EVERYTIME WITH MOVIE

アナキンのBLOG

あの頃から今まで 思いは夢の中

1979年の映画

2011年07月30日 | 映画




「ディアハンター]

70年代も後半になればベトナム戦争を題材にした作品が目白押しなのだが、
その衝撃度はこの映画が一番だったように思う。
この後「地獄の黙示録」以外は戦争の上っ面だけを描いたものが多く、日本人
の我々にはベトナム戦争の真実が掴めにくいまま風化していったのではないだ
ろうか。
「タクシードライバー」同様に、デニーロはまた戦争帰りの苦悩の日々が待っ
ていた。


「奇跡」

確かに科学は進歩し、人類は多くの不可能を可能にしてきた。そしてその分、
宗教はどこか片隅に追いやられ、人々の拠り所としての場所を失ってきた。
この映画における祈りと奇跡は、命の復元という決して人智の及ばぬ神の
物語である。このデンマークの映画はその畏れを見事に映像化した神々しい
作品である。


「イノセント」

作家というのは静かに淡々とした遺作を残す人と、激しく情熱的な遺作を残して
世を去る人がある。
明らかに後者なのがヴィスコンティ監督だ。
僕らはこの映画に出てくるようなイタリア貴族でもブルジョアでもない、それでも
どこか身にに覚えのある心情が描かれ、どうしょうもない人間の業の普遍性を見せ
られる。そのラストシーンの何とも言えぬ味わい。



「木靴の樹」
映画の一つの完成された姿がここにある。
ドキュメンタリー風に綴られる、この素朴な農村の日々の物語。
小賢しい演出はない、大きすぎる演技もない、それでも長尺な映画は飽きる事は
ない。凄い力を持った美しい映画。
人生の最後の日が来るまでには絶対観て欲しい映画です。



「エイリアン」
初めてこの映画を観た時の恐怖感はタダものじゃなかった。
SF映画と思って座席に着いたのに、これじゃホラー映画だと思った。
もはや古典となったが、今観てもその凄さはひとつも衰えてはいない。


「暗殺のオペラ」
先日、ベルトルッチが久しぶりにメガフォンをとるというニュースがあった。
僕の青春時代に輝いていた巨匠たちが、次々に去って往く中、嬉しい知らせだった。
この映画もまた、ミステリアスで美しい映像の流れが堪らないものだった。
ビットリオ・ストラーロのカメラは、この頃絶頂時にあったのだろう。
その後はコッポラやカルロス・サウラといった名匠たちとの画つくりに頑張って
いたけど、やはり僕はベルトルッチの作品のカメラワークが秀逸のように思う。


「旅芸人の記録」
この映画は僕の青春です。
ギリシャの事なんか何の知識もなかった僕が、この旅芸人一座と共に時間旅行に
でかけ、映画が終わり、難波の映画館にいる自分に気づき戻った時、感動の波が
心を激しく激しく揺り動かした。
テオ・アンゲロプロスは間違いなく現役の世界最高の映画監督だと思う。

「ミスターノーバディ」か「トスカーナの贋作」?

2011年07月27日 | 映画
いやぁ今年の前半戦は面白かった。

1月に観た「人生万歳」
あんなに人をコミカルにかつシニカルに描けるのは、もはやウディ・アレンの
ほかにはいないでしょ。
それにしてもアレン監督ついに円熟期に入ったのだろうか?




1月には「ソーシャルネットワーク」も楽しめた。


2月は「ヒアアフター」を観た。
まさかあれ以上の津波が押し寄せてくるとは、あの時は思ってもみなかった。
「英国王のスピーチ」もこの月だった。
この映画がオスカーを獲ったわけだが、絶対的な作品でもなかったように思う。



3月は「トルゥーグリッド」が良かった。
昔観たジョン・ウェインの「勇気ある追跡」はいい映画だった。
これはそのリメイク作品だけど、一度コーエン兄弟の手にかかれば、ほとんどが色合いの違った
ものに仕上がり、ユニークだった。
一つ一つの細やかな演出が鮮やかで、やっぱり半端ない監督である。






4月は「トスカーナの贋作」を観た
何だこれと話が進むにつれ、虚と実のボーダーラインが薄れゆき、見事にこの世界に
引き込まれてしまった。
キアロスタミ!キアロスタミ! 「友だちの家はどこ」からずっと愛し続けてきたこの
イランの作家。
またしても虜にさせられた。それにしても不思議な余韻を残す名画だ。






4月はもう一つ「神々と男たち」が良かった。
どの国のどの時代においても、この映画のような事実は起こり得るもので、
生き続ける事と信じ続ける事の難しさを思い知らされる映画だ。





5月は「ブラックスワン」が評判に違わず面白かった。
そして「ミスターノーバディ」良かった!
ジャコ・ヴァン・ドルマル監督は独特の表現力で息をもつかせず、フィルムを走らせる。
そのスピード感とコーナーワークの巧みさに酔いしれた。
そんなもんで、久しぶりに「トトザヒーロー」を観たくなり、ビデオを引っ張り出してきては、
DVDに落とし込んだ。
やっぱり面白い。


6月は「スーパー8」。楽しかった。
けどJJエイブラムスはこんなもんじゃない、もっと凄い映画がつくれるはずだ。
「127時間」も6月。
生きる事の難しさと、生きる喜びを知らされる映画。
人生、皆一度は何かに挟まれれば、素敵な社会が待っているのではないのでしょうか。


7月は「ビューティフル」が良かった。
死に逝く時に、人は何を愛する者に残し、託すのだろうか。
それが見つからないと、焦るものなのだろうか。
ハビエル・バルデムの好演が光ります。
それとこの月は日本映画でいいのがありました。
「奇跡」




奇跡なんてほとんど起こらないものなのだが、実は世の中は小さな奇跡が集まって成り立っている
のじゃないだろうかと思わされる映画だ。
この映画も大きな奇跡はないが、ささやかな奇跡が人の気持ちや人生を変えていく。
それを感じて人は大人になっていくのかも知れない。

最後に「ハリーポッター」    楽しかった。
娘と奥さんとで10年間楽しめました。ありがとう。




1978年の映画

2011年05月11日 | 映画
      


この年以後から80年代と90年代前半は名画の連続で、個人的だが黄金期だったように
思う。


「アニーホール」

いよいよウディ・アレンの登場です。
見た目は冴えないけど、知的でお洒落で饒舌でシニカルなニューヨーカーそれが彼です。
この映画はその当時、最先端を行くお洒落映画としてうけにうけ、オスカーをも手にし
ました。そうそうダイアン・キートンの格好を真似したお姉さん達もよく見うけました。
この後はアレン監督、毎年のように愉快な作品を僕らに楽しませてくれました。
最近も「人生万歳」なんて楽しい映画がありました。まったく衰えを知らないオヤジだ。


「グッバイガール」

この頃のリチャード・ドレイファスは凄かった!主演作みんなヒットして、この作品では
アカデミー主演男優賞も受賞なんだから。けどこの映画は彼だけではなく、マーシャ・メ
イスンと娘役のクイン・カミングスも最高だった。
ニール・サイモンとハーバート・ロスのコンビだから面白いわけがない、未見のお方には
絶対お薦めのハートウォーミングです。


「ジュリア」

この映画の出演者たちも全員パーフェクトな演技で、僕ら映画ファンを驚かせた。
なかでもヴァネッサ・レッドグレイヴの芝居は映画史に残る名演技といって過言ではない。
さすがにフレッド・ジンネマン監督、この時代の世界観を見事に造りあげていました。
「地上より永遠に」と共にこの映画も後世に語り継がれる作品となりました。


