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巨人はノアの洪水で一掃されたのか?

2021-02-11 23:38:24 | 聖書

前回、泉パウロ牧師の巨人ネフィリムの興味深い説教を紹介しました。

 

さて、その中で、気になったのが、巨人族がノアの洪水で一掃されたという話です。

これについて、海外では普通に疑問視されています。

ノアの洪水が起こり、セムの子孫であるノアと家族以外は全て絶滅したので、巨人は産まれなかった、と考えがちですが死に絶えていません。

 

なぜなら、ノアの洪水後に書かれた民数記13章、申命記1,2,9章、ヨシュア記11,12,15,17,21章、士師記1章に、

巨人アナクやアナクの子孫が登場します。アナク人はネフィリムの子孫です。

(以前、ブログの中で、アナクとアナキムとアヌンナキについて書きました。)

民数記13:22-33には、>>“アナクの子孫のアヒマン族、シェシャイ族、タルマイ族が住んでいました。”とあります。

(カナンを偵察した一隊が「そこにすむ民は巨人であり、ネフィリムである。彼らアナク人はネフィリムの出だ」とネフィリムから出たアナク人の子孫を見た

と、モーセに語る一節があります。)

 

そして、その更に後の時代、ダビデが戦った相手であるペリシテ人の巨人ゴリアテは紛れもなく巨人の子孫です。

巨人がノアの洪水で一掃されているなら、なぜ、巨人族が後の時代にいるのでしょうか?

 

数日前、カナンの地はさまざまな巨人族であふれた巨人族のメッカの地であるとブログに書きました。

セム人やヤぺテ人は、カナン人の子孫やハム人種の子孫と交わりを持ち、第2世代のネフィリムたちが生れたということです。

創世記9:22には、ノアの息子であるハムについて、“カナンの父ハム”と記されています。

 

もう1つ見落としていけないのは、ノアの洪水が“全世界”起こったという記述ですが、ノアの洪水はグローバル規模ではありません。これは考古学やマンモスの骨からでも証明されています。

ノアの洪水時代の“全世界”は、ある一定の地域(≒メソポタミア地域)のことを世界と呼んでいました。ノアの家族だけが生き残ったと言うなら、カインの子孫はどうして洪水後に存在するのでしょうか?(創世記16:19)。これについての質問は18歳の時に海外で聞きましたが、当時は理解に苦しみました。もちろん、教会ではこういう内容に触れません。

 

そして、聖書にエイリアンというコトバはありませんがいます。悪霊・堕天使たちです。

私も2か月前、UFOを見ました。UFO・エイリアンについては、世界中の人の証言があります。古代の壁画があります。

 


②携挙について

2021-02-11 23:22:13 | 携挙

携挙について、100近くの動画・記事を調べました。

でも、携挙説を信じようと思って、夏からずっと携挙を信じる人たちの動画を中心に登録していました。

なのですが、携挙を信じる決断をしても、なぜか御破算になってしまうんです。ふり出しに戻るんです。

御破算になるのは、神様がブレーキをかけているのでは?と思う時もありました。

でも、答えは、まだ出てないのです。

 

そしたら、本日、ダービーについて神様から示されたことがありました。

もちろん、彼の周りにいた同じ説に賛同する人間についても調べ始めています。

調べましたら、この情報について日本語で書いている人がゼロでした。

 

ネルソン・ダービーは、ある女性がビジョンで見たという説を気に入り、携挙説を一気に広めた人です。

実は、彼女自身が、その説を demonic だったと言ったそうです。

また、ダービーは携挙が起こるのは、ダービー自身が生きている時代がLAST HOUR (1800-1882:19世紀が最終の時 )だと断言したそうです。

 

ジョージ・ミューラー、スポルジョン、ジョン・ウェスレーらを批判して大変だった人です。

プロテスタント界の法王にでもなるつもりなのか?と批判されたほど、自分の新説に賛同しなければ教会から破門にしたなど、

傲慢だったそうです。そして、ディスペンセーション主義を広めたいがあまり、ダービー訳の聖書を出版しました。

ニューエイジ的にイエスをとらえて翻訳しています。

彼の思想が広まった一つの理由として、なぜなら、彼にはこの人がスポンサーになったからです。この人は、口スチャと深い関係がありました

>>Darby Plants the Seeds

Before examining Scofield’s life, we should note a little about John Nelson Darby, the principle figure from whom Scofield borrowed his Biblical analysis. Darby was a Satanist, Freemas0n and agent of the Rothschild-owned British East India Company, the latter being the most powerful multinational corporation of its day and the supplier that turned millions of Chinese into opium addicts. Darby’s family owned Leap Castle, renowned as the most sinister and occult castle in Ireland’s history.

