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救われるものは少ないのか

2021-02-04 00:42:22 | 聖書メッセージ

聖書の権威を信じるか信じないか? 聖書はテキトーな事が書かれているのか? 聖書の神、イエス・キリストは嘘つきなのか?

答えは、YES  or   NO  のどちらかです。 あなたは、どちらを選びますか?

 

「救われる者は少ないのか」(ルカによる福音書13章22-30節)

 

 

「ぬるま湯のような教会」ヨハネによる福音書21章15~19節、ヨハネの黙示録3章14~22節 
東京府中教会 北村智史牧師 

より抜粋

 ヨハネの黙示録には、数々の幻や想像を絶するような生き物が描かれています。まるでSF小説か恐怖映画のようです。おまけに謎めいたことや秘密めいたことが多く書かれています。何のことかさっぱり分からないと思う方がいても不思議ではありません。ですから、これを解釈する人の中には、一頃話題になった「ノストラダムスの大予言」と同じように黙示録を読む人が後を絶ちません。やれこのテキストは第二次世界大戦を予言していたんだとか、あの個所は米ソの緊張関係だ、キューバ危機だ、イラン・イラク戦争だ、チェルノブイリだとかいったように、黙示録の言葉と一つひとつを対応させて、これらは予言の言葉だと解釈するのです。そして、もうすぐ世の終わりが来ると言って、終末の危機を煽ります。確かに終末的緊張感を持って生きることは大切ですが、しかしこのように未来の出来事を予め言い当てる「予言書」として聖書を読む読み方は、歴史を無視した誤りであると言わなければなりません。


  ヨハネの黙示録は、「ヨハネ」という人物が語ったとされ、書かれた時期は紀元100年前後の頃と思われます。紀元1世紀から2世紀の前後と言えば、ローマ帝国のキリスト者に対する迫害が強くなった頃です。ローマ皇帝のドミティアヌスは、自らを「主にして神である」と宣言し、すべての人に忠誠を求めました。軍事力に支えられる権力者たちは、皇帝を神として礼拝することを人々に義務化し、キリスト者にも強要しました。そして、これに服従しないものは処罰されたのです。信仰の先達者たちにとって、自らの弱さや苦しみ悩みに加え、その社会の中で生きることは大きな試練の時でした。彼らは権力の横暴につぶされそうになる不安と恐れ、そして信仰の危機を経験していました。


  また当時、ローマ帝国の権力と暴力支配に抵抗した人々は犯罪者として死刑にされ、あるいは流刑地に送られました。その流刑地の一つに「パトモス」という島がありました。この島のどこかに、先程のヨハネが囚われていたのです。彼は皇帝礼拝を拒否する、そしてローマ帝国の秩序を乱すイエス・キリストの福音を宣べ伝えたということで迫害を受け、この島に流刑になり、監禁されていました。しかし、そのような苦難の中に置かれながら、彼は神様が新しいことを引き起こすということを信じ、新しい生命を与えられた復活の主に生かされていました。そして、ある主日、すなわち日曜日に、イエス・キリストより啓示を受けたのです。それは大まかに言えば、イエス・キリストの再臨が間近に迫っており、その時にはローマ帝国を初め、自分たちを迫害するキリストの敵対勢力は裁かれて、自分たちは救いの祝福を得るという逆転が起こるという内容のものでした。そのヨハネによって語られ、書かれた書物と伝えられている黙示録には、多くの幻や不可思議な表現が用いられています。これらは一般の人には分からないものでしたが、同時代において迫害されていたキリスト者にはぴんとくるものでした。ヨハネはこのように暗号のような形でと言いますか、自分を監禁しているローマの人々には分からない、けれども同じ迫害下にあるキリスト者には理解できる仕方で壮大なメッセージを示し、受難の時代を生きるキリスト者に励ましと希望を語ったのです。
 

 ヨハネの黙示録全体を貫くテーマをまとめますと、だいたい次のようになるでしょう。現在の様々な苦しみの中で、やがて来るべき新しい世界を待ち望みながら生きていきなさい。その時、イエス・キリストの愛に敵対する者、また悪魔的な力を奮う者は必ず打ち滅ぼされる。その希望を与えられる。キリスト者はどんなに苦しくても、その希望に生かされる。だから悪しき力と闘い、苦難の中で信仰を持って生きなさい。ヨハネは流刑の苦しみの中にありながら、自分を生かす復活のイエス・キリストの生命によって奮い立たされ、諸教会に連なって必死に生きる人々にこのように語りかけています。(以上のことについて、詳しくは、山口雅弘『イエスの道につながって――教会暦による随想とメッセージ』、新教出版社、2010年、136~138頁を参照)
ヨハネの黙示録には、ヨハネと同じくローマ帝国からの迫害に苦しむアジア州の7つの町の教会に宛てたメッセージが収録されています。今日の聖書箇所3:14~22は、その中でもラオディキアにある教会に、ヨハネが「主はこう言っておられる」とメッセージを書き送っている場面に他なりません。