「ピロスマニ」

大好きな映画のひとつ。
ゆっくりと暗い派手なところもないグルジアの映画だけど、ただ画面を見つめ、静かに語ら
れいく孤高の画家の物語にどっぷり浸かって、その落ち着いた画調に染められてけば、
心地良い気分になれた。
この頃からよく絵画展にも足を運ぶことになった。


「家族の肖像」

ヴィスコンティの晩年の作品はどれもがみな名画である。
そしてこの作品は長年のヴィスコンティが謳いあげた作品群の集大成ともいえる傑作である。
その当時、バート・ランカスター演じる老紳士の心情など判る事もなく見ていたが、今と
なってはその想いが少しずつ見えてきた。映画は自分自身の成長をしる事ができるモノリス
なのだ。


「遠い雷鳴」

「大地のうた」シリーズを観て以来すっかりサタジット・ライ監督とインドに魅かれていた
僕だが、この映画はとても悲しい史実に触れ、また違う観点でインドに向かい合う事が出来た。
この後の「チェスをする人」なんかも良かったなぁ。


「未知との遭遇」

ある意味スピルバーグの最高傑作かもしれない。
それはこれ以後のスピルバーグのライフワークとなるテーマの第一歩がここにあるからだ。
それにしてもOS劇場で初めて観た時は驚いたなぁ。その発想と宇宙船のデザインは斬新
だった。あんな感動が最近ないのが寂しい。


「スターウォーズ」

感動といえば、この映画を封切初日に観に行った日の事は生涯忘れる事はないだろう。
まさに夢を観ている気分でいた。子供の頃から探し求めていた映画が今ここに、大スクリーン
に展開されている現実に熱くなっている自分がいた。
それから僕は一体エピソード4は何度観たことか。
映画が語りうるエンターテイメントの極みがここにある。




1977年の映画

2011年05月08日 | 映画
「惑星ソラリス」

昨年、クリス・ノーラン監督の「インセプション」を観ました。
とても面白かったのですが、夢の中に現れる亡き妻の姿に苦悩する主人公を
見て、「惑星ソラリス」を連想された方が多かったのではないでしょうか。

僕にとって、初めてのタルコフスキー作品。
SF映画というのにどうだろう、このスローテンポな映画。言葉は省略され、
あの独特の映像には過剰なまで時間を使い語られて行く。
人間の深層心理にある、耽美・後悔といった暗い影を、ソラリスの超常現象に
揺り動かされ、悶え苦しむ姿は恐ろしい。
文句なしの名作だ!

「ロッキー」

この映画がオスカーに輝き、キネマ旬報の1位になった時には、僕は何だかなぁの
思いでした。確かにチンピラ風情の男が艱難辛苦の末、世界チャンピオンに挑戦
していく高揚感は凄いけど、さほどの映画でもなしの感があった。
それから歳は重ね、あさはかながらも脚本の勉強をしていて、ふとこの映画の巧妙な
構成と語り口に気づくのです。
映画はやはり一度観たくらいでは、中々その面白さに触れられる物ではないのが
よく判ったものです。

「ネットワーク」

先日シドニー・ルメット監督が亡くなった。小学生の頃、日曜洋画劇場で観た「12
人の怒れる男」が最初に心打たれる外国映画となるのだが、その監督がルメット氏
であった。さみしい想いと感謝の念で一杯です。
社会派の監督らしく、この映画もまたジャーナリズムの因果を描いた秀作であった。

「鬼火」

ルイ・マル監督は大好きな映画作家だ。この作品は彼の代表作の一つだが、この頃
の僕には今一つ感じるものが無かった。もう一度マル監督のDVDをひっぱり出して
順に見直ししなくちゃ。
ただモーリス・ロネはよかったなぁ。

「幸福の黄色いハンカチ」

いかにも、いかにもといったような物語と演出であるが、日本人はこのてあいの話が
好きなもので、ましてやそれが高倉健ともなると、格別の感があるのだろう。
人生の多くを失った男の最後に残された愛。その切ない想いとすべてを失う恐怖。
その交錯の旅物語。流石に山田監督、最高のロードムービーとなりました。

ブニュエル監督の「自由の幻想」も面白かった。
「スラップショット」この頃ポール・ニューマンはまだまだ動けた。






1976年の映画

2010年07月24日 | 映画
毎年WOWOWのアカデミー賞中継を楽しみにしている。
オスカーの行方もさることながら、スター達のお喋りやパフォーマンスに
我を忘れテレビに釘づけ状態になっています。
今年は「アバター」VS「ハートロッカー」という評判で進み行き、結果は
「ハートロッカー」に軍配が上がったようです。
そんな事で僕も両作品を鑑賞しましたが、どうでしょアカデミー賞も変わり
続けていますが、ここにきてまた違った風が吹いたような気がします。
両作とも楽しめたけど、はたしてオスカー作品として後世に語り継がれる
映画だったのでしょうか?


1976年の映画

「カッコーの巣の上で」
時は三十数年前。アカデミー賞の主要五部門を総なめにした映画がありました。
本当に切ない映画だった。ただ静かに観ているだけでも何故か心の涙があふれ
だす。そんな映画だった。
僕たちは何をして精神の破綻を計るのだろうか。そもそも人はいつも正常で、
落ち着いた精神の上にあるのだろうか?
人としての尊厳は自由にあるもので、それを断たれた者の悲しみは、はかり
しれなく深いものだ。

「バリーリンドン」
数奇な運命に導かれる人がいる。このバリーリンドンもまたそんな人生を送る
者のひとりだが、彼に関しては少しパターンが違う。
知ってか知らぬか、好んでなのか、自分自身でその不思議な物語に足を踏み込
んでいっては、困難の迷路に陥るのだ。
自ら蒔いた種が芽をだし、葉をつけ花を咲かせ実を結ぶ。しかし転落人生はどこ
かでそれが狂って収拾がつかなくなる。因果応報とはまさにこの事だ。
それにしてもこの作品の美術感覚はどうだろう。間違いなく映画史に残るその
美しさは、ただ見とれるばかり。
キューブリック「2001年宇宙の旅」以後の最高傑作はこれだと思う。

「狼たちの午後」「グリニッジビレッジの青春」「がんばれベアーズ」なんて
とても面白かった。
僕の好きなフェリーニとトリフォーも「道化師」「思春期」とこの年にはまだ
まだ健在だった。

「タクシードライバー」
この映画ほどその当時の僕の心情を、反映し揺るがした映画はない。
結構落ち込んでいた僕に、こんな孤独感を漂わせた主人公。胸に突き刺さる
ほど、苦しく切ない気持にさせられ、見事にハマったものだ。
(べつに僕はベトナム戦争から帰って来た者ではありません)
あの頃の病めるアメリカとデニーロのやるせない表情は、今見ても心に染みる。
この頃のスコセッシ監督は良かったなぁ。
そして、この映画のジョディに魅了されて、デニーロ紛いに狂気に走り、
レーガン大統領暗殺未遂事件まで事を進めた男もいた。
それほど、衝撃的な映画だったわけだ。



1975年の映画

2009年12月29日 | 映画
この頃僕はまだ高校生で、夏休みなどにはアルバイトしては映画を観る
ための資金を稼いでました。
尚且つたくさんの映画に出会いたいために、せっせと試写会に応募しては
見さかいなく足を運びました。
この年はうまい役者が多く、演技力の神髄を見せられた一年でした。


「JAWS/ジョーズ」

スピルバーグ。彼がホームランバッターな事は「激突」を観た時から判っ
ていたけど、こんなにも早く打てるとは思っていなかった。
「激突」同様に見せると見せないを、こうも巧みに使える監督。
観客に惜しみない前フリをし、すかしてすかして最後に見せつける。
映画のみならず、全てのエンターテイメントに通ずる演出の王道がここにある。
若くしてサスペンスの基本を知りつくし、古い名画をリスペクトしつつ、
新しいスタイルを模索する姿勢は、今も変らない。
この映画役者もいい。とくにロバート・ショーは最高だった。


