、それよりきっとまた、三十三所のどこかで逢える気がす
る。
きっと元気な姿で、観音様の前で。

壷坂山 南法華寺(壷坂寺)

2009年05月12日 | 西国三十三所
2年前の事。仕事中、急に飛蚊症がひどくなり、眼科医へ。
軽い網膜剥離と診断されて、すぐにレーザー光線治療で処置を
施してもらう。
今ではパーフェクトとは言えないものの、視界はほぼ元に戻った。

壷坂寺は壷坂霊験記で知られるように、眼を患う者にとっては、
とてもご利益のあるお寺として高名な山である。
そんなご利益にあやかる気は特にないのだが、やはり心の中のどこ
かで眼に有難いお寺だと認識しているのか、十一面千手観音様に
手を合わせる時はブツブツつぶやいていた。

お寺のグッズ売り場でもやはり主役は目薬で、ひとつ買って帰る
事にしょうかと考える。
しかし、思った以上に高額な料金に、財布に伸びた手が止まる。
信仰に現実的な経済観念が勝利した瞬間だ。
やはりケチな人間は強い!霊感商法にのり困惑する人達の仲間入り
は出来ないようになっている。
(注!壷坂寺のグッズは霊験あらたかで、僕がケチなだけで庶民に
は妥当な価格で提供されておりますよ。)
お寺のグッズ売り場には、御守りや写真集・お経本・線香・デザイ
ン系グッズなど色々あります。
僕は時々、お線香などを両親のお土産に買ったりするのですが、お
線香を買う時は、必ずその匂いを調べてからにします。
その香りひとつで、そのお寺の景色とお堂の空気が蘇ってくるのが、
不思議で、たまりません。

さて壷坂寺ですが、近鉄壷坂山駅からバスで山道を行き、視界が開
けてきたら、実に気持ちのいいお寺がそこに待っています。
白く大きな仏様方は、思っていた以上にやさしい顔で迎えてくれて、
心なごませて下さいました。
花の季節なので、大きな蜂に気をつけながら、境内を歩きます。
とても清潔なお寺で、帰りのバスの時間が急かなければ、何時間で
もゆっくりしていきたいと思えるお寺でした。


長等山 園城寺(三井寺)

2009年05月08日 | 西国三十三所
満開の桜は琵琶湖疎水に花筏を浮かべ、衆生を三井寺へ誘っていた。
久しぶりの三井寺。桜の季節に来たのは初めてで、思った以上の美し
さに感動です。

近江八景のひとつ三井の晩鐘は有名で、この日も何度となくその心地
よい響きを耳にした。
その音色は晴れわたった琵琶湖の水面をかすめ、天上へと舞い響く。
実に爽やかで、今を生きているこの地と、未来へ繋がる懸け橋の如く、
遥か彼方まで響き続けるような気がした。

鐘の音色といえば、京都六波羅の六道珍皇寺のそれは、三井寺の鐘と
は対照的で、彼岸に渡った愛しい人たちへ届くかの如く、深く・重く
・儚い限りの心の響きが胸を打つ。
まだ見ぬ未来へと響くか、帰れぬ過去へ響くかの違いはあれど、人の
心に沁み入る魂の音はどれも切ないものがある。
そういう意味では、お寺の鐘の音は言葉以上に、意味深く有言なのか
もしれない。
京都や奈良の街を行く時でも、鐘の音を聞く時に心が落ち着くのは、
そこに仏の声があるように感じられるからなのでしょう。

そういった事は、何も仏教国ばかりの事でもなく、僕が新婚旅行に
立ち寄ったスイス・ルツェルンの夕暮れに響く教会の鐘の音も、郷愁
だろうか神の慈悲の声だろうか、同じような感覚にとらわれた経験が
ある。その時もやはり感極まり、ルツェルンの紺碧の天を見上げてい
た。
鐘の音には人の心を癒す波長があるようです。

