溢れスパーク

あなたは私の心は行かせます

とうとう作ってしまったジンジャー?ジャム

2016-06-27 12:22:28 | 日記

一般的かどうかはわからないが、この世にはジンジャー?ジャムというものが存在する。
 スーパー?マーケットで目にすることはないかもしれないが、試しに楽天でジンジャー?ジャムを検索すれば、ミックスジャムを含め、ジンジャーを使ったジャムがたくさん並んでいる。

 ずいぶん前にジンジャー?ジャムは食べたことがある能量水 新聞
 おそらくは外国産だったのではないかと思うが、物珍しさもあって買ってみた。ジャム作りを始めるよりも、ずっと前のことだ。

 ジンジャーはもちろん生姜のことである。
 ジャムとはいえ、トーストに塗ってみたら、これが辛い。しかも、350gくらい入っている瓶だったので、なかなか減らない。
 舌をヒーヒーさせながら、食べた記憶がある。

 そのときの感想は、「誰がこんなものを好き好んで食べるんだ? やっぱ西洋人は日本人とは味覚が違う」だった。
 いや、生姜はもともとが薬用なので、西洋人も薬のつもりで食べているのか? 健康食品みたいなもんか?
 
 何年か前に、いつも手作りジャムをプレゼントしている兄から、「ジンジャージャムは作らないの?」と聞かれたことがある。
「ジンジャージャム? あれ、辛いでしょ」
「リンゴとか入れればそうでもないよ」
 そう言って、兄が市販のジンジャージャムの瓶を持ってきた。どうやら、ジンジャージャムが好みらしい鑽石能量水 騙局

 何でわざわざジンジャージャムなんか、食ってんだろう? 健康食品のつもりか?
 そうは口には出さなかったが、「そうねえ???」と言って会話を打ち切った。

 ミックスジャムは作ったことはあるが、基本はミックスは作らないことにしている。
 オレンジとグレープフルーツの柑橘同士のマーマレードや、もともとミックスされて売られていた冷凍のベリー類でジャムを作ったことがある。
 それぞれの味が融合し、マイルドな味になって美味しいことは美味しいのだが、何となくぼやけてしまう気がした。

 ジュースでも、昔はミックスジュースが好きだった。
 オレンジジュースなど、酸の独特の刺激があってピリピリ、刺々しかったりするが、ミックスジュースはその刺激が緩和されて、マイルドで美味しい。
 しかし、最近はそのマイルドさが物足りなく、中途半端な気さえして、あまり買って飲まない。飲むなら単一の果物を搾ったジュースの方が、個性がはっきりしている。

 そんなわけで、作るならあくまで単一のジンジャージャムと思っていたわけだ。

 ホームページに載せるためにいろいろなジャムを作っているうちに、ジンジャージャムの項目がないことが気になってきた。
 来年の春、新生姜が出てきたらジンジャージャムを作ってみよう鑽石能量水 消委會。そう思ったのは、去年の秋だった。
 そして、やがて新生姜の季節が近づいてきた。

 ???と、ここまで書いたところで、すでに長文になっていた。
 ジャム作りの話を前後編に分けるのもなんだとは思うが、次回に続く。


おばあちゃまになりたい

2016-06-14 15:07:03 | 日記

エッセーおばあちゃまの、ある記事を読んで、衝撃を受けた。
幸福に関するものである。偉人の文言がそえられている。
数日が経って、ちょっと部分的に内容を忘れた。
認知症状が日常。
また、おばあちゃまブログに飛んでいき、知りたかった忘れていたパーツをを確認した。
そのページに、付箋を貼って、バイブルにしたい。


偉人はすばらしい。
凡人ではありえない名句を遺す。
そういう深いことばを読むのは大好きである。
偉人の文章を紹介してくれる記事を部分的に拾い読みする瑪沙 閃肌水光槍
省エネのええとこどり。
努力ゼロで、良い教えに接することができる。

