漢字、というよりも文字そのものが好きだった。字は文様というか、最も簡単な絵に似ていると思ったからである。 当時、小学1年生で最初に習う字は片仮名であった。サイタ、サイタ、サクラガサイタ。それは国語ノートの四角なマス目に美しくバランスをとって描く絵であった。2年生になると平仮名を習う。繰返し書かされる「書取り」の時間というのがあった。なにも考えず、繰返し繰返し、ただひたすらに書きつづける。文字のつ . . . 本文を読む
ハミズハナミズ、という。ヒガンバナ(彼岸花)の別称である。マンジュシャゲ(曼珠沙華)ともいう。山口百恵にこれを「マンジューサカ」とうたわせたのは阿木耀子である。長江中流域を原生地とする帰化植物で、わが国への渡来は有史前であったと推測されている。万葉集には「壱師の花」と詠われており、これが彼岸花としては最古の記録であるという。 路の辺の壱師のはなの灼燃く人皆知りぬわが恋妻は 柿本人麻呂 いつのこ . . . 本文を読む
西暦2000年とこの年に開催された沖縄サミットを記念して発行されたのが「弐千円札」であった。あれから13年、流通枚数は1億1千万枚で全紙幣の1%ほどというが、いまではとんと見かけることもない。2000年度に7億7千万枚、03年度に1億1千万枚と計8億8千万枚の弐千円札を日銀に納入、その後は印刷されていないという。しかし、1兆7600億円という大量の紙幣が流通もせず、いまも日本銀行の金庫に「在 . . . 本文を読む
江戸八百八町に出没した鼠小僧次郎吉が難なく捕り手をかわすことができたのは、闇から闇に姿を消せるほど、そのころの江戸は夜が暗かったからではないのか。 人工の灯火といえば燈明か行燈の時代である。せいぜい10ルクス程度の明るさであったというから、書物を読もうにも人びとは灯の近くに身を寄せていたにちがいない。まして一歩戸外に出れば、人の顔もはっきりしない闇がひろがる。これが百万都市、江戸の夜だった。 . . . 本文を読む
キリギリスが鳴いている。鈴虫などにくらべてお世辞にも美声とはいいがたいが、鳴く虫としては古くから和歌にも詠まれている。 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしき独りかもねむ この一首、後京極摂政前太政大臣の作とある。後京極摂政前太政大臣とは、九条良経のこと。摂政関白家に生まれ、わずか26歳で右大臣にまでのぼっている。エリート中のエリートだったわけだ。しかし、「建久七年の政変」で失脚、一度は朝廷 . . . 本文を読む
わが国の花火大会は年に8500回も開催されているという。しかもその大方が夏季に集中している。まさに七月から八月にかけて日本は花火列島になる。その七月に東京隅田川の花火がある。 これは1732年、両国の川開きに花火を催したのが始まりとされる。その前年、享保の大飢饉(餓死90万人)があり、また江戸市中に蔓延したコレラの死者も多かった。花火はこれらの死者に対する鎮魂の催事であったという。打上げは鍵屋が . . . 本文を読む
英語を使うなら香港だ。ここでは英語はほとんど通じない。だから英語の練習をするなら香港ということになる。この100年、その歴史的事実から 香港=英国 というイメージがあり、必然的にここでは英語が通じるという認識をもつ。これが大きな誤解だった。香港の人口は700万、華人とよばれる中国系がそのうちの93%を占める。当然のことながら、彼らは中国語を喋る。しかも広東語である。外資系企業やホテルにでも就職す . . . 本文を読む
キリンの首の長さを受けもっているのは、頚椎ひとつひとつの伸長であると教えられた。頚椎とは、椎骨の一部で頭部を支えている骨のことである。首から尻へとつながる脊椎骨の最上部からかぞえて7番目までの骨が頚椎、いわゆる首の骨である。ナマケモノなど若干の例外を除き、ほとんどの場合、哺乳類の頚椎はこのように7つの骨で構成されているという。 人間もしかり、あの長い首をもつキリンでさえ例外ではない。キリンは頚椎 . . . 本文を読む
古くから議論をよぶ命題に「鶏がさきか卵がさきか」という。いつも堂々めぐりをくり返すばかりで、いまだ納得する答をきいた覚えはない。これが堂々めぐりするのはなぜか。鶏と卵、それぞれを独立した別個のものとみなし、ただことのあとさきだけにこだわる、そのために起る混乱ではないのか。 かりに卵がさきだとする。 この卵は自分でその殻を破り . . . 本文を読む
余地を残すというか、ずばりと表現しない記述が日本語には多い。辞書にもときおりみかける。典型的な例が「など」である。 例えば、小指。 広辞苑「俗に、妻・妾・情婦などの隠語」 大辞林「妻・愛人などを暗にさす」 大辞泉「妻・妾・愛人などを俗にいう語」 どの記述でも「など」の解釈はこちらに委ねられる。そうすると小指で「恋人」を示すことができるのか、これもよいのか、あれもよいのか、などなどと「など」の範囲 . . . 本文を読む
幼い児に「右ってどっち?」と訊ねながら、親たちの多くは「箸をもつ手の方」と教えたにちがいない。わが家も世間並というか、例外ではなかった。しかし、長女は左利きに育ってしまった。 そのころ、浅丘めぐみが「私の彼は左利き」を歌い、ピンク・レディは「サウスポー」だった。だからというわけでもないが、あえて矯正しようとは思わなかった。6歳ころから書道塾へ通うようになり、以来、字を書くときだけは右手を使ってい . . . 本文を読む
花と昆虫の世界には、蜜の提供と花粉の媒介という give and take の関係が成立していると教えられ、そう信じこんでいた。 例えば、夕方から夜にかけて活発にとぶ雀蛾、これに対して烏瓜は夏の夜に花を咲かせ、蜜を出す。それと知ってか、わが家の庭でも夜目にも白いこの花に雀蛾がおとずれ、花から花へと花粉を運ぶ。こうして雌雄異株の烏瓜にも、晩秋、赤い実が確実に熟すこととなる。 まさしく共生のイメージ . . . 本文を読む
「どれだけの砲弾が飛んだら…」とボブ・ディランが歌っていた。シンプルで力強いメッセージ・ソング、「風に吹かれて」である。
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly Before they're forever banned?
さらに「為政者たちは、いつになったら人々に自由 . . . 本文を読む
ある分野において見識があるとされている人を紹介して「この分野における第一人者のひとりである」などとよくいう。妙な日本語だ。第一人者とは、ある集団または分野で一番すぐれている人をいうのではないのか。とすれば、第一人者とはひとりしか存在しないのではないか。単純な疑問が湧く。 この紹介者の頭のなかには、ほかにも権威者がいてその誰かに気がねをしたのだろうか。それならそれで別の表現もあっただろう。これでは . . . 本文を読む
むかし、杞という国のある男、いまに天と地が崩れてきたらどうしようかと心配で、夜もおちおち眠れなかった。
見かねたある男が「天は気が積もってできているのだから、そんな心配はないさ」となだめたが、それでも心配でならない。
「でも、日や月や星が落ちてこないかね」
「いや、日や月や星もみな気でできている。たとえ落ちてきてぶつかっても、怪我などするわけはないよ」
これを聞いて、男 . . . 本文を読む