 
 
 
結局、シ オ煮と目~勢力が、艱難前携挙説を支援していたのです。艱難前携挙をハリウッド映画などを通して、大々的に米国で宣伝してきたのです。
政治目的です。
こういう情報は日本語ではゼロです。英語ではいくつもありました。
ただ、米国右派福音派は何を聞いても頑固なので、トランプの事と同じで聞く耳持ちません。
だから、艱難時代前というのは怪しいのではという方向に導かれ始めています。携挙説を信じたくても、ふり出しに戻されるのは、神さまだとしか考えられません。
また、携挙の夢やビジョンを携挙を信じる大勢の米国人たちは見ていますが、それが艱難前の携挙かが判りません。
またトランプが再選される夢を大勢の米国人が見ましたが、現実に至りませんでした。
もちろん、神様からの夢もありますが、夢だけに頼るのは確かではありません。なぜなら、時々、想いに強くあるものが夢として反映されます。
 
ですので、艱難前携挙を信じる人は、全てリセットして調べなおすことを勧めます。
自分の願いでなく、神の御心がかなうようにです。
 
キリスト者というのは、“この道の者” という意味で、イエス様と同じ茨の道を通ることを意味します。
福音のためなら、何が起きてもその覚悟があるかです。
 
 
次回、③携挙について続けます。

 

 


クリスチャンにひとまず知って欲しいこと:D家について

2021-02-11 22:56:54 | 携挙

昨日、あるアイルランド人?がスレに書き込んだことを調べているうちに、辿りついた情報があります。

クリスチャンでこのブログを読んでる方に、是非知って欲しい古城があります。

後で、判りますので、この城がどういう城なのか一応目を通しておいて下さい。

ヨーロッパで一番幽霊が出ると言われる城がアイルランドにあります。

まず、目を背けずに城について知って下さい。幽霊は映ってないです。

この情報は日本語で検索してみたところ、ゼロでした。

神様からの導きだと確信します。

 

レップ城ほど多くの超自然的な暗示を秘めた館は、世界のどこにもない――詩人であり美術評論家、また作家でもあるサチェベレル・シットウェルは、1936年にこう明言している。サチェベレルは英国の文壇や社交界で名を馳せたシットウェル3姉弟の末弟だ。

ミステリアスな雰囲気を漂わせるリープ城は、かつて大虐殺が起こった場所の跡地に建てられたため、奇妙な怪現象が起こると言われ毒と血にまみれた恐怖のオカルトスポットと呼ばれている。幽霊の目撃談も多く報告されている。Leap Castle(リープ城)は、実際の発音はレップ城と呼ばれる。

13世紀オバノン一族によって建てられた城ですが、11世紀の階段のスタイルのようです。また紀元前500年頃の石が建物の一部に使われている話もあり、古代、何らかの儀式に使われていた石だとも言われています。この建物の前衛は、新石器時代に遡るのではないか?とも言われています。

1649年にオリバー・クロムウェル率いる軍隊がアイルランドを占領するまで、この地方全域はその残忍さで恐れられていたオキャロル一族が支配していた。一族同士で激しく反目し合い、血で血を洗う抗争を繰り広げていた。一方でオキャロル家は絶大な権力を握っており「領主様にはヘーゼルナッツの木さえも身をかがめる」といわれるほどだった。

>>The O’Carrolls, princes of Ely, whose chief stronghold this castle was, were all big men, in face, a race of giants, as the few relics of them extant attest. 

オキャロル一族は、巨人のように大柄の家系だったと言う証言が現在も残っています。

>>A little below this is a remarkable room, which none of the servants will enter after nightfall. It was a state bedroom of one of the princess of Ely, who was murdered six centuries ago by her lord, and the solid oak door retains the bloodstains of the royal victim. This part of the building is reputed to be haunted 

当時、夜に給仕たちが入れないプリンセス・エリ―の寝室があり、エリーはその部屋で彼女の主人に殺されました。樫の木の扉は犠牲となったプリンセスの血痕が残っており、その部屋も憑りつかれていると言われている。

そして、1659年、オキャロル一族の娘が、監獄に囚われているD家の男性に恋に落ちた。密かに食べ物を運び、一緒に逃げようとした時、階段で弟に見つかった。その時、男性は彼女の弟を剣で刺し殺し逃亡した。しかし、弟の死後、レップ城の所有が彼女のものとなり、夫となったD家の男性の所有者となった。

現存する建物はD家によって改築されたもの。「城館」と呼ばれる建築で、要塞風の堅固な居城である。壁は場所によっては厚さが4Ⅿあり、メインの建物は四方を塀に囲まれた敷地の中に建てられている。18世紀後半、ゴシック風に改装され、ますます重厚さを増した。城は、D家の英国海軍将校ジョージ、次に甥の英国海軍ヘンリー、そしてジョンに承継された。1803年に出版された旅行ガイド『アイルランド名所一覧』では、レップ城について「D氏が所有する最も美しい館、見事な城、そして壮大な領地や農地、牧場」と書かれている。しかし、幽霊について何も触れられていないので、かえって目を引く。だがそれから100年後、レップ城の“不可解な亡霊”の話は続々と世間で語られるようになり、噂は世界中に広がった。20世紀初頭には、D家ジョナサンの妻ミルドレッド・ミリーは、ゴシック小説家として幽霊を目撃した体験をオカルト風の物語に仕立て大衆向けの雑誌に掲載した。彼女によると少なくとも19人もの幽霊をみかけたとのこと。彼女はオカルトや黒魔術に興味があり、過去にダンジョンのあった場所で儀式をおこなっていた。その時、肩に冷たい手を感じ、振り向くと、人間と動物のまざったような生き物がいたという。他にも、死体から出た悪臭のようなものが漂ったりということが起きた。