  このラオディキアという町はB.C.3世紀にアンティオコス二世によって建設された町で、その名前はアンティオコス二世の妻ラオディケの名に由来すると言われています。この町は、当時、その交通の便の良さから世界の商業中心地として栄えていました。この町の金融業と毛織物業は有名で、A.D.60年の地震で町が一度破壊された時にも、ローマ政府からの援助を辞退して自力で復興できたほど、この町は富裕さを誇っていたのです。文化の面でも、ここには有名な医学校があり、ここで作られた目薬が当時の世界中に輸出されていました。この町には、7,500人以上のユダヤ人の植民がいたことが知られています。コロサイの信徒への手紙4:12~13によれば、この町に福音が伝えられたのは、パウロの同労者エパフラスを通してでした。この町は経済的には繁栄していましたが、信徒たちの信仰は全く堕落しきっていたようで、今日の聖書個所を読みますと、この町にある教会に、非常に厳しい調子で手紙が書き送られているのが分かります。
 

 当時、ラオディキアにある教会には、ローマ帝国やユダヤ教といった外部からの迫害の危険はなく、また、ある者が教会内部で偶像崇拝や不品行を行うように説くというような異端の危険もありませんでした。しかし、経済的に裕福だったこの町の教会の人々は、平和と繁栄のゆえに現状に対する自己満足に陥ってしまい、熱心にキリストに仕え奉仕することもなく、かといってキリストに冷たく反対するということもなく、ただいたずらに神様と隣人に対して無関心で不徹底な「なまぬるい」信仰生活を過ごしていたようです。
 

 こうした教会の人々に対して、ヨハネは主の言葉として、「わたしはあなたを口から吐き出そうとしている」、「あなたは……自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」と痛烈な批判を加えています。物質的な豊かさと霊的な豊かさは、決してイコールではありません。ラオディキアにある教会の場合、物質的な豊かさがかえって人々を霊的に貧しくしてしまっていたのでした。
 

 今日の聖書個所を読んで、私はルカによる福音書12:13~21の「『愚かな金持ち』のたとえ」を、特に21節の「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」というイエス様の御言葉を思い出しました。キリスト者は天に富を積み、神様の御前に豊かになることを求める者であって、この世で物質的に満ち足りていることで自己満足に陥ってしまうことは、信仰にとっては躓きとなるのです。
 

 ラオディキアの教会の人々に対して、物質的にではなく、霊的に豊かになるように熱心な信仰を持ち、信仰において何が本当に大切な事柄かを弁えるように目を覚まして、信仰の勝利者に与えられるキリストの義の衣をひたすら求めていくようにという勧告が為されていきます。
 

 ヨハネが告げる主の言葉は非常に厳しいものでしたが、それは「愛する者」に対する愛ゆえの叱責でした。それゆえ、ラオディキアにある教会の人々は、このキリストの愛に応えて熱心に信仰生活に努め、悔い改めをしなければなりません。この悔い改めを求めて、キリストはラオディキアにある教会の人々の心の戸をたたいておられる。これに応じて心の戸を開き、これまでの信仰生活を悔い改めてキリストを心の中に迎え入れる者は、キリストとの深い交わりに与ることができる。そして、まもなくやってくる再臨(終末)の時には、神の国に招き入れられ、そこでの祝宴にキリストと共に列席する祝福に与ることができる。また、そのようにして信仰の勝利者となった者は、キリストが既に勝利を得て父なる神と共に玉座に着いておられるように、キリストと共に玉座に着く栄誉が与えられる。それゆえ、「耳ある者は〝霊〟が諸教会に告げることを聞くがよい」と、ヨハネは復活の主の言葉として、地上の富に満足せず、絶えず天に蓄えてあるさらに豊かな祝福を仰ぎ望むことを勧めています。
 

 ヨハネの勧告は、決して今の私たちと無関係ではないでしょう。今の私たちもまた物質的な豊かさの中で霊的に貧しくなっていないか、自分の姿を省みなければなりません。
このことに関連して、かのマザー・テレサは、かつて日本を訪問した際にこんな言葉を語っていました。「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。また、日本には貧しい人は少ないでしょう。でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」
  

