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一碧万頃

隅田川に架かる橋⑦ 清洲橋

清洲橋 

 隅田川に架かる河口から7番目の橋梁は、現在、重要文化財となっている清洲橋である。

 1928(昭和3)年に復興局による震災復興事業の一環で架橋され、隅田川六大橋の中でも一番、費用をかけた橋梁である。

 「永代橋解説の謎~その3」の項でも触れたが、清洲橋は、ケルンのライン川の河川橋たる「ドイツ吊橋」(後にヒンデンブルク橋と改名)をモデルにして設計されている。よって、橋梁の構造はかなり近似している。永代橋と同様に清洲橋は、当時の最先端の技術や素材をふんだんに導入し、鋼材の一部(チェーン部)には、イギリスで開発された高張力マンガン鋼であるデュコール鋼が使われた。大きな張力がかかるこの部分に、高張力鋼であるデュコール鋼を利用したのである。この鋼材は、軍艦用の高級鋼材である。当時、川崎造船所がその製造技術を有していたのだが、ワシントン軍縮条約のあおりで、日本の軍艦用デュコール鋼が余ると見込んだ田中が川崎造船所に働きかけ、融通してもらったらしい。紅林氏によると、世界で初めてのデュコール鋼を使用した橋梁の誕生であったとのことである。現在の吊橋は、ピアノ線ケーブルを使用するそうだが、当時は鉄の板をチェーンのようにつなぎ合わせる方法を採用した。ちなみに「ドイツ吊橋」(ヒンデンブルク橋)には、ニッケル鋼が使用されている。日本でデュコール鋼が製造出来た理由は、国内でマンガンが採掘できたことによる。

 現在、大戦時に破壊されてしまったケルンのドイツ吊橋のイメージを感じるには、清洲橋を訪れるのが良いのではないだろうか。

2017年6月撮影

清洲橋の竣工は永代橋よりも遅くなったので、結果として、清洲橋は永代橋の弟分となるだろう。

現在、隅田川橋梁群の中では、6番目に古い橋である。

2020年12月撮影

清洲橋

竣工:1928年3月

橋長:186.2m

幅員:22.0m

構造:自碇式チェーン吊橋 3径間

 清洲橋の形式は、吊り橋の範疇にある。しかし、清洲橋は、一般的な吊り橋と異なり、橋の両端にアンカーを装着していない。アンカー、つまり、アンカレイジを持たず、チェーンを直接、橋桁の端に接続する方法をとっている。その理由は、耐震性を考慮したことにある。これによって設計や施工も複雑となり、鉄の使用量も多くなった。伊達に費用がかかっているのではない。そのおかげで、現在まで、その存在を披露することが出来ているのだろう。

 清洲橋は、ご覧の通り2017年から長寿命化工事を行い、道路照明器具をLED化すると同時にかつてのデザインに戻した。

2017年6月撮影 改修前の照明器具、ちょっとおしゃれな感じに取り付けられている。

ヌーボー系?まさに名の通り、レトロでも新しめ。

2020年12月撮影 竣功時のデザインに戻した照明器具 清洲橋にはシンプルで古そうな、当時の形が似合うような気もする。

ゴシック式デザインにも見えるし。

2020年12月撮影

建設当時の照明器具が展示されています。うれしいはからい。当時はブロンズだったのかあ・・・すごい。

2020年12月撮影

2017年6月撮影 

2020年12月撮影

さあ、間違い探しをして下さい。

 

2017年6月撮影

2023年5月撮影

 清洲橋は、堂々たる威風を持ち、現在、重要文化財として君臨する重鎮橋梁である。けれども、どうも私にはお祭りの時に出現する、祭り櫓に見えてしょうがない。

参考文献:紅林章央『橋を透して見た風景』都政新報社 2016年

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2021年、2022年、2023年5月修正・加筆 

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