「愛の嵐」

現在、洋画・邦画を問わず女流作家は大活躍なのだが、この頃は本当に
希少な存在でした。
そんな中、リリアーナ・カヴァーニが見せてくれました。
愛のかたちには色々あるもんだと、この頃気付いたものです。
何はともあれシャーロット・ランプリングが美しかった。


「ヤングフランケンシュタイン」

メル・ブルックス・パロディ映画の極みをいく作品です。
出てくるキャラクター全員が可愛いのですが、とくに僕はギョロ目の召使
を演じたマーティ・フェルドマンがお気に入りでした。
今はジーン・ワイルダーみたいなコメディアンがいないのが残念です。


「チャイナタウン」

ロマン・ポランスキーはやはりハワード・ホークスをやりたかったよ
うですね。あの頃の雰囲気を再現するのに苦労した事でしょう。
ジャック・ニコルソンはこの映画の彼が一番好きかも、とにかく未見の
お方は一度は観ておくべき映画です。


「冬の光」

この年、ベルイマンはこの映画と「魔術師」が公開された。
大体の人が面白みの多い「魔術師」を評価していたようだが、僕には
この映画が何故か心に染みいるものとなった。
今にしてみると感覚で映画を捕らえては、自分の中に消化していたの
でしょう。
神と人間の対峙に言及した冷めた映像は、僕の中でいつか答えを出す
べきものと感じていたような気がしていた。
けど未だにその答えは見つからず、この歳まで生きている。
あの頃の自分には少し恥ずかしいけど、ゆっくり解答をだして、答え
合わせしていくつもりで頑張ってみようと思う。
そんな思いもあって、この年のベストワンはこの映画かな。

「オリエント急行殺人事件」

クリスティの原作。揃いに揃った名優たち。華麗な音楽。そして憧れの
オリエント急行。
グランドホテル形式で進む極上のミステリーがここにある。
誰が犯人なんて、一度観れば判るし、皆が知っている有名な物語。
それでもまた観たくなる、そうです、ただスクリーンを観ているだけで
いつも幸福になれる映画もあるものです。

「アリスの恋」

母と息子のロードムービーだが、母親として女としての葛藤がうまく描か
れている。それとこの映画を観れば男は情けないものに見えてきます。
そういう事でこの映画はやはりエレーン・バースティンにつきる。
この頃の彼女は連続でいい作品に出ていました。その後もジュールス・
ダッシンの「女の叫び」で好演していたけど、この映画の彼女は特別だった。


「デルスウザーラ」

黒澤監督が描き出す美しい映像の向こうに、老いる人間の深い悲しみが
オーバーラップされ儚さに涙する。
そして人間も自然の中の一員に過ぎず、無常な世界の小さな存在である
事を知る。
文明に背を向け、自然に生きるデルスに、文明の風は彼に何を囁くのか、
本当に僕たちはデルスの事を理解してあげる事が出来るのだろうか。
この映画を黒澤のベストにあげる人は多く、僕も分かるような気がする。



「ロンゲストヤード」

この頃僕は、アメリカンフットボールにはまっていて、数少ないNFLや
NCAAの録画中継に夢中だった。
そこにやって来たのがこの映画。
ロバート・アルドリッチは男臭い映画を撮らせれば天下一だった。
それにしても、あの日の試写会場だった高島屋ローズシアターは爆笑の嵐
だった。


「フロントページ」

ビリー・ワイルダーを知らない人はいないと思うが、もし映画を愛し
始めて間のないお方なら注意が必要です。
彼の映画。一度はまると、虜になり次から次へと観たくなります。
細かいギャグのエッセンスや心情ゆさぶる演出は、間違いなく最強の
演出家なのです。
それにしても、レモンとマッソーのコンビはいいですねぇ。


「ハリーとトント」

ただの老人と猫のロードムービーじゃない。こんなに味わい深い思い
でラストを迎える映画もそうはない。
アート・カーニーの演技はオーバーアクションにならず、実にリアル
で観客を物語の中へと引き込む。
老人社会となった今の日本には、こういう話は多くある事と思います。
いずれは皆が歩むべき道として、この映画を観て考えるのはどうでし
ょう。


「ゴッドファーザーPARTⅡ」

面白かった。前作より構成の仕方がかわり、メリハリの効いた画面が
新鮮で魅了された。
特にビトー・コルレオーネの若き日のシーンは好評で、僕もそれには
納得できた。
ロバート・デ・ニーロ。
彼は何者なんだと思った。そのクールな芝居と邪魔にならず画面を圧倒
する姿は驚愕の役者の出現だった。
その後、僕はデニーロの映画を見逃す事はなかった。

1974年の映画

2009年12月12日 | 映画
この年もまた僕にとっては、黄金の一年だったように思う。
このような巨匠たちの華やかな祭典は、今後見れる事はないだろう。
どの作品から話せばいいのか、迷いに迷う。

「フェリーニのアマルコルド」

誰が何と言おうと、この映画を僕は愛している。
イタリア人でもないのに、無性にノスタルジックに誘われ、アドリア海
に面したリミニの町が恋しくなる。
よくフェリーニは映像の魔術師と称されるが、この映画はまさに、その
イメージが爆発した感がある。
中でも、リミニの沖合を豪華客船が行くというので、町の人々がこぞって
見物にでかけるシーン。夜の海。あの有名なビニールの海を、煌めく灯り
の巨大な船影を見て、感涙する人々。ニーノ・ロータの音楽。
それだけでもこの映画を永遠と語れる気がする。


「大樹のうた」

先日、キネマ旬報が発表したオールタイム映画ベスト10を見て、なんか
腑に落ちない方もおられたと思う。
個人のベスト10ならその感性の違いもあり、そんな意見もあるんだなぁ
と納得もいくが、あのベスト10はどうだろう。
たとえば邦画に溝口健二の作品が一本たりとも見当たらない。
おそらく「雨月物語」など観たこともないのではと疑いたくなる。
洋画にしてもそうだ、上位には英語の作品が多く、欧州やアジアの作品は
評価されてはいない。
特にアジア映画はどうだろう。サタジット・ライの「大地のうた」はもう
誰も観た人はいなくなってしまったのだろうか。不安に思った。
この映画はその大地三部作の最終章です、是非観てください。
このインド映画の美しさに触れてみて下さい。


「スティング」

初めてこの映画を観た日の、あのドンデン返しの快感は忘れられるもので
はない。とにかく面白かった。
「明日に向かって撃て」を観てジョージ・ロイ・ヒルのポップな演出に、
拍手したが、今回はスタンディングオベーションでした。
ニューマンとレッドフォードのコンビ、もう一度観たかったなぁ。


「ペーパームーン」

ボグダノヴィッチ監督、今度は「ラストショー」より少し昔のアメリカを
描いては、大いに楽しませてくれました。
それにしても、テータム・オニールの生意気で可愛らしいこと。完全に父
ライアンは押されていましたね。
この映画、センチメンタルでコミカルなロードムービーですが、あの頃の
アメリカ(僕は知りませんが)の辛辣な部分が垣間見れたりもでき、とても
良く出来た映画でした。


「アメリカの夜」

トリフォー映画は観ていたけれど、まだまだ未熟な僕には本当の意味での
トリフォーに触れてはいなかった。
この作品は、映画ファンなら誰もが興味をしめすのは当然で、スクリーンの
向こう側を描いた、言うとこの楽屋落ちものなのです。
そして映画監督の心労が如何なものか、トリフォーは語ります。
「市民ケーン」の劇場用スチールを盗みに行く少年のカットは、今見れば涙が
溢れて止まらないものです。
この映画の後は、トリフォー作品が恋しくてたまらなくなった。


