隅田川大橋&首都高9号橋梁
河口から6番目の橋は、 一般道路(都道475号)と有料道路(首都高速9号線)が重なる形で架けられている二重橋である。一般道の橋梁は隅田川大橋、有料道路は首都高9号橋梁と一応、別称にしておくことにしたい。
2023年5月 撮影
隅田川大橋
竣工:1979(昭和54)年
型式:箱桁橋 3径間
製造:?
橋長:391.7m
幅員:27.5m
設計:?
この両橋梁には、お世話になっている方が多いと思う。しかし、わざわざ見学に出かけるほどの橋でもないようで、いまいち気の毒な橋でもある。基本的にシンプルな橋梁である。
2023年5月 撮影
上に首都高速道路がかぶさっているので、なんとなく圧迫感があるこの隅田川大橋の特徴と言えば・・・、歩道を歩いたことのある方なら分ると思うが、この歩道がむちゃくちゃ広いということではないだろうか。また、清洲橋と永代橋をこの橋から眺められる特権(笑)を持っている。両橋梁の間にある橋なので、当たり前だが・・・
2017年6月 撮影
二段ベットのような都会っぽい橋だと思えば、それなりに面白いと思う。レインボーブリッジもそうだし。ただ、レインボーブリッジはさらに複雑である。レインボーの方は、首都高速11号台場線が上部に、東京港連絡橋[旧称(都市計画上の名称)都市高速道路12号線・東京港連絡橋(臨港道路)]が下部にある二重橋であるのだが、トラス構造で上路と下路を造り(上路は首都高速、下路は臨港道路と新交通の路線が利用する)、このトラス構造をもつ両橋桁を、吊り式で湾の上に架けた構造となっている。つまり、橋梁としては、吊り橋形式なのである。そのため、橋梁型式は、3径間2ヒンジ補剛トラス吊り橋(首都高速道路株式会社説明)・・・となる?のかな。
2023年5月 訪問・撮影
*追記 2023年5月 本当に久しぶりに隅田川河川敷散歩が実現した。まずは、隅田川大橋から探索である。隅田川大橋は、よく見ると広々として素敵な橋梁である。ただ、上に乗っかっている首都高速道路がとても気になる。このおかげで隅田川大橋は暗い感じがするのだ。とはいえ、この首都高速道路上からの永代、清州、両橋の眺めがなかなかよく、首都高速が渋滞して、車がこの橋梁上で停車しているときは、つい、両橋梁に見とれてしまう。
2023年5月 撮影
2023年5月 撮影
話を戻したい。確かに隅田川大橋は桁橋なので、とてもシンプルである。しかし、首都高速が載っているために段々ベットみたいな形であり、しかも、首都高の3橋梁は、並行しつつ上下左右に分かれるアクロバチックな構造となっている。とにもかくにもかなり複雑なのである。この橋梁上で分岐と結合、隅田川左岸へ向かう9号線への入口と9号線から右岸方面へ降りる出口が設けられている。ちなみに、隅田川の6号線から入り9号線に分岐する左カーブでは、上ったり下ったりして合流するのだが、右車線に合流する地点では、見通しも悪く、合流後は下りカーブとなり、大変な難コースだと感じる。
2023年12月 撮影
中央区、隅田川右岸の案内板にも隅田川大橋の解説が載っていた。
2023年12月撮影 2023年12月に訪れた際、発見した銘板
1978年1月 東京都、首都高速道路公団 建造
道示 (1973)一等橋
製作 IHI ?? 9号線隅田川橋梁建設共同企業体
材質 SS4L.SM4L.SM59Y SM53.SM58
と記されている。
2017年6月撮影
2023年12月 撮影
川上から撮影。川上から見る隅田川大橋は、「すみだがわおおはし」とひらがなで、名称が書かれている。
2023年12月 撮影
他方、川下からみる隅田川大橋には、「隅田川大橋」と漢字表記となっている。
2023年12月 撮影
2023年12月 撮影
2013年5月 撮影
この扇みたいな印は、たぶん、意味があると思われる。調査中である。
2023年5月 撮影
川下側の歩道には、「隅田川大橋」の解説版があることを今回初めて気が付いた。おかしい。結構、永代橋を見るためにずいぶん通っていたのだが・・・
悲しいことに、この解説版は、初めからここに設置されていたのではないと推察されるおかれ方である。隅田川大橋竣工時に作成され、どこかに掲示されていたのではなかろうか。
折角なので、当解説版の内容を引用しておきたい。ちなみに、一番重要で目立つところにヒロキと書かれている字は、落書きであり、この橋との関係は全く不明である。
「隅田川大橋」
「隅田川大橋は、高速道路(九号線)と、都道四七五号線が重なった、珍しい新しい橋である。
箱崎町は、古くは大名屋敷のならぶ、隅田川三角州のひとつであったが、維新後には最初の日本銀行が建てられた地であり、また倉庫や住宅地でもあった。現在は、箱崎川が埋め立てられ、高速道路のインターチェンジと、成田空港に行くエアーターミナルが設けられた。街もまたビルやマンションの立ちならぶ交通量の多いところとなって、昔の俤(おもかげ)はない。
対岸の深川は、社寺の多い町として発展し、以前は木場でも有名であった。わが国最初のセメント工場跡も近い。
昭和五十四年(一九七九年)十月に完成したこの橋は、京浜、京葉地帯を結ぶ湾岸道路に通じ、隅田川十五橋の中では、形も役割も特異な橋となることであろう。
昭和五十九年三月 東京都 」
読んでいて、なんか悲しくなってしまった。
下にある絵は、よく見えなくなっているものの、江戸時代の隅田川河岸の船の様子を描いたものである。奥に橋梁も見える。永代橋か?
下部に、その引用が記されているのだが、よく見えなかった。
東都三又股の図(国 より)??
もっと注目されてもよい橋一番!の「隅田川大橋」の認識を得ました。
改修、修繕の際に、この碑をもっと素敵な形で鎮座させてほしいと思う。内容は、既に40年以上を経過してしまっていても。
2023年5月 撮影
福住の川上側、隅田川大橋の側面に銘板を発見
2023年5月 撮影
1975(昭和50)年6月 東京都 首都高速道路公団 建造
施工 住友建設株式会社
隅田川大橋には、昭和54年10月完成との銘板がある。高速道路9号線そのものは、1980(昭和55)年2月完成なので、隅田川橋梁のこの部分は、5年前に完成していたという証か。9号線は、建設反対の意見もあって、着工は1971(昭和46)年であったが、完成までに、その後、10年もの年月を要した難題路線であった。その点も関係しているのかもしれない。
2023年5月 撮影
左岸(佐賀町・福住部)の橋梁に上がるための歩道橋。なかなか素敵にできている。
2023年12月撮影 9号線は、油堀川を埋め立てて建設されたため、ここに架けられていた下之橋は、現在存在しない。油堀川は道路になってしまっている。江戸時代のここ佐賀町あたりを復元した街の様子は、深川江戸資料館に行けば、うかがい知ることができる。小さくも落ち着いていて、僕の大好きな資料館である。
*2023年5月 加筆、2024年10月 加筆