そしてこの日、観音堂の高台から眺める琵琶湖の景観は優雅で、水面
を滑るヨットの白い帆が綺麗だった。























石光山 石山寺

2009年05月06日 | 西国三十三所
瀬田川を往く遊覧船はゆっくりと、岸辺の桜をかすめ進む。
石山寺からの眺めは、春の心地よい風に吹かれ、この寺の悠久の物語
を連想させてくれる。
石山寺は僕が思っていた以上に、奥行きのある、花々の美しい古刹だ
った。

そんな石山寺で可愛い人に出会った。大津市のマスコットキャラクタ
ーのおおつ光るくんだ。
平安朝の衣を纏い、とぼけた顔が何んとも言えない癒し系。世に言う
ゆるキャラの類である。

それにしても日本という国はキャラクターの好きな国だ。
漫画やアニメの超先進国ということもあるが、今では地域活性のため
には、こういったマスコット的存在は、欠かすことができないように
なっているようだ。
他にも企業やスポーツチームのキャラなど数えれば、一体どのくらい
日本に存在するのだろうか。

偶像崇拝が普通のこの国だから、大昔から神や仏もキャラクター化さ
れ、慣れ親しんできた。
また、(ひこにゃん)や(たわわちゃん)のように動物や静物にいた
るまで、擬人化を得意としてきたのも、この国のかたちの一つで、
(せんとくん)などは色々物議はあったが、今ではちゃんと市民権を
得ているのも、そういったものに寛大な証拠ではないだろうか。

こんなところが原点なのか、観音様も三十三変化の姿で、その独自の
個性を作りあげている。
癒し系も強面系もあり西国三十三所の観音様も御一人づつ個性があっ
ていいなぁと思う。
日本人は多面的なものにも憧れるのかな?

そうだこの寺ゆかりの、紫式部も源氏物語でキャラを確立しては後世
に名を残したんだ。凄いなぁ千年も前に日本人がキャラ好きなことを
知っていたんだ。

岩間山 正法寺

2009年04月25日 | 西国三十三所
京阪バス中千町を降りて、ファミリーマートでおにぎりとお茶を買った。
それから岩間寺までは、西国三十三所ガイドブックでは徒歩50分とある。
久しぶりにリュックを背負い、田園風景の中を行く。
天気が良くて陽射しも強く、少し歩くだけでも汗ばみジャケットを脱ぐ。

しばらく行くと集落にさしかかる。
民家の庭先の桜が美しく、落ちた花びらがアスファルト道路をピンクの
斑点模様に染めている。
そこを自動車が通ると、その花びらは再び空中へと舞い上がり、花吹雪と
なる。その中を行く時だけはちょっと涼しい気持ちになる。

京滋バイパスを橋で越えた辺りから、徐々に坂道は急勾配となり山道の
風景となる。
鶯の鳴き声が聞こえる。それも一羽二羽ではなく、山中を競い合うように
ホーホケキョのサラウンド状態となっている。
お寺参りなんだから法~法華経と聞こえそうなものだが、こう連呼されて
は風情もない。
奥宮神社への分岐点を左にとり、進むとさらに急勾配となり、リュック
を背負った背中は汗で大変!
漸うの思いで岩間寺へ辿り着くと、入山受付の小屋からワンちゃんが出迎
えてくれた。
その後ろから巡礼の団体バスが現れたので、僕は急いで本堂へ向かった。
煌びやかな千手観音様に手を合わせ、山の空気を吸い、心晴れ晴れになっ
て、おにぎりを食べハイキング気分となる。

ここの観音様はぼけ封じ観音で有名だけど、汗かき観音という別名もある
ようで、夜な夜な山を下りては苦しむ衆生を救うては夜明け前に帰還する
という誠に勤労なお方だそうだ。
朝になり、汗だくになって帰ってくる姿から、汗かき観音の名前がついた
わけで特にデブってるのではありません。

