*悪魔の報酬(ハヤカワ文庫)
☆原題
THE DEVIL TO PAY (1938)
☆事件
ハリウッドの別荘で殺された男はロサンゼルスの大富豪だった。会社を倒産させ、投資家や共同経営者に被害を与えながらも私腹をこやし、世間の非難を浴びていた。ところがその大富豪が奇怪な死をとげた現場には、彼への弾劾に加わっていた息子ウォルターの姿があったのだ!消えた古い決闘用の剣、謎の糖蜜、殺人の動機を持つ何千もの人間。脚本の仕事でハリウッドを訪れたエラリイはこの魅力的な事件に乗り出したが!(ハヤカワ文庫『悪魔の報酬』カバーの紹介文より)
☆登場人物リスト
ソリー(ソロモン)・スペース・・・オヒッピ水力発電の経営者
ウォルター・・・ソリーの息子
ウィニ・ムーン・・・ソリーの被保護者
アナトール・ルーヒッグ・・・弁護士
リース・ジャーディン・・・ソリーの共同経営者
ヴァレリー・・・リースの娘
ピンク・・・リースの部下
アザートン・フランク・・・門衛
ワレウスキー・・・門衛
ミブズ・オースチン・・・ホテルの交換手
フィッツジェラルド・・・新聞社の編集局長
グリュック・・・ロサンゼルス市警の警視
ヴァン・エバリ・・・地方検事
ポーク・・・検死医
ブロンソン・・・鑑識課の化学班員
エラリイ・クイーン…犯罪研究家
☆コメント
いわゆる「ハリウッドもの」と呼ばれている作品群の最初の作品ですが、特に映画スターが出てくるわけでもなく、ハリウッド色を売り物にしているわけでもないようです。登場人物たちがハリウッドに住んでいることと、エラリイが脚本家としてハリウッドのスタジオに招かれながらも責任者と連絡が取れずブラブラしているという設定が、わずかにハリウッドとのつながりを感じさせる程度です。
作品の特徴としては、『中途の家』『ニッポン樫鳥の謎(間の扉)』のメロドラマ路線を踏襲していて、軽くて読みやすいエンターティメントに仕上がっていることでしょう。特段優れている点も見当たらないけれど、大きな瑕疵もない、安定した作品といえそうです。
人生は短く、読める本も限られていますから、世に名高い傑作ばかりを追いかけたくなる気持ちもわからないではありませんが、すくなくともある作家のファンを自認するならば、駄作・凡作を楽しむゆとりがあってもいいと思います。大学時代に美術史の先生の「悪い絵を見ておかないと良い絵の真価はわからない」というような趣旨のことばを聞いて、なるほどと思ったことがありますが、それはミステリにも言えることでしょう。
こんなことを言っていると、まるで『悪魔の報酬』が駄作であるかのような誤解を生みそうですが、決してこの作品は駄作ではありません。私自身は『ニッポン樫鳥の謎』よりこちらの方が好きですね。
西海岸にやってきたエラリイは、完全によそ者扱いで、クイーン・パパの威光も地元の警察には届かず、その点ではハードボイルドな私立探偵や『ニッポン樫鳥の謎』のテリー・リングに近い存在になっています。『ニッポン樫鳥』でもエラリイはクイーン警視と対立する場面がありましたが、今回は警察との対立がより先鋭になっていますね。フィッツジェラルドのようなジャーナリストと連携するところも、いかにもアメリカ型私立探偵小説らしい展開です。クイーン警視がまったく登場しないのも象徴的で、父親からの独立という意味ももちろんあると思いますが、警察をバックにしないエラリイの姿に、ハメット流の「真の国産探偵小説」に対抗する作家クイーンの心意気が感じられる作品でもあります。最後はホームズ風にグリュック警視に手柄をゆずるわけですが(笑)。
『アメリカ銃の謎』では表面的な「ショー」として単なる小道具のようにとらえられていたアメリカ精神、ウェスタンの伝統が、ハードボイルド私立探偵小説に正統的に受け継がれていることを、クイーンが気付かなかったはずはありません。西海岸でのエラリイの冒険は、作者クイーンにとっても、大いなる冒険だったのだろうと思います。
『悪魔の報酬』は登場人物も少なく、クイーンの作品になれた読者なら早いうちに犯人がわかってしまうだろうと思われます。作者もその辺のところは心得ていたのではないでしょうか。謎解きよりもメロドラマを重視した、作者の開き直りのようなものを感じます。論証の部分はさすがにエラリイの弁舌はいつもどおりですが、盗聴機を使う行動派エラリイのスパイ大作戦もなかなかの見ものです。
(yosshy)