おばあちゃまにしてみると、「もう何度も読んだ本だから、どなたか、お読みになるんだったらどうぞ」
と、軒下ガレージセールのノリだろう。
「ご自由にお取りください」、というかんじで、「ご自由にお読みください」。


わたしは、クセがある曲者である。
ニオイが、きつい。
おばあちゃまのお年頃になるまでに、取れたらよいのだが、このニオイ、さらにキツくなっているかも知れない。

今日も、どなたかが引っ張り出してくれた過去?蝶?記事を読む。
自分ながら、いいこと書いてるなあ???と感動していたら、、、
ああ、最後あたりで、キツいニオイを発して自滅していた。
あのニオイさえなければ、高得点をあげてもよいのだが、あのトドメで、すべてパー。

「嫌な奴」臭を放っていた。

こんなことがあったの、ヘマしているでしょ、わたしってあほでしょ~
わたしたち、同じだよねー、あ、ごめん、ごめん、わたしみたいなあほと同じなわけないよね~、
そう言っておきながら、最後で、どっか~んと、不意打ち逆転にもっていく。
逆転どころか、高い高い高い位置から、仁王立ちになって、見下ろす。
それが見えるのであります瑪沙 去斑聚光槍
なぜなら、自分が書いているので、自分の深層心理はまるわかりなのである。
そのニオイにお気づきの方は、二度とお立ち寄りになることはないと思われるが、
意外に人間は、刺激を求めたり、怖いものみたさで、「本当は怖いグリム童話」的な痛さを感じたくなる。

いちばん、やっかいでダメな人は、「バカなくせにデキると思っている、バカ」
二番目に、やっかいでダメな人は、「デキる人間が、自分はデキると思っている人」
三番目は、「バカが、自分はバカだと自覚している人」
では、四番目として、
「デキる人間が、自分はデキないと思っている」ケースは、ちょっと色を変えると、謙虚な人、ということになるのだろう。
でも、わたしは、そんな謙虚な人は、認識がオカシイと思う。
デキるのに、わざとデキないと自覚しているのは、現実をジャッジする目として、正確に判断できていない。
事実を歪めることになる。
バカな人が自分をデキると思い込むのは、バカだからわかるが、
デキる人なら、自分がデキるか、デキないかは、わかるはずである。

「バカのくせに、自分がデキる」と思うケースはじつによくある。
世間に、勘違い人間は、ごろごろ転がっている。
デキる人間は、思っていても思っているそぶりを見せないが、見せる人もいる。
「デキる人間が、自分のことをデキないと思っている」という、そんな人にわたしは、会ったことがない瑪沙 射頻瘦面槍

デキる、デキない、は、成功体験や失敗体験の実例の積み重ねから実証され、感じることである。
失敗を重ねても、デキると思い込むバカは、自分への期待と自己防衛からそうなるのか。
では、成功を重ねているのに、自分はデキないと感じるのは、舞い上がらないように自分への戒め、慢心しない歯止め?
でも、一歩一歩着々と自信をつけて、ステップアップしていくだろうから、「デキない」と感じないはず。
つまり、(あんまり深く考えていないが)、「自分はデキるのに、デキない」と感じる人は、あまりいないのではないだろうか。
よほど成功体験をする機会に恵まれなかった人だろう。
それは、それで、嫌なニオイもしないし、眠ったままの子を起こす必要もないように思う。
「デキる」部分は、一生、目覚めないままに終わる。


なにを長々と書いて、自分を納得させようとしているのか。
自分への分析である。
「ダメなフリをして、じつはデキるんだよ~」というスタンスは、限りなく嫌われるということだ。
デキないならデキないで、最後まで、「デキない」を通すべきである。
へんに、ちょろっと、「じつは。。。」の部分を出すから、不快なニオイがきつくて、ぞっとするのだ。
後だしジャンケン、後手戦法。
卑怯ではあるが、結果的に勝った者が勝つのである。

勝った、負けたと言っている間は、お子チャマだ。
おばあちゃまの心境になるまで、あと15年近くある。
それまで、修業を積むのみ。
15年先には、ニオイのない、良いエッセーが書けるか???な?????