この後、石山寺へ向かうのでまたバス停まで歩くことになる。
さすがに今度はTシャツ一枚で行く事にした。
帰り道は下り坂、足早に下ると30分程で着いた。

バス停のベンチで休憩をしていると、一人のオジサンが話かけてくれた。
僕を見て一目で岩間寺から下りてきた者と判断したらしく、いきなり西国
三十三所話に突入する。
オジサンが言う「昔の人は偉いよなぁ」
僕が答える「そうですよね、みんな歩いてお参りしてたんですよね」
オジサン「いや、巡礼の人じゃなく、お寺を建てた人間だよ」
  そのとおりだと思った。
巡礼の者は既に出来上がった道を迷う事無く行くだけだが、建立に携わっ
た人達の労力を想えば如何なるものか。
三十三所にはそんな難所のお寺が多く、先人の苦労もかみしめて参る事
が大事だと悟った。

華頂山 元慶寺

2009年04月04日 | 西国三十三所
番外札所に足を運ぶのは初めてで、山科の街外れの小さなお寺を
想像して、僕は地図と前日に予習したグーグルマップの映像を思
い出しては元慶寺にたどり着いた。

元慶寺は山門が素晴らしい。竜宮造りの可愛いスタイルは、いつ
か懐かしい物語で出逢った事のある姿で、きっと誰もが気に入る
はずです。
中に入れば広くはないが、緑豊かな境内に時間を忘れ、不思議な
空間を楽しむ事ができる。
その懐かしさは何処からくるのか判らないけど、四季折々の風景
や刻々と変化する時候の美しさを堪能できる数少ない寺院の一つ
である事に違いない。
元慶寺は思ったよりは街中のお寺だったけど、多種多様な植物に
囲まれ、静かな場所が好きならば、是非足を運んで見てください。

この日は訪れる人も少なかった。ゆっくり御朱印をもらえると納
経所に行けば、巡礼バスの団体客の添乗員さんが山ほどの
朱印帳を並べていた。
あせる僕に女性添乗員さんは「お先にどうぞ」と順番を譲ってく
れた。ありがとう!
お陰様でゆっくりその空間を楽しめました。やがてその巡礼団体
さんがやって来たので僕はその場を後にした。

こうして元慶寺は僕のお気に入りのお寺の一つになったのです。

西山 善峯寺

2009年04月02日 | 西国三十三所
阪急東向日駅からバスで、京都大原の竹林を行けば善峯寺はそう
遠くはない所にありました。
しかし、バス亭から山門までの急な登り坂は険しく長い。
お年寄りや足に不安のある人にはとても厳しいものです。
それだからこそ山門に着いた時には、その美しさも一入なのです。
そして境内の広さを知らずに足を踏み入れて、その奥深い回遊式
庭園に驚く人は多いはずです。

まずは観音堂へお参り、御朱印をもらって階段を上へ上へと行け
ば、京都の町並みが一望できる絶景ポイントがあります。
僕は釈迦堂の前から写真を何枚か撮らせてもらいました。

ここは桂昌院ゆかりのお寺でありまして、諸堂にその由来のもの
があります。
幸福地蔵は桂昌院様も拝まれた、300年前の地蔵様で、片に自
分以外の人の幸せを願いましょうとある。少し笑えたが、仏教本
来の教えは正にこれなんだなぁと納得で合掌しました。
天然記念物の遊龍の松は立派なんだけど、写真にはなかなか撮ら
えずらい長さの名木でした。
経堂と多宝塔の並んだ姿の美しいこと、眺めているだけでタイム
トリップでき、往時の参拝する人々の風景が見えてきた。
特に多宝塔はひしひしと僕の心に、その偉観を誇っていた。

以前にポンポン山に登った時、このお寺の近くの山道を行った事
があり、今になれば惜しい機会を失ったものだと思った。
まだ善峯寺に足を運んだ事のない人には絶対にお薦めします。
桜の時期や紅葉の時期には一段と美しいようで、僕もまた頃を見
計らって出かけたいと思います。

