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EVERYTIME WITH MOVIE

アナキンのBLOG

あの頃から今まで 思いは夢の中

那智山 青岸渡寺

2009年09月18日 | 西国三十三所
青岸渡寺は西国三十三霊場の一番札所だ。
大体の人は一番札所から順々に巡って行きたいと思うものだろうが、
ここに一番札所を最後の巡礼地に選ぶ天の邪鬼がいる事をお伝えしたい。

天の邪鬼? 天の邪鬼? いやいや違いますよ。
予定は未定とはよく言ったもので、巡り巡って青岸渡寺が残ってしまった
訳で、特別に理由あって、ここを最終地点に選んだ訳ではありません。

青岸渡寺は僕の住む大阪からは一番遠い札所で、交通費もその分高額に
なり、足が遠のいてしまったのも事実です。
だから、最後くらいは特急電車でスムーズに行こうと、行きはくろしお号、
帰りはオーシャンアロー号と、南紀の海岸線を大いに楽しむ事にしました。
三十三所を終える自分への御褒美じゃないけれど、珍しくお土産も買った
し、車内販売の駅弁も買って食べたりもした。
まるっきりのレジャー気分でした。

JR紀伊勝浦駅で熊野交通バスに乗り換え、青岸渡寺まで25分ほど。
この日近畿地方は大方が雨模様だったが、ここ勝浦は薄日もさし、雨具の
必要はなかった。
これで三十三所と番外札所の三所の全てにおいて、雨に会わずお参りが
出来た事になる。
観音様に感謝だ。

青岸渡寺

バス停留所から熊野那智大社と青岸渡寺まで、長い階段が続く。
先日の近江国の二寺で少し膝に不安を感じてはいたが、これで
つらい階段登りも最後と思い、一気に登れた。
朱塗りの美しい熊野那智大社にも参詣をし、ついに青岸渡寺に辿り着く。
観音様に手を合わせ、最後に残った納経帳の一番札所の空白頁を埋めて
もらう。

満願の瞬間が訪れた。
満願といっても、たくさんの観音仏に会いたいとか、色々なお寺や名所
を訪ねたいとかで始めた西国巡礼。
僕にはとくに高尚な願いも、悲痛な願いも無かったのです。
それでも三十三所の御朱印を戴ければ、天空に巨大な龍が現れ「何でも
一つだけ願いを叶えてあげよう」と言われはしないかと、巡礼の後半は
考え続けていた。

曇天の那智山。さすがに龍は現れなかったけど、僕は一つだけお願いす
る事にした。
それは昨年に父親を亡くし、淋しい日々の中にいる妻に、今一度どんな
形でもいいから、何かの方法でお父さんに逢わせてほしいと。
亡き者は帰って来ない。それと判っていても、どうか逢わせてあげてほ
しいと、三十三観音に心で叫んだ。

それは補陀落山まで届いたか僕には判らないけど。


これで三十三所の巡礼旅も終りです。
けど全てのお寺・観音仏にもう一度お逢いしたい気持ちはますます強く
なりました。
だから、また機会があれば、お参りに行くつもりです。
最後に三十六寺の巡礼で出逢った、全ての人と全ての仏様にありがとう
です。

姨綺耶山 長命寺

2009年09月16日 | 西国三十三所
観音正寺から《信長号》で長命寺へ向かう。
屋形船の水郷めぐりで有名な西の湖は曇天模様だが、雨はない。
湿気の多い風が僕の背中をあと押してくれて、煉瓦色のサイクルロ
ードを軽快に走る。
そして、いろんな鳥たちが僕の前方上空を横切る。
憧れ、羨ましさの視線で、羽ばたき消えゆく彼らを見送る。

長命寺

久しぶりの長命寺。
十数年前にここを訪れた時も、僕は自転車で辿り着いたものだ。
あれから体力は衰えたが、今回は変速機付きの自転車のおかげで、
ちょっとした坂道も楽に越える事が出来た。
それでも、その後の808段の階段を考慮すれば、この次に来る時
にはアシストサイクルが必要になる事だろう。

808段は高層ビルにすれば何階ぐらいか僕には分からないが、エレ
ベータが壊れた非常時の超高級マンションの住人気分で、僕は登り始
めた。つまりセレブ気取りでの参拝だ。

