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死の壁と般若心経

 最近、写経に凝っている。といっても、目的は字の練習で、もう少しまともな字が書けるようになること。本と一緒に買った筆ペンでは飽き足らなくなって、100円ショップで、墨汁、筆、硯がわりの小皿も購入済み。
 般若心経は短いとはいえ、練習が目的でもあり、全部書くと1時間はかかり、休みの日じゃないと、腰を据えてはできないで、平日は純粋に字の練習になっている。
 そんな目的のため、本には当然般若心経の解説も載っているが、そちらは斜め読み。その程度の段階で言ってしまっていいのかなと思うが、そのうち般若心経の詳しい解説書を読むことにして、今の段階での話。
 意味はよくわからないままに、漢字だけは何度も書いている。色即是空。空即是色。
 すべてのものは空であり、空がまたすべてのものである。というようなことかな。そして、それだから、死とか老とかというのも恐れることはないんだと説いている(ような気がする)。
 
 まだ、真剣に死のことで考え込んでしまうような年齢ではないと思うが、若い頃に比べれば、それなりに死を見てきているのも確かだし、近づいてきているのも確か。縁起がいいとか悪いとか、そんねレベルであっても、ふと死について思うことはあった。

 写経を始めて、たまに般若心経の内容について思うとき、ふと思い出したのが、というよりもって強いインパクトで頭に残っているのが、養老猛司の「死の壁」。
 優劣をつけるわけではなく、今の自分にどちらが受け入れやすく、わかりやすいかという程度だが、とりあえず、今の時点での自分なりの解釈。
 般若心経で、すべてのものは空であるといい、十二縁起等々まで否定して、だから死は恐るるに足りないと言われてもピンとこない、というか、今のところ理屈としか思えない。
 死の壁で、唇や舌というものはあっても、口というものは具体的には存在しない。同じように、第二人称の死は存在しても第一人称の死は存在しない。というような内容、というか、というように今のところ理解しており、今の段階で読み直していないのだが、こちらの発想はインパクトがあった。目の覚める思いというか、ちょっと悟りを開いた気分。
 今は、写経にゲームに、と遊ぶのに忙しいさなか、寝る前に少しだけの時間だが、養老猛司の超ばかの壁を読んでいるところ。ベストセラーになった時期を考えると、ちょっとおそ過ぎか。
 それでも、久しぶりに、本とのいい出会いをしたという気分ではある。

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