隅田川橋梁(東武鉄道)
河口から第17番目の橋梁は、東武鉄道の鉄道橋梁である。意外に見逃されがちであるが、この橋梁も隅田川の歴史的橋梁の一員として、誇れる橋梁のひとつである。
2017年8月撮影
墨田川橋梁
橋長:166m
型式:カンチレバー(ゲルバー式)ワーレントラス・3径間
開通: 1931(昭和)6年5月25日
製造:横川橋梁製作所東京工場
2017年8月撮影
一見すると、ちょっと奇妙な橋梁である。鉄道橋梁として早くから導入されてきたポニーワーレントラスなどを見れば、そのほとんどは下路になっている。隅田川は、船舶が橋梁の下を通過するため、橋桁を高くする必要性があるはずで、このようなトラス橋を上路側で利用するのは妙である。また、この橋梁はカンチレバー(ゲルバー式)構造でもある。素人には、ただのトラス桁橋に見えてしまうのであるが、なかなか技術を駆使した造りとなっている。
同じ鉄道橋で、当橋梁よりも川下に架橋されたJRの隅田川橋梁は、当橋梁と同様、田中豊がかかわった橋梁であったが、あちらも一見するとアーチ橋に見えるものの、構造上では桁橋にアーチを付けて補剛したもので、これまた個性的な橋梁であった。隅田川に架かる橋梁が全て別型式であるわけではないが、それぞれ特徴をもつことから、隅田川は、橋梁の博物川?と見なされるのも理解できる気がする。
2017年8月撮影
トラスなのに中路にしただけで、ちょっと未来っぽい。エンドの処理がまた、いかしている。
2017年8月撮影 東武鉄道伊勢崎線の始発駅である浅草駅から出て、隅田川を渡る列車(型式は私にはちょっと不明)。
ところで、現在の浅草(駅)は、名称としては二代目である。かつて東武鉄道には、この浅草(駅)開設以前に別のところに浅草(駅)が10ヶ月間ほど存在していた。それは、現在のとうきょうスカイツリー(駅)である。なんで東京の部分がひらがなのか、現在のところ未調査で不明であるが・・・、とにもかくにも、東武鉄道伊勢崎線の諸駅、名称変えすぎ・・・のような気がする。当の現浅草(駅)も、1931(昭和6)年の開業時は、浅草雷門(駅)という名称で開業し、後に浅草と名称変更している。とうきょうスカイツリー(駅)も前名称は、業平橋(駅)である。
ここで、お気づきになられたとおり、隅田川右岸にある浅草に、現浅草(駅)[=当初の浅草雷門(駅)]を建設し、鉄道を引き込むには、隅田川を渡河しなければならないため、当然にしてこの隅田川橋梁が必要となるわけであった。東武鉄道は、墨田川東岸まで路線を延長してきたから、ここで、いよいよ隅田川を渡り、路線を都内に延伸することを試みたと言って良いだろう。参考にした書物によると、東武鉄道は、当初、上野駅に至るまでの路線を申請していたのだが、浅草雷門駅までの延伸のみ許可が下りたそうで、どうも、関係役所は、私鉄を都内に、特に現在の山手線内に入れるのを拒んでいたように思えてならない。ここら辺の事情について、調査して書物か何かで紹介なさっておられる方がおられるとありがたい。
2017年8月撮影
先入観なのか、ああ、鉄道橋梁だと思ってしまう。
2017年8月撮影
よく見ると、なかなか素敵なトラス橋ではないですか。鉄道用の電線を吊る柱もまた良いデザインだと思う。
スカイツリーに上ったことがまだないので、行ってみた際は、望遠レンズでこの橋梁を撮影してみようかと思っていたのだが、よく考えてみると、スカイツリーが高すぎて、撮影は困難かもしれないと思い始めている。
2017年8月撮影
隅田川界隈は、なぜかのどかな感じがする。
とりあえず、以上です。
参考文献:「東武鉄道隅田川橋梁」成瀬輝男編『鉄の橋百選』東京堂出版 166頁