一回目の休憩は早かった。
Hey Jude (7分11秒)1曲分くらいの時間は登りたかったのだが、
A HARD DAY'S NIGHT (2分32秒)ぐらいの短さで、もう息が上がった。
やはり午前中の観音正寺での体力消耗度は多大で、スタミナと筋肉疲
労は半端じゃない。

残り100段程の所に駐車場があり、大体の人は車でそこまで来て、
参拝をすましている。
三十三所を巡ると決めてから、この長命寺にまた訪れる日は808段
を絶対に登ると心に誓っていたのだ。
だからグダグダになって登りきった時は達成感で一杯だった。
しかしその汗だらけの姿は、どこにもセレブの気品は見当たらなかった。

参拝をすまし、また808段の階段を下る。膝はガクガクで《信長号》
に乗り安土駅までの長いサイクルロードを行く。
疲れに疲れた。

そんなもので帰宅したその日の夜も A HARD DAY'S NIGHT だった。


繖山 観音正寺

2009年09月14日 | 西国三十三所
JR安土駅前のレンタサイクルで27インチ3段変速の《信長号》
を借りる。(前カゴに可愛い信長のイラスト入り自転車)
そこから観音正寺の参道口の石寺楽市まで、曇天の下、田園風景の
中を風を切り走る。(爽快!)

15分程で石寺楽市に着き、自転車を降り参道を進み行くのだが、
参道とは名ばかりで、はっきり言ってこれは登山道だ。
三十三所でもトップクラスの難所とされる観音正寺だけあって、
流石にこの登り坂はきつい。
汗が止めどなくシャツを濡らす。失敗だったのはドリンクを買い
忘れ、水分補給ができない事だった。
しかも疲れて休憩をとろうと立ち止まると、瞬間に藪蚊がもの凄い
勢いで僕を襲ってくる。
だからクールダウンもままならない。そのうえ足もパンパン状態で、
観音正寺の境内にたどり着いた時は、石のベンチに座り込み、しば
らく動けなかった。

観音正寺は残念ながら平成5年に本尊・本堂ともに焼失する。
しかし平成15年には美しいお堂と白檀の大きな千手千眼観音様が
帰ってくる。
寂しい日々の観音正寺の境内を想像すれば、今ここにある風景の重
みが涙を誘う。
そして、遥か眼下に蒲生野を一望し、この国の中枢を行き交う東海
道新幹線を見守る観音様に手を合わさずにはいられない。

その新幹線だが、N700系がNゲージの鉄道模型に見える景色は、
鉄道ファンならずとも楽しいものだった。

境内は静かだったが、山道はもっと静かで、下山するまで誰一人と
して会わず、曇り空の暗い山中を黙々と下った。

その後、自転車で安土の古い町並みを行く。旧家が建ち並ぶ景色は
誰もがノスタルジーを感じられる。
そこで気付いたのだが、さっきから町を行く僕に声をかけ、挨拶を
してくれる人が続くのだ。
始めは安土の人の暖かい人柄と思っていたが、それにしては不思議
な気がしていた。
そこでハタと気がついた。
僕は今、《信長号》に乗っているんだ!
つまりは安土の人にとっては、お金を落としていってくれるお客さ
んと言う訳だ。
それに気づき苦笑いヘラヘラで《信長号》を飛ばす。
それにしても安土町の観光への情熱は素晴らしい。
観音正寺でも観光課の人にアンケート調査をお願いされたりもした。
地元では色々あったようだが、安土という名前はいつまでも残るだ
ろうと思った。

御嶽山 清水寺

2009年09月12日 | 西国三十三所
播州の清水寺は8月なのに、まだまだ紫陽花が咲いている。
やはり標高500メートルの山の上にあるお寺だけあって、
涼しい空気が心地よい。

朱塗りの山門をくぐり、広い境内を順路にそって行けば薬師
堂に着く。
薬師さんには十二神将がお決まりで、堂内の壁に十二支に
スタイルを変えた神々が愛想をふりまいている。
妻と娘はそれぞれ自分の干支の像の前で、「この人が一番」
と講釈を並べている。