補陀洛山 総持寺

2009年03月31日 | 西国三十三所
阪急総持寺駅というだけあって、往時はもっと広い境内でこの地に
その伽藍を連ねていたらしい。
いや今でも立派なこの寺は、大阪を代表するにふさわしい寺である
事には変わりはない。
この日は朝一で茨木は総持寺に着いた。
しかし朝一というのは、自分の尺度で事を計っているのを知らされ
て、恥ずかしい気持ちになった。
実に清潔に掃き清められた境内は清々しく、塵ひとつもなく無知な
僕を迎えてくれたわけだが、では一体誰がその場を用意してくれた
のかだ。

そういえば楼門をくぐってすぐの時だ、境内を早足で行く若き僧侶
の颯爽たる姿があった。
同じように矍鑠たる姿で朝のお参りをするおばさん達。
人目のつかぬ本堂の裏を、静かに静かに掃除するおじさんの姿。
そう、この人達がいるからこそ僕らは気持よく仏様の前へ立つこと
ができるのです。
忘れているんですよね、僕らはいつも。

総持寺。見どころは一杯あって、包丁塚やぼけ封じの普悲観音様。
大昔の瓦窯の遺構に弘法大師を祀った大師堂など。
そういえば、ここは高野山真言宗のお寺なんだと、その時初めてき
ずくあり様です。
茨木の街中にこんな良いお寺があるのには驚きました。
弥生三月まだ肌寒い朝の観音霊場だけど、仏門に関わる人達の心暖
まる姿に感動の時でした。

霊鹿山 行願寺(皮堂)

2009年03月20日 | 西国三十三所
京阪電車神宮丸太町駅を上がれば、青空は広がり、鴨川は春の陽気を少し
感じたのだろうか、急ぎ足でその流れを三条へ四条へと追いやっていった。

丸太町通りを西へ進むと、京都御苑の木立が見えてくる。しかし今日の
目的地は仏門の地。寺町通りで南へと折れ、下御霊神社を過ぎれば、
そこは西国三十三所の十九番札所、行願寺皮堂だ。


霊鹿山 行願寺

行願寺の山門は寺町通りの風景に溶け込むように、その姿をゆっくり静かに
弥生三月にまどろませている。
境内はさして広くはない空間だけど、時の流れの違いを感じられる、
“心落ち着く所”と感じたのは僕だけではないはずだ。
この寺の由来によると、開祖の行円上人は元は山猟師だった人のようです。
ある日、行円上人が山中で一匹の鹿を射止めると、その鹿の胎内に小鹿が
居たこと知り、心深く痛める事になります。
殺生の罪深さを知り出家するに至って、その鹿の皮を身に纏い、常にその
思いを忘れる事無く修行に励んだそうです。
寺内には幽霊絵馬の存在もあり、奇異な逸話の多い寺の印象を与えがち
ですが、実際のところはそんな空気はなく、とても和やかなお寺になって
います。
まぁ先入観は大体において、他人の情報を頭の中で都合よく膨らませた
だけの、かりそめの宇宙であって、やはり真実を得るには、何事も経験や
時間は必要なものなのでしょう。

本堂は重厚でいかにも西国三十三所の霊場としての趣があり、素晴らし
かった。御本尊の観音様のお顔も美しく、御開帳の折は是非お参りして
みて下さい。
他にも京都の都七福神の寿老人を祀った寿老人神堂や、加茂大明神五輪
塔など寺内は狭いながらも楽しい我が家状態になっていました。
この日は母と二人して訪れたのですが、母も良いお寺だと気に入ってくれ
たのは嬉しかった。この後三条あたりで食事をし、イノダコーヒー本店
から錦市場で買い物と、母を歩かせました。
母にしては疲れたでしょうが、息子としてはよく歩いてくれて嬉しい限り
です。
ここや六角堂などは街中で平坦な土地にあるので、お年寄りには優しい
バリアフリーな仏門といえるでしょう。
お父さんお母さんを誘ってお参りしてはどうですか。