「叫びとささやき」

ベルイマンの映画で一番厳しい映画だと思います。観ているのが辛く、悲しい
のだが、人間とはそういう生き物だと、今を生きる我々へのベルイマンからの
メッセージと受け止め、人間の本質について考えてみましょうか。
美しいが残酷で深い悲しみにあるのが女性なのか、ベルイマンは赤い色でそれを
表現しています。確かに赤という色には、血の色をイメージでき、この映画は
そんな女性の血で綴られた物語だったように思う。


「アメリカングラフティ」

ジョージ・ルーカスの名前は知らなかった。当然「スターウォーズ」の影も
形もなかった時のことです。この手の映画は好きではなかったけど、話題に
なっていた作品で名画座に出かけ観る事にした。
やはり喰わず嫌いは損なもので、話が進むにつれてのめり込んでいった。
この後リチャード・ドレイファスはスピルバーグ作品で出世し、ロン・ハワ
ードはなんと名監督になっていく。ハリソン・フォードもちょい役で出演し
たのが幸いして、ルーカスの次回作ではあの大役を得た。
ルーカスだけではなく、この映画は大いなる出発点な作品なのです。


「狼は天使の匂い」

「巴里は霧にぬれて」は良い映画だった。しかし何と言ってもルネ・クレマン
の最後の名画はこれだろう。
この作品も見逃している人が多いようですけど、機会があれば是非お見逃しの
ないようにして下さい。ロバート・ライアンがかなり渋いです。


「砂の器」

邦画はお茶漬けサラサラ的な作品が多い中、この作品はフルコースでたっぷり
味わう事のできる名画だ。
加藤剛も丹波哲郎も現千葉県知事もみんな良かったなぁ。
松本清張の原作に負けることのない、野村芳太郎監督の演出は出色の出来栄え
で、あの音楽と共に日本映画の歴史に燦然と輝く作品となっています。


「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」

悲しいかな滑稽かなブルジョワジー。
富裕階級の傲慢な人間性をシニカルに描くブニュエルワールドは最高です。
結構詰らないブルジョワジーの暮らしぶりだけど、それでも僕たちはセレブな
生活に憧れるもので、それが人間の性なのでしょう。
けど、少欲知足という言葉があるように、時流は人間本来の質素な生活に回帰
せねばならないようになって来ているのです。贅沢は控えなくては。


「エクソシスト」

今のオカルト・ホラーはこの映画から始まったと言っては過言ではないはずだ。
それぐらい衝撃的で恐い物語だった。
悪魔払いなる人が、西洋でも生業として存在した事にも当時は驚きだった。
試写会で観たあの日。当日は異様な程に盛り上がり、上映後はため息の海だった。
それにしても、少女の首がグルリと回る瞬間はさすがに絶叫ものだった。


「アンドレイ・ルブリョフ」

タルコフスキーに出逢ったのは「惑星ソラリス」だった。
その前に「僕の村は戦場だった」や、このロシアのイコン画家を描いた、とても
ピュアなモノクロフィルムがあった事に驚く。
三時間に及ぶ大作で、長く感じるかも知れませんが、一度観て下さい。
それぞれのシークエンスに込められたメッセージにいつしか引き込まれていく
はずです。そして最後のカラー映像で綴るイコン画に感動の波が待っています。




1973年の映画

2009年11月23日 | 映画
1973年。友達が受験勉強に勤しむ中、僕はただひたすら映画館へ
通う毎日だった。

「ブラザーサンシスタームーン」
聖フランチェスカの悟りと神への愛を謳った見事な映画。
イタリア・アシッジの美しい風景に展開する心洗われる物語に、僕の
友人Sはたいそう感動する。その所為でこの映画の主題歌も気に入っ
たSに、登校時・休憩時間・下校時にと下手な歌を聞かされる事にな
った。

「ジョニーは戦場へ行った」
反戦映画のスタイルは数々あるけれど、この映画は人間の生命力そし
て生きる源が何処にあるのかを考えさせられた映画だ。
そして命の尊厳を無視する戦争の悲惨を、戦場ではなく病院のベッド
の上で描いてみせた。

「ジャッカルの日」
F・フォーサイスの原作が面白いのだろうが、映画の方もF・ジンネ
マンという巨匠の演出により、極上のサスペンス映画となった。
とにかくカッコいいし、面白かった。

「激突」
この映画からスピルバーグとの長い付き合いが始まる。
アメリカではテレビ映画として製作されたこの作品。日本や欧州では
劇場公開されるや、天才スピルバーグの名前はあっと言う間に知れ渡
る事になる。その後「続・激突カージャック」「JAWAS」と続く
それからの成功は誰も知ることで、そのスタートに立ち会えた事が、
昨日のように思える。

「燃えよドラゴン」
ブルース・リーは今もヒーローである。
あの時代にこの映画を観て、狂喜乱舞した若者にとって、それ以後の
アクションスターにはさほど満足してはいないのだ。
あれだけストイックに、そして大向こうを唸らせる動き(いい意味で
クドい動き)は彼だけのもので、それを超えた者はいない。

「探偵スルース」
ローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインの丁々発止には脱帽だ。

「ラストタンゴインパリ」
ベルトリッチの快作だけど、リアルタイムでは観れなった。

「マクベス」
いい映画だったけど、マクベスなら黒澤の「蜘蛛巣城」がお勧めかな。

「フォローミー」
晩年のキャロル・リード作品。とてもお洒落で可愛い作品だった。

「ぐうたらバンザイ」
僕自身がぐうたらなので共感する事が多く、哲学的で大好きな映画だ。

「仁義なき戦い」
高い評価を得た事もあって、神戸までシリーズ三本立てを観に出かけ
た思い出がある。けれど僕にはしっくりこなく、好きにはなれなかっ
た。

「股旅」
斬新な時代劇です。この同時期テレビシリーズで「木枯らし紋治郎」
も演出した市川崑監督も若かったのです。

「津軽じょんがら節」
日本映画ではこの作品が一番良かった。斎藤耕一監督の寒々しい映像は
70年代の邦画の香りがして、懐かしい。

「ポセイドンアドベンチャー」
つい先日、伊豆諸島の沖合で漁船の転覆事故があった。乗組員の奇跡
の生還が涙を誘ったが、行方不明の人もおられ、一概に喜べるニュー
スでもなかった。
映画ファンなら転覆した船体を見て、この映画を思い浮かべた事でし
ょう。
このような事故の場合、生死を分けるのは特別なものではない事を本
作は教えてくれる。人間の運命はとても流動的で、ある意味不条理な
ものかも知れません。
余談ですが、この映画は僕にとって初めて人前で映画評を書いた思い
出深い作品です。中学の文集作成で、余ったページに困った先生から
電話を受けた僕は、観たばかりの「ポセアド」の感想を喜んで書いた
ものです。

「スケアクロウ」
ジーン・ハックマンとアル・パチーノという、当時のりに乗っている
二人の共演。そしてカンヌ映画祭パルムドール受賞。試写の葉書を手
にワクワクで席に着いた。
ファーストシーンから心奪われ、寂しい二人の道行きにはまり込む。
世界中どこにもこのような人生を送る人がいる。そして人は皆が重荷
を背負い歩いていくものだと、中学生ながら実感したものだ。
この年のベストワンは」この映画で決まりだ。

1972年の映画

2009年10月12日 | 映画
1972年は映画好きには黄金の年だった。
魔術師と鬼才。型破りな刑事たち。そして名付け親。
こんなに名画が揃った年もそう多くは無い。