そして大講堂の観音様は、通り一遍の言葉では表現する事は
できない程に美しい。

その後、おかげの井戸という、その中を覗いて、水面に自分の
顔を映すと寿命が3年伸びると云われる井戸へ足を運ぶ。
妻と娘は井戸を覗いては、滾浄水(こんじょうすい)という
水に浮かぶ自分の顔を見つけては、「これで3年は大丈夫」と
安心の笑顔ではしゃいでいる。
「別に不死身の井戸でもないんですけど」と思い、「本当に
不死身になりたくば、火の鳥を探しに旅にでろ」と心の中で
妻子の脳天気ぶりを嘆く。

この日は天気も良く、清水寺は明るい夏の顔を見せてくれた。
また違った季節で、違った天候でここを訪れたら、どんな顔の
清水寺に会えるのか、想像しては楽しみなお寺である。

東光山 花山院(菩提寺)

2009年09月08日 | 西国三十三所
お盆の混雑をさけ、平日に妻の実家のお墓がある三田へ出かけた。

三田の田園風景が広がる、少し高台の気持ちの良いロケーションに
墓地は広がり、その片隅の桜の樹の下に、お墓は少し雑草に囲まれ
窮屈そうに僕らの到着を待っていた。

御先祖様が気持ちよく過ごせるようにと、妻と娘の三人で草刈りに
勤しむ。

炎天下の作業は過酷で、汗まみれの中、たくさんの虫達との出会い
は娘の悲鳴が墓地に響きわたります。
それでも何の代償もなく、お墓をクリーンにできるのは、やはり家
族愛のなせる事でしょうか、僕はこの作業を十五年続けています。

その十五年前から墓地への道にある「花山院」の案内看板を僕は
横目で見ていた。
「有名なお寺があるのか」くらいの思いで、十数年を過ごし、今に
なり西国三十三所の番外札所の事実を知るに至り、自分の無知を恥
じる。

花山院

とても急勾配な道を登り切れば、駐車場に車はなく、静かな山門の
向こうからセミの声が聞こえる。
それはクマゼミではなく、やさしい声をしたひぐらしの声だ。
そして境内から見える有馬富士の美しい景色に見とれる。

僕等三人の他は造園業の作業員さんだけで、参拝人の気配はなく静
かな時空間がそこにあった。
納経所にも人はなく、御朱印を貰うのに呼び鈴を使う。しばらく待
って寺務所の人が現れ、美しい朱印を戴く。その丁寧な応対に頭が
下がった。
平日の山寺の静かなひと時、とても心安らぐ時間でした。


お盆休みというけど、忙しくて帰省できない人もいる。故郷が遠く
経済的にも余裕のない人もいる。子供や家族のためにサービスに勤
しむ人もいる。
墓参りには行けない。人それぞれ事情があり、それは仕方のない事
だと思う。
お墓参りや仏壇に手を合わす時間のない人は、故人や先祖に思いを
馳せ、少しでもいいから、思い出してあげたらどうだろう。
あの人はこんな人だったとか、こんな面白いエピソードがあったとか
家族で語り合えば、きっと亡き人も喜んでくれるはずです。
そしてそれを子供たちにも語り伝えてあげましょう。
忘れてあげては寂しいですよ。
お盆は来年も、そのまた来年もやって来るんですから。




補陀洛山 六波羅蜜寺

2009年08月13日 | 西国三十三所
六波羅密寺には、もう何度も訪れている。
そして参る度に、六波羅密の暖かさに触れ嬉しい気分になる。

何年前の事だったか空也上人像を拝みに出かけた時の事。
宝物館にスケッチブックを持った可愛い女子大生風の彼女が、係員
のおじさんに質問をしていた。そのおじさんの丁寧な応答ぶりに聞
き入り、いつしか僕もその質疑応答の仲間入りをしていた。
あれだけ有名な空也上人像が、未だに国宝に指定されていない経緯
や仏像の国宝指定概念について意見を交わした。
仏像好きにはとても楽しいひと時だった。

そして今回は三十三所巡りで訪れる。
この日は娘と二人でお参り。娘も六波羅さんは二度目で、この日は
河原町界隈に急ぐ事もあり、お参りを済ませ、朱印を戴くと足早に
お寺を後にしようとした。
その時、「お寺の説明しましょか?」とおじさんが声をかけてきた。
おじさんは、中学生の娘が観音様に手を合わせ、静かに拝む姿が嬉
しかったようで、六波羅蜜寺の歴史や建物について丁寧に説明して
下さいました。
僕一人なら、こんなサービスもなかったろうに、わが娘なかなかお
役にたちます。