谷汲山 華厳寺

2009年03月14日 | 西国三十三所
電車に乗り遅れてもJR東海道本線のようにメジャーな路線は実に
連絡がいい。 しかしローカル線となると話は違う。基本的に運転
本数が少ないので、一本乗り遅れるとその日の予定は大幅に変
更を余儀なくされる。
JR大垣駅での僕はそれをひしひしと感じ、一向にやって来ない樽
見鉄道の電車を待ち焦がれていた。

樽見鉄道の大垣駅から谷汲口駅まで、田舎の風景が続く。
富有柿の畑が綿々と続き美しい。根尾川の流れも気持ちがいい。
乗り合いのほとんどが谷汲山へ向かう人のようで、谷汲口に着く
と電車は空っぽ状態だった。


谷汲山 華厳寺

桜並木の参道はなんて立派だろう、満開の桜のトンネルの時期
を想えば、心おどり誰もがまた足を運びたくなる風景だ。
今日は御開帳の初日で、しかも日曜だから参道を行き交う人の
多い事。お土産屋さんやお食事処も賑わっている。
美しい山門をくぐり、その先に見える石段を登れば本堂だ。
あれっ!行列ができている。???

不安は的中。やはり行列は納経所へと続いていて、御朱印を貰う
人達のラインが石段の下まで伸びていた。
少し覚悟の上で、御本尊へ。
風格ある見事なお堂と垣間見る観音様に挨拶をすませ、また列の
最後尾へと向かった。
その時!僕は見た。谷汲山の中腹から飛散するおびただしい杉花
粉の嵐を!(テレビのCMなんかで見るあれです)
緑色の煙が山を包み込み、霞む谷汲山。花粉症でない僕でも恐怖
感を覚えた。


御朱印の列は一時間はかかりそうだ。並んでいると年輩のお父さ
んが話しかけてきてくれた。
今日このお寺で、三十三所の巡礼を終えるというので、ニコニコ
顔の元気なお父さんだ。それから後ろに並んだ若夫婦も会話に加
わり、三十三所のお寺や仏像の話に花が咲いた。
退屈な時間がとても嬉しいひと時になりました。ありがとう!
その間、行列のあちらこちらでクシャミの音と、時折訪れる緑の
飛散物に悲鳴にも似た喚声があった。

華厳寺では過去・現在・未来の三つの御朱印がいただけます。
それぞれに趣ある御朱印で遥々やって来た甲斐がありました。
その後本堂の周りを散策。
本堂の裏手に居られる苔ノ水地蔵様に感動!身体一面を白いお札
が貼り巡らされた凄い姿。ちょっと見はミイラのようだ。
身体の悪い所があれば、地蔵様の同じ場所にそのお札を張ればご
利益で癒されるそうで、誰もが何がしかの痛みや不安を心身に抱
えている事を思い知らされました。
三十三所巡りの真意もそういうところにあるのかと感じた次第で
す。
その後笈摺堂(おいずるどう)などにも足を運び、谷汲山の奥深
い信仰の姿に触れられた一日でした。



紫雲山 葛井寺

2008年12月30日 | 西国三十三所
日曜の朝8時。近鉄藤井寺の駅に降り立ち、眠気まなこでシャッターの
降りた商店街を足早に行く。
葛井寺は早朝にもかかわらず、たくさんの人がお線香の煙の中を静々と
参拝されていました。
お目当ての国宝十一面千手観音様は、8時半にならないと開帳しないの
で、しばらくはカメラを持って、お寺の中をウロウロ。グッズ売り場を
のぞいたりして時間を繋ぎました。


