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EVERYTIME WITH MOVIE

アナキンのBLOG

あの頃から今まで 思いは夢の中

僕の本棚 「夏への扉」

2010年07月19日 | 僕の本棚
SF文学の名作といっても華やかなスペースオペラ物ではなく、ましてハードな
科学小説物でもない。
それでいて、誰もが愛するSF小説の金字塔なのは、何故なのか。

多くの人は時間旅行的な物語が好きだ。この話もその類なのだが、そんな題材を
扱った多くの物の中でもこの「夏への扉」の読後爽快感は断然凄い。
とくに時間を超える事への期待と不安の淵に立たされた人間の感情を描ききった、
ハインラインの主人公への表現は見事だ。

よく映画やアニメなどでお気楽に時間旅行に出かけるが、現実問題それは決して
安易なものではないはずだ。
過去に行こうが、未来に行こうがそこに待ち受ける孤独感は大きすぎて、押し潰さ
れるのが殆どだろう。
家族や恋人・友人とは時間が離れれば離れるほどその姿は薄く遠くなり、全ての
景色が寂しいものに見えてくるはずだ。
例えば元来孤独な身の者でさえ、わずか百年もたたない過去に行ったところで、
その文化変容の落差に堕ち込み、自分自身を見失う事になるだろう。

時間を飛び超えて奪われた過去を取り戻しに向かう主人公。
はたして彼は本当の幸福を掴み得たのだろうか。
タイムマシンのおかげで過去を奪い戻せたが、消し去ってしまいたい記憶は安易には
ゴミ箱に投げ捨てる事はできないもののはず。
良き思い出も、悪しき思い出も一人ひとつのメモリーにある。
それで人間は成り立っているのだから。
それを承知で主人公は諦める事無く、時間の扉を開いていく。
人間不信の山を越え、愛する者が待つ谷へと。
そこに僕等は感動し、清々しい気持ちになれるのだ。

それにしても猫のビートは凄い!
彼はスヌーピーやグルミットの様な知性派犬ではなく、おそらく「じゃりんこチエ」
の小鉄のような武闘派猫なのだろう。(猫は知性派が多いね)
そのアニメチックな活躍が目に浮かんでくる。


僕の本棚 「空海の風景」と「紗門空海唐の国にて鬼と宴す」

2010年01月02日 | 僕の本棚
司馬遼太郎著「空海の風景」

司馬氏の「空海の風景」を読めば、空海の人智を越えた生涯の足跡が
よく見えてくる。
空海。その人と成りや、関わりを持った人物とのスタンスなど、大きな
流れの中でしか知らなかった僕にはとては貴重な一冊となりました。
それでも1200年も昔の話です。謎な部分は多く、まして超人的な
空海の伝説はあまたとあり、虚々実々の逸話に想いを馳せれば、それ
だけで心が躍るのです。


夢枕獏著「紗門空海唐の国にて鬼と宴す」

空海の伝説に心躍らせる、僕のような人間が世の中にたくさんいる事
を知ってか知らぬか夢枕氏は、超人的な空海をテーマに一級品のエン
ターテイメントを築きあげてみせた。
それにしてもこの小説、長安の街を行く空海の姿が見事に浮かびあが
ってくる。
その喧騒と雑踏・空気感・匂いと埃。長安の街が動き、空海と橘逸勢
との間を行き交う時空映像が僕にはリアルに伝わってきた。
陰陽師シリーズと同じスタイルの語り口で、仏教問答風な場面もあり、
説教臭くない法話はこの作品でも楽しめる。


空海ほどの高僧になると、その生涯の多くは歴史的資料に残されてい
るので、データ的には事を欠かない。
写実的な描写も苦にはならず、生き生きとした人物像が浮かびあがる
ので、読者も読みやすくなる。
しかし、それだけでは真実は描けるものでもない。
作家は歴史家ではないので、事実の積み重ねだけで、ゴールへ向かう
事はない。
ちょうど行間に描く風景のように、歴史的資料の中に垣間見える、そ
の人間性と時代を描くのです。
そういう意味では、司馬氏も夢枕氏も同じ作業を繰り返したはずです。
ただテーマが違うだけなのです。

歴史劇作家の思惑は色々で、ひとつはどの時間に思い入れを込めるか
だと思います。
まぁ司馬氏にあっては、どの時代のどんな場所についても描き切る事
が出来る巨匠ですから、一概にはいえませんが、時代の持つ空気感を
表現する事の難しさは相当なものでしょう。

そしてそのテーマのバックボーンとしてある物の選択もまた、作家の
センスを問われる重要な仕事なのです。
この2作品に限らず、キーワードとしての真言密教は、非常に難解な
ものです。
けど、それをうまくエンターテイメントにと活かせば、夢枕氏のよう
な壮大な物語に成りえるわけです。


寺社めぐりで出逢う弘法大師の姿。
いつも手を合わせては、南無大師遍照金剛とつぶやく。
僕に見える空海の風景は空と海ではなく、真言を求め歩き、平安の日々
から現代に至るまで衆生の間を伝え続ける大師の姿なのです。





僕の本棚 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

2009年10月21日 | 僕の本棚
僕は美味しいお酒なら少々は飲むけど、タバコとギャンブルはしません。
そんな訳で、妻からもらうお小遣いの多くは映画関係と書籍に消えて
いきます。

若い時からの多くの書籍は、9年前の引越し時に大部分を処分(古書
店に売却)したので、すっかり僕の本棚は軽くなりました。
以前の本棚には映画関係図書と外国文学が多かったのですが、最近は
日本文学や歴史関係図書が幅をきかせるようになりました。
その所為でまた本棚は徐々に重くなってきて、妻は本の整理を催促し
ます。
しかし厳選して、買って、読んで、気に入っての本は、簡単にさよな
らは出来にくいものです。
どうしたものでしょう。


村上春樹著「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

この夏「1Q84]を読んだ。
相変わらずの巧みなストーリーテリングと、緊張感を持続させる並列
同時進行は健在で、一気に読み終えた。
しかしBook3が出版されるみたいだから、完結でもなさそうだ。
更なる展開と楽しいオチまでの仕掛けは、少しお預けというわけです。

村上作品。「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカこの
フカ」などが面白かったけど、僕はこの「世界の終わりとハードボイルド
・ワンダーランド」が一番だと思う。

静と動に対比された二つの物語。「世界の終わり」は北欧か東欧の静かな
村のような世界に身を流し、「ハードボイルド・ワンダーランド」は猥雑
な都会の闇を迷走する。
その二つの世界が共通のキーワードを拾っては静かにシンクロし、夢物語
の如く不思議な展開を見せる。
そして複数のシークエンスが重なり合い、最後には全体像を浮き上がらせ
る饒舌な村上ワールド。
そのカタルシス。この作品を読み終えた時の感覚は特別だ。