六波羅蜜寺と言えば、やはり空也上人像が有名で、口から表れる
南・無・阿・弥・陀・仏の六仏は誰もが一度、教科書などでお目
にした事があるでしょう。
しかし、六波羅密寺の凄い仏像はそれだけではありません。
有名な平清盛坐像や閻魔大王像など、見事な仏様のオンパレード
です。(表現が古い!)
その中で僕のおすすめは、2体の地蔵菩薩様です。
一つは鎌倉時代の名仏師、あの運慶作の地蔵菩薩坐像です。
お地蔵さんと言えば、錫杖を持った立像の親しみ溢れるイメージ
が強く、このような端正な坐像にお会いすれば、菩薩としての
厳格そうな地蔵様も感じる事ができます。
そうそう、この六波羅蜜寺では仏師運慶の坐像にも会えます(こ
ちらは運慶の息子の湛慶の作です)

そしてもう一つは、やはり平安時代のの名仏師・定朝作といわれ
る鬘掛地蔵(かつらかけじぞう)です。
定朝といえば、平等院鳳凰堂の阿弥陀仏などで有名な最高の仏師
の一人で、どの像も平安朝期の香り濃い、高貴なスタイルが見事
です。
そしてこの鬘掛地蔵は、その由来と共に不思議なムードを漂わす
お方で、仏像マニアならずとも必拝の地蔵様です。

青葉山 松尾寺

2009年07月17日 | 西国三十三所
天の橋立から北近畿タンゴ鉄道に乗る。そして西舞鶴駅からは
JRに乗り換え松尾寺駅へと向かった。
北近畿タンゴ鉄道は実に楽しい。
可愛いお姉さんの車掌さんが、車窓に広がる風景を丁寧に案内
してくれる。由良川の橋梁や広大な日本海の風景は日常にはな
い爽快感が得られ、明るいローカル線を大いに満喫できた。

さて松尾寺だが、ずっと“まつおでら”と思っていたので、
参拝前日に“まつのおでら”が正しいと知った時は恥ずかし
い思いだった。まつのおでらの皆さん御免なさい。

JR松尾寺の無人駅を降りて、あぜ道を行く。
田畑をぬけて舗装道路に出ると、松尾寺へ向かうマイカーやバス
に追い抜かれる。
それでもヘコむ事無く、せっせと山道を登る。
ガイドブックでは50分とあるが、まだまだ健脚とばかり40分
で登り切る。
本堂の前で汗をふきふき、手口を清め、馬頭観音様の前へ立つ。
これまで幾らかの馬頭観音様にお逢いしたが、松尾寺の観音様は
格別に美しいお方でした。
御開帳という事で目の前でそのお姿を拝ませていただき、有難い
の一語だった。

納経所で御朱印をいただき、ほっと一息する。
三十三所も残り少なくなり、残りの半分も一度は訪れた事のある
お寺で、満願の日が近い想いが心に染みる。
この松尾寺のように遠い地や険しい山寺を再び訪れる事ができる
のか、そしてその日はいつの日か、そんな想いが胸をよぎり、
一人帰り道、ローカル線の沿道を行く。

成相山 成相寺

2009年07月14日 | 西国三十三所
三十数年ぶりの天の橋立。
子供の頃、海水浴に父の運転する車で何度か遊びに来ていた。
この歳になってまさか自分がお寺参りでこの地を訪れるとは
想像もしなかった頃だ。

北近畿タンゴ鉄道のディーゼル車特有の懐かしい香りとさよ
ならして、天の橋立駅を降りる。
お土産屋さんが建ち並ぶその先に智恩寺・文殊堂がある。
ここは日本三文殊の一つだそうで、利口とは言えない自分に
は有意義なお寺と現世利益で祈願する。

そしてその境内を突き抜ければ、観光船の船着き場で、天の
橋立を横目に観光客気分で船上の人となる。
たくさんのクラゲや鷗の中を船は進み一の宮桟橋へ。
籠神社(このじんじゃ)では、夏越の茅の輪くぐりが設けて
あり、8の字ロールで今年の夏も体調の万全を祈った。