千手観音像は千手というものの、大体の像は42本の手を持つお方がほと
んどで、葛井寺のように実際に千本を超える観音様はそうはお目にかか
れません。
十一の顔と千の手を持つその姿は、まさに異形で、誰もが恐れの念を抱
くことでしょう。
まあ大体の仏像自体が異形なわけで、だからこそ超人的で怪異な姿に恐
れの念を抱き、畏敬の眼差しで僕らは拝むのです。
そんな思いで僕は、千手観音様の前に座り手を合わせました。
しかし、そこに居られたのは、まぎれもなく美しく優雅で親しみ深い眼
で僕に微笑む観音様だったのです。
千本も手を持つなんて、さぞかし不自然でグロテスクな姿だろうと、陳
腐な想像をしてた僕の心を見透かし、ニヤニヤ笑いを浮かべる観音様に
、恥ずかしく苦笑いの僕でした。
こんなに美しい千手観音は他にはありません。
秘仏ですが毎月十八日には開扉されるので、是非、拝みに行って下さい。


自分のあさはかな思考力を思いを知らされ、仏の絶大な叡智に感服して、
藤井寺を後にしました。
それでも、なんだか嬉しくて、三十三所巡りを始めて本当に良かったと
観音様たちに感謝です。

さて今年の西国三十三所巡礼はこれでお終いで、また来年の春というこ
とで楽しみにしています。




応頂山 勝尾寺

2008年12月25日 | 西国三十三所
千里中央に着いて、バスの時間にはまだ30分あるけど、確認の
ためと、バス停に近づくと、既に30人は並んで待っている。
やばい!ここでお茶なんかしてたら、定員オーバーで乗り合わす
事が出来ない。
そう判断し、寒い中、爺ちゃん婆ちゃん達と待つ事にした。
みるみるうちにバス停に人は集まり、おそらく200人は並んで
いたと思う。
臨時バスも出るらしいが、あの時の判断を間違えば、何台目に乗
れたのか分からなかったものだ。

紅葉真っ盛りの箕面勝尾寺はやっぱり凄い人出だ。早めに出発し
て正解だった。
勝尾寺はいいお寺なのだが、少し残念なところも多々ある。
綺麗なレストランとお土産売り場があり、人で賑わっている。
それはいいのだが、入山料も同じ場所でどうぞというのは、あま
り気持は良くない。
観光目的とは違う人もいるはずです。
それと境内に入ると、大音響のお経が、其処ら辺りのスピーカー
から聞こえてくる。
誠に失礼ながらも、素人な僕が聞いてもがなりたてているだけの
心に響く事のないお経が、山中に聞こえ、興ざめの心中でした。
境内も美しく、風景もいいのに残念です。

それともう一つ、あれだけご老人が参られるのだから、もう少し
楽に本堂に行けるように工夫してほしいです。
この次行く時は、僕もおじいちゃんになっているかも知れません
からね。



紫雲山 頂法寺(六角堂)

2008年12月21日 | 西国三十三所
六角堂は街の中。
西国三十三所でおそらく一番、都心にある札所だと思う。
近くにスターバックスやマクドナルドがある、観音霊場はそうは
ない。
都会のビルに挟まれた、洒落たデザインのお寺。
実に粋な味わいの空間がそこにある。

その前に、錦市場について危惧する事があるので、聞いて欲しい。
この日も、錦を通り、六角堂へ向かうつもりで歩いていた。
が、観光シーズンは恐ろしいもので、思うようには前へ進めない。
店先で買い物はなくとも、立ち止まって楽しむくらいはと思っても、
今は自分が障害物となり、気がひける。
ここ十数年、どんどんと錦市場は綺麗になってきている。
しかし観光客相手のイートインやテイクアウトものが多くなって、
本来の市場の形が失われつつあるように思える。
何も、昔がいいとか、寂びれた味わいが良いとは言わないが、食材
を提供する場と、食事する場は違うと思います。
市場はレストランじゃないし、道端ででたむろして、食事するのは
見ていて気持ちの良いものではないと思う。
お店側の周辺環境のサポートもどうかと思うし、ご老人も安心して
買物ができそうにない。
このままでは、神戸南京町のように、フードコートかテーマパーク
のようになってしまわないかと、悲しくなった。