頻繁に幽霊が目撃されているのがブラッディ・チャペル(血まみれ礼拝堂)と呼ばれる礼拝所に現れる神父の幽霊。オキャロル 一族の兄弟の喧嘩が引き金となった惨殺事件がそこで起きた。ある日、チャペルで礼拝していた(神父である)弟に兄が近付き、飾ってあった剣でにいきなり弟を刺殺し礼拝堂が血まみれになった。現代でも、城から神父らしい亡霊の声を聞いた人がいる。またレッド・レディと名付けられた女性の幽霊は常に短剣を手にして城内を歩き回るらしい。この城は20世紀前半に修復された際に秘密のダンジョン(監獄)が発見されていて、その下にトラック3台分の何百という骸骨が見つかった。2階の部屋でトラップとなった人は、知らずに床板に立ったと同時に、穴に落ちる仕掛けになっており、無数の木の槍が穴の床に仕掛けられており、そこで血だらけになって叫び死んで逝った。ダンジョンには沢山の槍のヘッドや石板なども拷問の道具として見つかっている。

また、処刑のためのドアがあり、ほとんど食事を与えられず、長時間苦しみながら死んでいったと伝えられている。

村の人たちによる幽霊の目撃談によれば、召使や客たちの姿をした怪しい影が館じゅうをさまよい、頻繁に目撃されたのは頭頂部をてい髪した黒い僧衣の修道士や、赤いドレスの女、二人の少女、緑色の服を着たいかめしい男など。城を訪れたある牧師はまた別の亡霊に襲われた。その幽霊は、ベッドでうとうとしているとやって来る。すっと体を持ち上げられ、あっけにとられていると床に下ろされて、そのまま毛布とシーツでグルグル巻きにされてしまうのだという。また、誰もいないはずの部屋の窓に奇妙な明かりがともり、ある部屋では木の床に血痕が現れたり消えたりする。犬たちが突然激しく吠え出す。奇妙なことに城の馬たちは凍り付いたように動かなくなり、底知れぬ恐怖に襲われたメイドたちは部屋に入ることをいやがった、などと伝えられている。

不気味な現象にはどんなわけがあるのか、その根源に迫ろうとする人々が注目したのは、オキャロル一族の歴史だ。このアイルランドの豪族は代々、血で血を洗ってきた。裏切りや死人の多さにかけては、まさにシェイクスピア劇を地で行くような一族だった。レップ城で生き残った者が死者の亡霊に悩まされるのは当然の成り行きなのかもしれない。村人たちから忌み嫌われていた城なので、発砲され建物の一部が倒壊することもあった。1922年、そんなレップ城の日々も突然の終焉を迎えた。地元のアイルランド統一主義者にガソリンをかけられ、炎上したのである。城は焼け落ち、その後50年間、打ち捨てられたままだったが、1970年代になって改修工事が始まり、1991年には笛の演奏家ショーン・ライアンが城を購入して住むようになった。こうして再び、あの世からの来訪者たちは俗世を生きる人々と、レップ城で同居しなければならなくなったというわけだ。

1991年に現在の持ち主オーストラリアから来たミュージシャンのショーン・ライアンと妻アニーが住居として建て直し修復された。メキシコから有名なエクソシスト(霊媒師)を招き、除霊はしたものの、幽霊のような老人が暖炉の前の椅子に座っていたりなど、完全に霊は去っておらず、何度も目撃されている。

OGPイメージ

アイルランドいにしえの東部の6つの恐怖の物語

恐ろしい逸話に包まれた城から、殺意を胸に秘めた裕福な未亡人まで、アイルランドいにしえの東部は心の底からゾッとする話が至る所に溢れています。

Ireland.com

 

 

神様がたどり着かせて下さった情報です。

クリスチャンに知識として知って欲しかったので書きました。

A: そして、質問です。

18~21世紀までD家のメンバーがこの城を所有していましたが、この幽霊が出る祟られた城に住み続けたD家のジョンとは誰の事だと思いますか?

 

 

A:  答えは、この人です。

 

だからと言ってどうだとは言いません。ただ、私は、この人の写真を始めて見た時から憑かれたような恐ろしいものを人相に感じました。

悪霊や地縛霊は住人に影響する可能性もあるということは、無視出来ないと思います。

彼の言う事が正しいのかどうか、こういう事も材料にして考えてみる事も必要ではないでしょうか?

私は、昨日、彼がこういう家系の出自なのを知り、鳥肌が立っています。

ニューエイジ的な表現に翻訳された彼のバージョン聖書。彼に影響を受けたスコーフィルド聖書も同じ要素。