三十三所ではケーブルカーはここだけで、高度を増す程に天
の橋立はその全貌を誇らしげに魅せつける。
(復路はリフトに乗って紫陽花の絨毯の上を滑り降りた)
ケーブルカーで登り着くとそこは股のぞきで有名な傘松公園
で、今度は専用バスで成相寺へ向かう。

バスは僕一人だけを乗せて、海が見える天空の寺院へと運ん
でくれた。
静かで実に気持ちの良い空気の成相寺は三十三所最北端のお
寺で、僕は33ピースのパズル、その一番上にあるピースを
はめ込めた気分で嬉しい気分に浸っていた。

左甚五郎の「真向の龍」や撞かずの鐘、平成になって復元さ
れた美しい五重塔と見応えたっぷりで、日本海も楽しめて、
巡礼とは関係なくとも一度は訪れてみたいお寺です。

深雪山 醍醐寺

2009年07月11日 | 西国三十三所
昨年、上醍醐の准胝観音を奉る准胝堂が、落雷による火災で焼失した
ニュースは、三十三所を巡る者にとって、大変ショックな出来事だっ
た。(今は臨時で准胝観音様は金堂で拝む事ができます)

醍醐寺へお参りするのは、高校の遠足の時以来で、本当に久しぶりで
した。
あの時はクラス一同が上醍醐まで一気に駆け上がり、汗だくになった
事しか記憶になく、当時は仏像や仏閣にさほどの興味のないピュアな
高校生だったようです。

醍醐寺
この日の熱い日差しは、春を終え初夏の風景を描き出し、参道脇の
木陰が涼しげに僕を誘い、これで蝉の鳴き声があれば、もう完全に
夏の姿になるほどだ。
金堂で准胝観音様に挨拶し、御朱印をいただき、五重塔の前に立つ。
その素晴らしさは、どう表現しょう。安定感あるスタイルは醍醐山
の麓、釈然たる仏門の領域に輝きそびえ建っている。

午前中にお参りした三室戸寺の紫陽花に群がる観光客とは対照的に
ここに訪れる人は少なく、物静かなこと。
けど醍醐寺もやはり、桜のシーズンともなれば、もの凄い数の花見
客があるのを僕らは知っている。
ベストシーズンとはそういうものなのだろう。
しかし。僕らが本当に出会いたいお寺の姿は、この日のこういった
静かな時間の中にあるのではないでしょうか。
当日の醍醐寺はそんな顔を見せてくれました。

明星山 三室戸寺

2009年07月09日 | 西国三十三所
三室戸寺は花の寺です。とくに紫陽花は有名なわけで、
この時期に足を運ぶのはためらいもあったが、それも
何かの縁と気合を入れて出かけた。

京阪宇治線三室戸駅に着き歩くこと15分。その山門を行
けば参拝の人数は増える一方です。
しかしこのお寺、普段の姿を想像すれば、とても静かで、心
落ち着く景色の中にあることがよく判る。
この次はきっと誰も知らない時間を探しあて、一人で楽しむ
ぞと心に誓う。

本堂や三重塔の前は凄い数の人だった。しかし紫陽花目当て
の人が多いのか、納経所には列はなく、ほとんど待たずして
御朱印をいただく事ができた。
それからまた、人の流れにに乗って境内を一回り。
これだけ群生した紫陽花の花を目にするのは初めてだった。

三室戸の紫陽花の色あいは無常がゆえの美しさに溢れ、谷間
をカラフルに染め上げていました。

宇治には何度も足を運んだし、黄檗山万福寺もお参りした事
があるのに、三室戸寺は今度が初めてでした。
ここもやはり三十三所とは関係なく、是非一度訪れてほしい
お寺だと思います。
とにかく宇治界隈は素敵な神社仏閣が多く、歴史や文化に興
味ある人にはたまらない地です。

巌金山 宝厳寺

2009年07月06日 | 西国三十三所
JR湖西線は実に爽快で、湖岸の景色の美しさは、子供の
ように車窓にへばりつき眺めていても、一向に飽きない。
そんなわけで、近江今津駅まではあっと言う間の感があった。
そして、竹生島までの連絡船もまた、琵琶湖の水面を水鳥
のように滑るが如く、気持ちの良い風景を進んで行く。