さて、六角堂だが、こんな街中にいい感じで、屋根瓦を重ねて、独
特の空間を保っているのは、嬉しいかぎりです。
観音様に手を合わせ、お話を聞いてもらってから、三条通り辺りの
お洒落なお店で、美味しい珈琲や紅茶なんか味わうのもいいですね。
気持ちが澄みきったところに、暖かい飲み物は、人を心豊かにして
くれるはずです。
そんな時間を与えてくれる、西国三十三所唯一のお寺だと思います。

けど僕はこの日、ゆっくりする事も忘れ、京都文化博物館で催され
ていた古本市に足を運び、楽しんだ。
何処の古本市も、いつもまばらに陳列されていて、疲れるけど、
たまに長年求めていた書籍と出会ったりして、スリルがある。

この日、見つけたのは30年程前の仏像本だった。
これも六角堂の観音様のお導きと、購入し家路とついた。

新那智山 観音寺(今熊野観音)

2008年12月07日 | 西国三十三所
 東福寺
京阪東福寺の駅を降りると、そこは人の海になっていた。そして
そのうねりは、ゆっくり東福寺へと動いていました。
人ごみをかき分け進む事は無理と判断し、妻と娘の三人、流れに
身をまかせ、しばらく行くことにした。
東福寺は僕が一番によく行くお寺で、言わばホームグラウンド。
しかし、この時期は行く事はまずない。観光客の数が半端じゃな
いのだ。
それだけ東福寺の紅葉は有名で見事なわけで、日頃は見ない観光
バスやTV局の車が所狭しと並ぶ。
臥雲橋や通天橋から見る景色を関東方面の人たちは、ほとんどが
歓声と溜息で表現するのだ。その時僕は自分が褒められたようで、
幸せ気分になる。
同時に、真夏の東福寺。人っ子一人いない境内の木陰で休む自分
を思い出している。
それが観光ときまぐれ散策(妻には徘徊と呼ばれている)の違い
なのかと思う。

 泉涌寺窯もみじ祭り
とにかく目的地は今熊野さん、そしてその前に泉涌寺。
赤十字病院の裏手へと回る。この辺り焼き物の窯元が多く、毎年
この次期には、もみじ祭りと称し、たくさんの京焼・清水焼が軒先
に並べられ、道行く人を楽しませてくれる。
食べ物屋台もあったり、地域一体となったイベントで、秋の京都
お勧めスポットです。


 泉涌寺
そしてその裏道を駆け上がると泉涌寺。
天皇家の菩提寺なので御寺と呼ばれています。
まずは楊貴妃観音。その名のとおり美人観音として有名で、妻と
娘は一心不乱に美人祈願していました。
妻には「もう遅い…」と言っておきました。
本堂の三如来と月輪綾に感動して、今熊野さんに向かいました。


 今熊野観音

朱塗りの「鳥居橋」。ここを渡る時、いつも気持ちが引き締まる。
妻も同じように何かを感じたのか、不思議な気持ちを訴えていた。
紅葉が綺麗だ。
子守り大師様が迎えてくれ、本堂と紅葉、その上に医聖堂が美し
く映える。
ここは、頭痛やボケ封じのお寺としても有名で、ご老人の参拝が
絶えない。誰だってそんな不安はあるもので、一度はお参りして
おけば、いくらか安心感が得られると思います。
御本尊に手を合わせ、写真を撮っていると、妻と娘がおみくじを
引けと言ってきた。
七福神のおみくじで、中に金色の小さな神様がおまけのように可
愛く入っています。僕の引いたのは大黒様でした。
やっぱり女性は占いやおまけが好きみたいですね。
その後、娘は五智水の井戸水をペットボトルに満たし、満足気に
微笑んでいました。