「ダーティハリー」
二十歳の時サンフランシスコへ行った事がある。
初めての海外旅行だった。
ハリー・キャラハン刑事が銀行強盗を追い詰め、クラッシュさせた車が
消火栓を壊し、水が噴き上げるシーン。
その街を歩いた時、映画ファンとしての一つの喜びを味わえた。
この映画はやはり型破りな刑事の魅力につきる。法と秩序を守る公安と
しての任務より、人としての正義に立つ男。その光と影。
この後、ハリーの亜流が幾多と現れたけど、どれも本家には遠く及ぶも
のではなかった。役者がちがうのだ。
そして誰が想像しただろう、巨匠となった今のイーストウッドを。


「フレンチコネクション」
ダーティーハリーが西海岸なら、こちらポパイ刑事は東海岸はニューヨー
ク。こう言ったところにもアメリカ風土の気質が出ていて面白い。
この映画の脚本は実によく出来ている。観る度にそう思う。
犯人を走っては追いかけ、張り込んでは追い詰め、また車で追いかける。
そして緊迫のラストまで、面白さは半端じゃない。
ジーン・ハックマンとフェルナンド・レイの存在感はこの映画を一段と
上質なものにした。アメリカとヨーロッパを表現するのに、このキャ
スティングは秀逸だった。
当時、はまりにはまった作品で、71年度のアカデミー賞は当然の結果だ
と思った。


「ゴッドファーザー」
あまりにも有名なこの映画。今さら多くを語る事もないでしょう。
それにしても封切り当時の熱狂ぶりは、尋常ではなかった。
そういえば僕も、ラグビーの練習試合をサボって、梅田のOS劇場へ出か
けた記憶がある。
その期待感と観終わった後の満腹感は、映画少年には裏切る事はなく、幸
福の限りだった。


「フェリーニのローマ」
この映画の封切り前だったと思う。テレビで「甘い生活」を観て、僕はフェ
リーニ監督の虜になる。以後20年、彼が亡くなり、イタリア国葬となる日
まで、その新作を追い続ける事になる。
この映画はわが青春のフェデリコ・フェリーニの始まりのような作品なのです。
イタリアの片田舎のリミニに生まれ、憧れの地ローマへやって来る若きフェ
リーニ。
そこに待ち受けていた真実のローマ。圧倒的なイメージに構築された映像魔術
の世界。
すべてのシーンが新鮮で、驚愕の連続だった。


「時計じかけのオレンジ」
鬼才キューブリックの奇抜な映像イメージは群を抜いていた。
しかし公開当時、僕はこの映画に描かれた悲観的な社会、暗い未来を信じはし
なかった。根がポジティブというより楽観的なのだろうか。
あれから37年。今の社会はどれくらい人間性が希薄になったのだろう。
欲望や自由を統制される事は恐怖だ。けど人間の欲望など、たかが知れている。
この長い歴史の中でも幾度か終末的な社会を迎えても、人は今こうして生き延
びらえている。
決して万事が幸福な訳ではないが、人は何とか生きている。
文明に毒され、神を見失っても、いつか人間は復活するものと信じている。


「キャバレー」
あの当時のドイツの街並とキャバレー。特別にリアルに描かれたわけでもない
けど、そこにはナチズムに染まる苦難の時代、その隙間に見えるロマンチシズ
ムを感じさせてくれる。
ライザ・ミネリのはっきりした顔と歌声。ジョエル・グレイのいやらしいまで
の芸人風情の可笑しさ。そしてボブ・フォッシーに振付られた画面の躍動感。


「ラストショー」
ボグダノヴィッチは映画のツボを知っているし、絵造りもうまい。
映画評論家から転じて監督になった彼には、ずっと頭の中に過去の名作のデータ
があるのだろう。それを引用して物語を綴れば巧くいく自信はあったはずだ。
この作品からも、そんな匂いがする。
そして、それを机上の空論に終わらせてはいないのが素晴らしい。
アメリカの片田舎の青春映画。無常感あふれるモノクロの画面に、乾いた風が
砂埃をおこし、去りゆく時間を映しだす、美しさは見事だ。


「ジュニアボナー」
「わらの犬」
苦手なペキンパーだけど、この年は大いに楽しませてくれました。


「マーフィの戦い」
「ホットロック」
ピーター・イェーツ監督がのりのりだった時期です。
この2作観ていない人が多いようですけど、絶対に一度は観るべきだと僕は
思います。間違いなく面白いですよ。
2作とも試写で見せてもらって大感激。で、ヒットしなかったのは配給会社
の所為だと、今も思っている。


「リア王」
シェークスピアとの出逢いは、モノクロの暗い映画だったけど、なぜかその
重い映像に引き込まれ、堪能できた。


「死刑台のメロディ」
政治的な題材を持つ映画は取っ付きにくいもので、その内容が自分から遠ければ
遠い程、感情移入は希薄になる。
しかしこの映画は稀に、中学生の僕をしびれさせた。
ジョーン・バエズの唄もよかったなぁ。


「大いなる勇者」
レッドフォードのジェレマイア・ジョンソン。とにかくカッコいい。
本当の西部の男はこうだと思った。とても好きな一作です。


「ボーイフレンド」
ケン・ラッセルらしい凝りに凝った作風の映画です。当時人気のツィギー
を主役に絢爛な映像が楽しめます。


「暗殺の森」
このベルトルッチは凄い。いつも絵造りにの巧みさに感心させられるが、
中でも「暗殺の森」は一番の出来と言えるだろう。
儚い人間の弱みと哀しみ。絵画のようなフレームワークが美しい。
この年のベストワンはこの映画のような気がする。
そして当時、僕の一番のお気に入り女優ドミニク・サンダの可愛いかった
こと。

1971年の映画

2009年09月23日 | 映画
1971年から僕は映画を芸術として、エンターテイメントとして、
こよなく愛し始めた。
それは兄の影響もあったが、この年は多種多様で良質な作品が公開さ
れた事も大きな要因で、映画ファンとしてはとても良いスタートの年
に巡り会えたような気がする。


「ベニスに死す」
この映画については以前に語らせてもらたので、そちらを宜しく。
そして、この年のベストワンは断トツでこの作品なわけで、それは今
も変わらないし、今後も変わる事はない。


「小さな恋のメロディ」
マーク・レスターもトレイシー・ハイドも大体が僕と同世代で、そう
言う意味ではリアルな青春映画だった。
しかし、映画通を気取り始めた頃の生意気な僕には、少し物足りない
お子様映画で、さして気に入る作品でもなかった。
その後テレビなどで再見する度に、淡い青春の日々がこの映画と共鳴
するかの如く、忘れられない映画となっていった。
恐らくこの世代の人間には思い入れの強い作品だ。


「小さな巨人」
何て面白いお話なんだろう。あり得ないシチュエーションでアメリカ
の歴史を皮肉って、お伽話のようにグイグイと引き込んでいく語り口
に、アーサー・ペン監督の力を見せられた。
未だにこの映画のダスティン・ホフマンが一番好きです。


「アンドロメダ…」
あのロバート・ワイズが結構シリアスなSF物に挑み、渋く出来上が
っている。
病原菌によって、血管から砂の様に血がサラサラとこぼれ出すシーン
が印象的で、ラストシーンまで釘づけにされた。
その後、ワイズ監督は「スタートレック」も撮ったけど、こっちの方
がSF映画としての神髄が見られ、高く評価できると思う。


「哀しみのトリスターナ」
このころブニュエルはさほど好きな作家ではなかった。
中学生ではまだまだ理解しがたい世界を描くスペイン人の気持ちは、
到底判るはずもなく、後々その作品群を通して、ブニュエルの感性に
近づけたものです。
それにしてもドヌーブは美しい。「昼顔」もそうだがブニュエル映画
の彼女は強烈な妖艶を魅せてくれる。