竹生島は湖に先が出た、山の頂のような島で、連絡船の船着き
場以外はほとんどが断崖になっていて、容易には上陸できな
いようになっている。
だから島は鳥たちの天国になっていて、上空をたくさんの
川鵜や鷺が飛来している。とくに特大の黒い鵜が飛び交う
様は「ジュラシックパーク」を想い出させるほどの迫力ある
ものだ。

宝厳寺には船を下りて長い石段を登る。
いつものように息を切らせ、足の筋肉が悲鳴をあげているが
がんばって一気に登りきった。
さっそく御本尊に手を合わせ、その後納経所へ行こうと歩みを
進めると、どこからか笛の音が聞こえてくる。
それは三人の御婦人があし笛を吹いて、本堂に参られる人々を
涼しげな音色で迎えてくださるものでした。

湖からも見えていた三重塔や船廊下を見て観音堂へ。
とても美しい千手千眼観音様がそこに居られました。
境内を一周して、また船着き場へ戻ってきたけど、帰りの船
まで20分はある。
そこで、お土産売り場でお饂飩いただく事にし、時間をおい
しく活用でき満足する。
帰り船はデッキの上で、伊吹山や湖北の景色を眺め、風に吹
かれ楽しんだ。




槇尾山 施福寺

2009年07月04日 | 西国三十三所
三十三所への交通機関は、主にJRや私鉄にお世話になって
最寄りの駅に降ります。そして、そこから先のお寺までは、
徒歩かバスという事になります。
そしてこのバスの存在が、どんなに有難いものかは西国巡礼
を経験した人なら、すぐに分かるはずです。

大体において山寺の多い三十三所です、徒歩となれば体力も
時間も浪費するだけです。昔の人はえらい!と想いはすれど
やはりバスに乗れば楽ちんで、山の景色もたのしめます。
ここ施福寺はバスの有難さを再確認させられたお寺でした。


そしてこの日も、バスを降りればそこは緑深き山の中。
坂道を登り、急な階段が続く。
昼間は緑に囲まれ爽快でいいが、やがて日が暮れ闇がゆっく
りと辺りを包みこむと、緑の樹々はその色あいを失い、黒い
影の巨人と化す。
おそらく灯りがなければ、一寸先は見えず、満月の日だって
その光は地面にたどり着きはしない暗い世界がそこにあるは
ずだ。
危険な獣はいないだろうが、樹々のざわめきの向こうには、
得体の知れぬ低い声が囁くように聞こえてくる。
心は落ち着かないまま、体力も奪われ、その後は精神的にダ
メージを負い、魑魅魍魎の幻想に惑わされ苦しむ事になる。
その試練を乗り越えた者だけが施福寺に辿り着く。

そんな事を考えながら山を登り下り。
山寺が俗界を避け、人里離れた所に開かれたのが少し判った
様な気がした。
結局、僕らは命や財産などに執着しているから、常に恐れを
感じ、そこから逃げようとしている。
心を無にすれば、何も恐れる事はないと頭では判っているの
だけど。


書寫山 圓教寺

2009年05月27日 | 西国三十三所
遠い昔、子供の頃に圓教寺は訪れている。
その時は書寫山まで、最新のモノレールに乗った記憶がある。
その後、しばらくしてモノレールは廃線したと聞いて、ずっ
と残念に思っていた。
しかし今もその駅跡と橋脚の一部が残っていたのには驚き、
懐かしい思いで、その風景を眺めていた。

山の上に登った記憶はあるのだが、圓教寺の境内に関しては、
残念ながら、まったく記憶がないのだ。
僕にあるのは映画「ラストサムライ」の風景だけ。
ここにトム・クルーズがいたとか、渡辺健の立ち位置はこの
辺りとかばかり気になっていた。
しかし圓教寺はさすがで、各伽藍を巡り、諸仏に出会う度、
あの濃い顔の俳優たちの姿も、脳裏から次第に消えていった。
ここはまさしく天台宗最高の名刹である。

広い境内は森林公園さながらに、緑に覆われ、坂道を歩いていて
も気持ちがいい。
その時、一匹の可愛いリスが僕の足を止めた。
小さくて尻尾がふわふわして、道を横切り、太い幹の樹皮に喰ら
い付くように止まり、僕を見ていた。
仏陀の話によく動物が登場するように、生きとし生けるものに
仏性があるのか僕にはよくわからないけど、この可愛いリスは
書寫山に生きている事自体が、必然性を持っている気がしてな
らなかった。