「わが青春のフロレンス」
「ソルジャーブルー」
  2作品とも結構重いテーマの映画だった。そんな中オッタヴィア・ピ  
  ッコロとキャンディス・バーゲンは可愛いかった。

「キャッチ22」
  マイク・ニコルズのブラックコメディは笑いよりも驚きの連続だった。

「バニシングポイント」
  あまりにもアメリカ的で理解に苦しんだが、その疾走感には酔った。

「告白」
  「Z]に続きガブラスとモンタンのコンビはちょっと暗めで恐かった。

「エルビスオンステージ」
  プレスリーなんて、まったく知らない僕なんかでも、フィルムコンサ
  ート以上の熱は大いに伝わったものです。

「栄光のルマン」
  当時、絶頂にあったマックィーンの車へのこだわりは凄い。
  レースシーンは今のデジタルエフェクトには無い、映画人としての熱
  い息吹を感じさせられた。


「屋根の上のバイオリン弾き」
その昔の、ウクライナのユダヤ人の物語など、知る術もなかった僕は、ト
ポル演じるテビエの強烈な歌声と見事な楽曲で、一度でその世界に魅了
させられた。
とくにボトルダンスのシーンはミュージカル映画史上に残るものでしょう。
最近この手のミュージカル映画がないのは寂しいかぎりだ。
その当時、この映画のサントラをオープンリールのテープで録音し、兄と二
人してよく聞いたものでした。


「ライアンの娘」
フレディ・A・ヤングの撮影はもう神がかりだし、モーリス・ジャールの
音楽はこよなく美しい。
それにしてもデヴィット・リーン監督、スペクタクル映画の巨匠と思いきや、
こうもよく女性の心理を描く事ができるのか。「逢い引き」「旅情」「イン
ドへの道」どれも凄い。


1971年にはカップヌードルが発売され、マクドナルドが日本に出店され
た年です。
どちらも今では日常となった物だけど、あの頃は実にエポックメーキングな
食品だったものです。
映画も同じで、今となっては当たり前の描写・演出・表現方法も創出の時に
は斬新で、新鮮な驚きと戸惑いに僕等は酔ったものだ。
以後の作品たちは、それを踏襲したり、さらに豊潤なものに変えては前進し
て行った。
1971年当時の公開作品にも、そういった新しいスタイルの映画が見られ、
僕などは目を丸くしては、いつも楽しんでいた。

1970年の映画

2009年09月20日 | 映画
僕が《映画》というものを意識して見始めたのは、正確には1971
年からです。
あの頃はとにかく、一本でも多くの映画に出会いたいが為に、名画座
で二本立て・三本立ての日々でした。
だから前年の1970年公開映画も当然リアルタイムに近い感じで
観ていたわけです。
そんな事で1970年というキリのいい年から、僕のお気に入り映画
の話をさせてもらいます。

そして1970年と言えば、やはり日本万国博覧会でしょう。
僕も七回ほど足を運び、その規模と斬新な世界に圧倒された一人です。
中でも数多くの映像展示や上映方式のユニークな発想には驚きの連続
でした。
それから半年も経たぬうちに、僕は映像世界の虜となっていくのです。
今から思うに、万博はその予兆のような物だったのかも知れません。



 「イージーライダー」
アメリカンニューシネマという言葉は60年代から70年代にかけて、
伝統的なハリウッド映画とは一線を画し、リアルなアメリカをシニカ
ルに等身大でポップに描いたものだった。
この作品は前年に公開された「真夜中のカーボーイ」と共にその典型
的な映画で、その後のロードムービーの先駆けとなった名作だ。
それにしても、デニス・ホッパーにピーター・フォンダそしてジャック
・ニコルソンなんて役者が揃えば、何をせずとも映画の形になるのは
当然だと思った


 「サテリコン」
フェリーニは12歳の時、テレビで「道」をみて、ただならぬその感性
に驚き、以後は最愛の監督となった人だが、この作品を一番最初に観て
いたら、とても取っ付きにくい監督になっていたかも知れない。
今でこそ、その不思議世界に慣れ、逆に浮かれ喜ぶ自分なのだが、最初
のフェリーニとしては、あまりお勧めできないかも。


 「Z]
この作品を最初に観たのは、中学生の頃だったと思う。
地中海某国の政治的な背景など知る由もなかったが、そのスリリングな
展開と当時として斬新な映像に引き込まれたものだ。


 「明日に向かって撃て」
この作品もアメリカンニューシネマの名作で、バート・バカラックの名曲
「雨に濡れても」はあまりにも有名だ。
ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビは少年時代の僕
には憧れの存在だった。とにかくカッコ良かった。


 「M★A★S★H」
コメディ映画のスタイルをしてはいるが、そこにはちゃんと戦争と人間が
描かれているのには驚く。とにかく笑えるハチャメチャな映画だ。
まだ観ていない人には絶対のお勧めですよ。


 「家族」
山田洋次の傑作だ。高度経済成長時の日本の姿と日本人の家族の顔が見事
に表現された、ロードムービーの神髄がここにある。いつも「男はつらい
よ」と並行して名作を作り出す山田監督には恐れ入る。


 「どですかでん」
貧しき人々に見える風景と心の様が、明るくはあるが、どこか儚い色彩で
綴られている凄みに感動した。


 「ひまわり」
マルチェロとソフィアのコンビ。デ・シーカの描く悲しみ。そしてニーノ・
ロータのあの名曲。この映画は歳を重ねるごとに、心に染みるように出来て
いる。


 「雨の訪問者」
ルネ・クレマン作品だが、僕にはブロンソンの映画として心にある。
フランシス・レイの音楽も秀逸だ。


 「クリスマスキャロル」
アルバート・フィニイとアレック・ギネス。原作はディケンズ。そんでもって
ミュージカル映画。“サンキューベリーマッチ”は一度観たら決して忘れられ
ないフレーズになる。


 「大空港」
パニック物の原点となった作品。そしてその後もエアーポートシリーズが続く
記念すべき一作。オールスター映画でもあった。中でもこの頃のジャクリーン
・ビセットはたまらなく美しく、当時の一番のお気に入り女優だった。
そういえばこの年、よど号ハイジャック事件もあったんですね。


 「パットン大戦車軍団」
パットンという名前と同時にロンメルという名前も覚えさせられた映画。
伝記映画なのだろうが、少し変わった作風で、賛否両論はあったが一度
は観ておきたい映画ではないだろうか。


 「レットイットビー」
この年ビートルズは解散した。まだ小学生だった僕は、この曲が好きに
なり、やっとビートルズを意識し始めたとたんに、解散という悲しい運
命の出逢いをする。


 「ボルサリーノ」
少年時代はやくざな男に憧れたりするもので、僕にはドロンとベルモンド
だったようだ。何といってもあのテーマ曲がいい。


 「大河のうた」
あの名画「大地のうた」の続編だ。少年オプーが成長し、厳しく切なく儚
い人生が、ガンジスの流れの中を漂う。


そしてこの年の一番のお気に入りは。
 「地獄に堕ちた勇者ども」
こんなデカダンスなトンデモナイ映画で、たくさんの美学を知った事は幸
か不幸か。ヴィスコンティが造りあげる、その退廃の香りは今も狂おしく
スクリーンに漂います。それとあの時代のあの景色を見事に再現させた役
者陣と美術スタッフの力量に感服。
この作品以後のヴィスコンティ映画はすべて完璧な出来栄えで、それをリ
アルタイムで追っていけたのは幸福だった。