話は戻るが、映画や小説の舞台に神社仏閣がよく登場するのは、
人間の業や煩悩を描く時に、神聖なる場所の対比として使用した
り、人物の心象風景の枠として使う事が多々あるようだ。
とくに時代劇は時代考証の設定関係もあり多く使われる。
最近では時代劇を観ていても、舞台になっている社寺の詮索が楽
しみになっている。
しかし現代劇においても、同じような理由で舞台になる事も多い。
僕がよくお参りする、京都・東福寺でも最近の映画なら「愛の流
刑地」や「花より男子ファイナル」がロケ地になっていた。
名刹の風景は、ただ単に絵になるだけではなさそうで、何か特別な
空気がそこには漂っているのです。
ここ圓教寺はそういった感覚がひしひしと伝わってくるお寺でし
た。

法華山 一乗寺

2009年05月23日 | 西国三十三所
山陽電鉄に乗り、姫路までやって来た。
姫路にくるのは何年ぶりの事だろう。もう随分と昔のような
気がする。
それにしても休日の姫路城は凄い人出で、時間があればお城
見物にでも行こうかと思う気持ちを、一瞬にして消してくれ
た。やはり世界遺産のブランドは衆目を引きつけるようです。

一乗寺は姫路の中心地から、神姫バスで30分程で着いた。
山間の静かなお寺だった。

本堂まで長い石段を登る、途中にある三重塔に見とれる。
そう、僕は子供の頃から高層建築物に興味があり、五重塔や
タワーと名乗るものが好きだった。
小学生の頃、父親の運転する車で京都方面に出かける時も、
東寺の五重塔が見えてくると不思議と嬉しい気持ちになれた。
一乗寺の三重塔は、素朴だが、どこか憂いのある淑女が、
山間の深い緑に包まれ、静かにたたずむ気品を感じる。
美しい!間違いなく国宝だ。
しかしお寺の塔等はよくできているもので、少々の地震には
対応し倒壊することはありません。
現在の高層建築における柔構造の基礎となるものが、すでに
こういった塔には考慮され、造成されているそうです。
昔人の叡智に感服です。
三十三所には、こうした美しい三重塔や多宝塔がたくさん
あります。是非チェックしてみて下さい。

本堂から奥の院までのひっそりした景色は、物哀しくもあり
美しい道が続いている。秋になれば、さぞかし紅葉が映える
ことでしょう。
もう一度訪れたい、そんな気持ちにさせてくれるお寺でした。

余談ですが、バス道の途中に市川に架かる小川橋という所が
ありまして、あの「宮本武蔵」に出てくる花田橋があった所
だそうです。
僕は、バスの中で内田吐夢監督の「宮本武蔵」を思い浮かべ
ては、ずっと中村錦之助と入江若葉の姿をさがしていました。
やっぱり映画バカです。

豊山 法起院

2009年05月19日 | 西国三十三所
法起院。ここは西国巡礼の番外札所だけど、西国巡礼の祖で
ある徳道上人が晩年に隠棲されたそうで、とてもいわれのあ
る重要なお寺なのです。
黒いシルエットの本堂が、新緑を向かえた裏山の樹々に映え、
とても美しい佇まいのお寺でした。

この法起院は長谷寺の門前町通りの一角にあり、うっかりと
すれば見落としてしまいそうで、これから出かける方は注意
が必要です。

その門前町通りですが、たくさんのお店や旬の露店が立ち並び
賑やかです。
僕と娘は、お店の試食に立ち止まってはニコニコ顔です。
妻はそんな二人を横目に、素麺や吉野葛を買っていました。
そんな中で、僕が見つけたのは焼きタケノコで、やわらかな筍
を串に刺し、お醤油で炙り焼きしたシンプルだが、とても美味
なものでした。これはおそらく季節限定商品だと思われ、筍の
季節を外せば難しいでしょう。
でも、あれば絶対にお勧めです。

門前町のある観光地化したお寺もあれば、山間のひっそりした
お寺、田畑の間や民家に埋もれたお寺もあります。
それぞれが、その個性をかもしだし風景を作っているのでしょう。
旧街道沿いにあるお寺には、やはりこういった門前町があるのは
当然で、実に楽しいものです。
なにもお寺参りは、神妙な面持ちで出かけるばかりじゃないので
すからね。