映画は娯楽!「スタートレック」

2009年05月30日 | 映画
お寺参りに勤しむ中、ゴールデンウィーク以後、何本か劇場へ
足を運びました。
みんな娯楽作品として、大いに楽しめた作品でした。


「バーンアフター・リーディング」

僕の大好きなコーエン兄弟。
相変わらず絵にはこだわりがあって面白いが、米国でカリスマな
彼等だからこそ成り立つのであって、普通の監督で、あれだけの
スターが揃わない企画なら、よしんば上映にこぎつけても、酷評
の嵐に曝されるのがオチだろう。
それでもコーエンマニアには結構満足な作品となっている。
CIAをコケにしながら、米国の悩める社会形態を皮肉ってはい
るが、風刺コメディというよりは、人間滑稽劇として楽しめる。


「スラムドッグ$ミリオネア」

遠い昔から現代に至るまで、人類はさほど変わりなく愚鈍な行為に
終始している。
ことにインドという国は、いつの時も貧しさと豊さが混然となって
在るので、物語の題材には事を欠かない。
今の日本では少し現実感がないが、世界ではスラムは当たり前のよ
うに存在している。
貧しさ故に卑屈になる者と、それをバネにして希望を掴む者がいる。
しかし、如何にして希望を手に入れても、国家や世界がそれを後押
しする知恵や施策がなければ、悲劇はいつまでも繰り返される。
そんな中でも、この映画の主人公は決して諦める事はしない。
希望は捨てずチャレンジしようとする。
まあ、物語は少し都合主義だけど、明日へと進むべき人間の普遍的
な姿が、ちゃんと描かれているので、映画としての形態を壊すこと
もなく語られている。
そしてラストは、インド風のエンターティメントで終わっている。
それは映画が娯楽である事を誇らしく、高らかに謳いあげているの
だ。


「グラン・トリノ」

イーストウッドの星条旗は今度もよどむ事なく、はためいていました。
「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」など重いテー
マで、アメリカという国を通しては、悩める人間を描き続けるカッコイ
イ親父。
「チェンジリング」の演出など、年老いてますます輝く彼だが、この作
品では、自身の映画作家としての終焉を意識したような、全てを込めた
叫びがラストに待っていて、観る者の胸に深く突き刺さる。
そしてそれは、自ら俳優として表現する事で、僕達に強力なメッセージ
を投げかける。間違いなく彼の代表作となる作品となっている。
けどイーストウッドはまだ終わりじゃないはず。できるならもう一度西
部劇を撮ってもらいたい。「許されざる者」とは違った、それも飛びき
りの娯楽作品で。彼なら出来るはずだから。


「天使と悪魔」

エンターティメントに徹して、見応えのある作品となった。
どのような文化も、やはり人間次第で変容するもののようで、
特に宗教と科学は、人間のエゴイズムでいか様にも変わっていく。
そして間違えば恐ろしい結末が待っている事に相違はない。
トム・ハンクスのノンストップアクションは少し不安だったけど、
結構頑張っていたと思う。
僕の大好きなユアン・マクレガーは、やはり後半の芝居が良かった。
空から降りてくるのは、天使なのか悪魔なのか、それを決めるのは
やはり人間で、愚かな選択は許されないものなのだ。


「スタートレック」

見事な娯楽作品!
スタトレをよく御存知ない方でも、結構楽しめると思いますが、少し
でもその世界を知った者にすれば、もう嬉し涙です。
エンディングにあのテーマが流れると、きっと涙するはずですよ。
エンタープライズのクルー達が、若い顔で現れてくる度に、僕はニコ
ニコしていました。そして物語・アクション・特撮、みんなよく出来
ていて感心しきりです。
全編、重力と引力を感じさせられ、身のすくむ画面の連続で、古い表
現だが、ジェットコースタームービーの極致で、感情を抑制する事な
どバルカン星人でも無理だ。
是非このキャスティングで、シリーズを続けて欲しいものです。


  
映画はエンターティメントを追求し極みを知れば、どんな高尚な芸術
作品にも見劣る事のないものが出来るのです。
それには、演出家が観客の心を捕らえるために、最良の表現方法を模
索し、撮影・編集していくのです。
映画表現の素晴らしさは、時間と空間の絶妙な調和です。そこに光と
影があり、観る者の脳や胸にイマジネーションの華を咲かせます。
だから良い娯楽作品は、いつまでも僕たちの心を花園にして、再び訪
れるように出来ているのです。
皆さんも楽しい作品は何度でも観るでしょう。そうです、僕も「スタ
ーウォーズ」は何度観たか、覚えていません。
そういう意味で、あなたが繰り返し観る映画こそ、最高の娯楽作品と
言えるのではないでしょうか。



懐かしの映画館 大阪キタ界隈その4

2009年01月25日 | 映画
淀川長治先生の講演に出逢えたのは「チャップリンの独裁者」の
リバイバル上映の試写会場でした。
まだ若かった僕は、毎週テレビで観る、(さよならおじさん)を
生で見れた感激だけで、先生の映画に対する深い思いと愛情を受
けとるには至らなかった。
その後、先生が語るフォードやフェリーニなどの映画論を聞く度
に、あの日を思い出していた。


映画館では色々な出逢いがあった。


「インドへの道」の劇場試写の時の話。
上映前、最前列の席に座ってチラシを読んでいた僕の隣に、誰か
が座ってきた。すぐに、その人は何かの資料書類らしき物を整理
し始めた。僕はちょっと気になり、その人の顔をのぞきこんだ。

「み・み・み・水野晴男だ!」心の中で叫んだ。

心の中の声は水野氏に聞こえたのか、こちらに目線を向けて軽く
微笑んだのだ。
テレビで観るのと寸分違わない、あの独特の顔が今、僕の目の前
にある。試写講演の前で忙しそうなので、微笑み返すのもなんだ
し、ましてやここで映画話を始めるのも迷惑な事だ。
あまりにも突然の事に思わず頭を下げ、心の中で語りかけた。

「いやー映画って本当にいいものですね」


SABホール

70年代と80年代。僕はここでどれだけの映画に出会ったのか。
ほとんど毎週のように足を運んでは、硬いシートに潜るようにし
て座り、暗闇の中で目の前の光と影を追っていた。

みなさんは全大阪映画サークル協議会をご存じでしょうか。
その当時大阪の映画ファンは、みんな( 映サ )と呼んでいま
した。
映サはテーマを決めては上質の作品を選び、それを低料金で大阪の
映画ファンに提供してくれる、本当に有難いサークルでした。
映サを愛し、映サに感謝するのは、僕だけではないはずです。
ここでは試写もよく観ました。
「マルサの女」の試写の時。やはり最前列に陣取った僕の前を、
突然の舞台挨拶の伊丹十三・宮本信子夫妻が現れ、驚いた事も
ありました。
SABホールはいつまでも僕の青春です。


試写室

その昔、京阪電車中之島線大江橋駅から程近い所にフィルムビルという
昭和の匂いを残した建物がありました。
映画の配給会社が何社か入居していて、その上層階には試写室があり、
キネマ旬報で、頂いた招待状を持っては出かけたものです。
嬉しかったのは、何度か次回の試写状を、その場でプレゼントしてもら
った事です。ありがとう!おじさん。今も元気で居られるでしょうか。

東映会館にあった試写室も無くなって、朝日ビルの東宝東和の試写室も
ビルの建て替えで、もう観れない。残念です。
 

ホール

ABC・毎日・サンケイの各ホールも昔のスタイルではもう残ってはい
ません。毎日・サンケイホールは映画には不向きな劇場でしたが、良い
作品に出会えたの確かです。
扇町ミュージアムは主にお芝居(関西新劇系)を楽しんだけど、映画も
結構楽しめました。
フェスティバルは大阪人にとって特別な劇場で、カラヤンをはじめ内外
の高名なアーチストの憧憬と称賛のホールでした。
僕にとっても朝比奈指揮のブルックナーやキース・ジャレットの唸り声
などを体験できた、素晴らしい場所となっています。
ここでは「惑星ソラリス」でタルコフスキーと出会ったり、「ナポレオ
ン」でカーマイン・コッポラ指揮のフルオーケストラ上映会が強い記憶
となっています。
今度ビルの建て替え工事で、新たなフェスに生まれ変わるそうですが、
あの特別な緊張と緩和の空気感が残っている事を祈るばかりです。
余談ですが、昨年の春に僕の娘が学習塾の国語発生発表会で、フェスの
舞台に立った事があります。そんな些細な事でも、このホールへの思い
がある者にとっては、感慨深いものがありました。

 
三越劇場 

あのクラッシクな三越百貨店が消えて、もう何年の月日が経つのでしょ
う。北浜のあの土地には、今は超高層マンションが建ち、昔の名残はも
う何処にもありません。
あんなにたくさんの名画を、落ち着いた雰囲気で観れた劇場は他にはあ
りませんでした。
エレベータで上がって、劇場に入ると次回上映作の前売り券を買い、
洒落たロビーでパンフレットも買い、係りの人に案内されて、座席に
着く。この一連の行動が何度も繰り返された日々が、懐かしく、今も思
い出しては幸福な気持ちになれる。

独身時代、風邪をひきながらも好きな映画のためと、三越劇場に足を運
んだ。映画が始まる寸前、後ろから肩をたたかれ、振り向くとそこによ
く見かける顔がある。「プロスペローの本」こんな映画を一人で見に来
る女性は、あんただけだとイヤミを言って、二人して映画を観た。
映画の後、逆襲のように風邪でフラフラな僕を連れまわし、上機嫌な彼女。
その彼女は、その後も長い年月、僕を連れまわし続ける事になって、今は
娘と三人、珍道中な人生をおくっている。

本当に劇場は色々な出逢いがありますよ。



懐かしの映画館 大阪キタ界隈その3

2009年01月19日 | 映画
インターネットなんてなかったし、劇場情報はプガジャ(プレイ
ガイドジャーナル)やLマガをコマ目にチェックしていた時代が
懐かしい。
学生時代はお金もなく、どの作品を観に行くべきかの選択は重要
な作業だった。高い入場料に見合った作品を選ぶのに、やはりキ
ネ旬やスクリーンといった映画専門誌の手を借りねばならなかっ
たものです。

「激突」という映画が公開された当時、あまり聞かないスタッフ
やキャストの名前に躊躇したが、その評価は高く、とりあえず観
に行く事にした。
さほどの期待もなしに座席についた僕だったが、その後は驚愕の
連続で、あっという間に僕の瞳はスクリーンに釘づけになった。
今では古典となったこの映画。それ以後この映画の監督作品は未
だにお付き合いさせてもらっている。
劇場での出会いはビデオやネットより濃密な関係になるようです。


梅田東映会館

東映会館には幾つかの劇場があったけど、やっぱり一番多く、足
を運んだのは東映パラスでした。
階段を上ってロビーにある売店のおばさんが、やさしく応対して
くれた事を思い出します。
初めてここで観た映画は「ソルジャーブルー」という作品で、小
学生だった僕には少しハードな西部劇でした。

東映会館の中の主役は梅田東映劇場で、東映封切館のドン(首領)
的な存在でした。ここでの思い出は、劇場試写で観た「空海」で、
当日は熱心な真言宗の信者さんで一杯でした。ただの映画ファン
の僕は、たくさんのお婆ちゃんの中で一人浮いていました。
上映前に舞台挨拶があり、司会者が主演の北大路欣也さんを紹介
すると、歓声があがり北大路さんが舞台に現れていらっしゃいま
した。その時です、何か異様な空気感を感じた僕は、周りを見回
したのです。そこには舞台に向かい手を合わせ、拝み続けるお婆
ちゃん達の姿がありました。お婆ちゃん達にとっては、北大路=
弘法大師だったのです。ありがたや ありがたや


梅田コマシルバー・コマゴールド

今のHEPFIVEにあった、梅田コマ劇場の付属のような映画
館で、映画ファンには心揺さぶる作品を、多く提供してくれた有
難い場所でした。
コマシルバーは狭い空間ではありましたが、この上もなく居心地
のいい時間を過ごす事ができました。
タルコフスキーの遺作「サクリファイス」を観た時、劇場で一人
涙が止まらず、最後まで席を立てなかった事もあった。


大毎地下劇場

若い頃、僕にとっての名画座といえば、この劇場だった。
ロードショーを見逃しても、守護神の如き大毎地下が僕を救って
くれた。
名画座の二本立ての良さは、金銭的お得感だけではなく、「アメ
リカングラフィティ」を見逃して、でかけてみたら「カンバセーショ
ン盗聴」という名画に出会えたような、幸福感もある。

ここでの思い出は、1974年の7月のビートルズ大会だ。
超満員の館内は、舞台上まで観客に溢れ(今では消防法がうるさ
いのでありえない)その盛り上がりかたは異常だった。
スクリーンの前にはたくさんのラジカセが並び、映画が始まる寸
前には、みんなが録音ボタンを押し始めるのだ。(著作権も何も
無かった時代なのか?) 映画の途中でカセットを入れ替えたり、
スクリーンの前を横切ったり、もう自由だった。
それが四本立てで、勿論みんな一緒に歌うのだった。
懐かしい。




懐かしの映画館 大阪キタ界隈その2

2009年01月17日 | 映画
年末に四天王寺さんの弘法市で、ご老人相手の露天商でアダルトDVD
が並べられているのを発見した。何だこりゃ!と笑っていると、同じビ
デオコーナーに古典名作映画のタイトルがあるではないか。
書店などでよく見かける500円DVDが300円で売られていた。
あの名画「ゲームの規則」が300円!迷わず買いました。
うれしかったけど、きっと、おばぁちゃん達には、「お寺まで来て、い
やらしいビデオ買う人やわ!」と思われているんだと、足早にその場を
後にしました。
今の人(若者)はいいよね、好きな時に好きな映画が観られる時代の中
で暮らしているから。
僕らはビデオが普及するまでは、どれだけの労力を費やし劇場に足を運
んだことか、まぁそれでも、今となっては愛おしい記憶で、あの広い暗
闇の片隅でいろんな夢を観れた事を幸福に思う。


三番街シネマ 阪急プラザ

三番街シネマは最近まで存続していたので、大方の人はご存じだと思わ
れます。僕はここで本当にたくさんの名画に出会いました。
ナビオ系がメジャー級の封切館なら、百又ビルのこちらはその補佐的な
上映と、派手さはないが気の利いた良い映画が多かった。
ここはワンフロアに一館なので、映画が終わると一斉にエレベータに集
中し、込み合いました。そんな中、映画の余韻を楽しみながら、階段を
ゆっくり降りる人の姿が微笑ましかった。
阪急プラザはもう随分と前に閉館したけど、実に良い映画館だった。
一番の思い出の映画はアルバート・フィニーの「クリスマスキャロル」。
今の三番街の長距離バス乗り場やキディランドの所と言えばお分かりで
しょうか。
ディメンション150方式という湾曲スクリーンの上映館で、劇場表の
イルミネーションもロビーも美しく、大阪一の映画館ではないかと思っ
た。 …たった一つの難点を除けばだけれど。
場所柄、騒音が聞こえてくるのです。そう阪急梅田駅の下に位置してい
るので、時頼ガタンコトンと電車の通過音が、映画を邪魔します。
それも決まって、シリアスで静かなシーンの時にです。

ニューOSも東宝シネマズの一部になり、梅田グランドも早々と閉めて
しまって、今では梅田花月共々観る事はできません。
ディズニー映画を楽しませてくれた梅田シネマも、梅新にあった日活
オスカー・シネマ両館も遠い思い出になってしまい、個性ある劇場が
消え去っていったのは寂しいかぎりです。