 物質的な豊かさの中で自己満足に陥ってしまい、愛し合うこと、手を差し伸べ合うことを忘れてしまう心の貧しさ。また愛されたい、必要とされたいと願う心の飢え。マザー・テレサが指摘したように、この日本には、そうした貧しさがそこかしこに溢れているのでしょう。そのような中にあって、私たちはしっかりと目を覚ましていなければなりません。物質的な豊かさ、その現状に自己満足して、熱心にキリストに仕え奉仕することもなく、かといってキリストに冷たく反対するということもなく、ただいたずらに神様と隣人に対して無関心で不徹底な「なまぬるい」信仰生活を過ごすということがないようにしなければなりません。
 

 ヨハネの福音書21:15~19の中で、復活の主はペトロに3度「わたしを愛するか」と問われました。ペトロは3度も確認されたことを悲しみますが、ここには、あえて3度問いかけることを通して、十字架の前に「イエス様を知らない」とペトロが3度否定したことを帳消しにするイエス様の赦しの愛が現れています。そして、イエス様は3度にわたって「わたしの羊を飼いなさい」と宣教牧会の使命を与え、ペトロを待ち受ける厳しい将来を予告しながら、それでも「わたしに従いなさい」と語りかけるのです。
 

 ヨハネの黙示録3:16~17で、ヨハネはラオディキアの教会の人々に「熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、……自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」という主の厳しい言葉を書き送っていますが、イエス様に従う道とは本来決して「なまぬるい」ものではありません。その道の途上で自らの惨めさや哀れさに直面することを避けられないのです。しかし、イエス様の十字架を前に弱さと卑怯さをあらわにしたペトロは、それを赦された上で新たな使命を与えられました。そのように、イエス様は人間的な弱さや惨めさを責め立てるのではなく、それを乗り越えて精錬されていくように、また弱さを通してこそ神様の栄光を輝かせるように私たち一人ひとりを導いておられます。
 

 願わくは、私たちが物質的な豊かさ、その居心地の良さの中で、ぬるま湯に浸かるような、そんな厳しさを欠いた甘えの体質に陥っていないか、そうしてそのことが自らの信仰的成長を妨げることになっていないか、自らをしっかりと省みたいと願います。熱くも冷たくもなく、悔い改めることもない、ただただ現状に満足して怠惰に過ごす「ぬるま湯のような教会」に将来はありません。熱心に己を見つめ、神様の御前に豊かになり、熱心に神様の御心を行っていきたいと願います。

 

 


詩編108【悪しきものから護られるために】

2021-02-04 00:00:35 | 聖書メッセージ

【悪しき勢力から護られるために】神への懇願の祈り 

ダビデの祈り 詩編108

1 ああ神よ。
   賛美が私の口からあふれてきます。
  心から喜んで、あなたへの歌をささげましょう。
十弦の琴と竪琴よ、目覚めなさい。
  共々に歌って、夜明けを迎えようではないか。
私は世界のどこでも、主をたたえます。
あなたの恵みは測り知れず、その真実は天にまで達します。
ご栄光は、大空を突き抜くようにそびえています。
あなたが愛しておられる子、私の叫びを聞いてください。
  あなたの偉大な力で、私を救ってください。

7 神が聖なる約束を交わしてくださったので 私はほめたたえます。
  神は、シェケムの全土とスコテの谷を下さると 約束してくださいました。
8 「ギルアデとマナセは、おまえたちに与える、わたしの領地だ。
  エフライムは、わたしのかぶと、ユダはわたしの笏。
しかし、モアブとエドムはさげすまされる。
  わたしはペリシテ人に向かって、勝ちどきを上げよう。」

10神以外のだれが、こんな要塞で固められた町々を
   征服する力を、私に授けてくれるでしょう。
   また、エドムまで導いてくれるでしょう。
11神よ、あなたは私たちを見捨て、その軍勢を置き去りになさったのでしょうか。
12 どうか、敵に立ち向かう力を与えてください。
 同盟軍の助けなどあてにできません。
13 神の助けさえあれば、勇敢に戦うことができます。
 神が敵を踏みにじってくださるからです。

~~~~~~~~~~~

【ちょっくら解説】

9節に、ダビデの兵は、モアブ人・エドム人・ペリシテ人の軍勢である異教の敵と闘っているのが判ります。

神様は、異教の民である敵をことごとく抹殺されるように命令されました。

それを読むと、なんとも聖書の神は残酷だ!と思ってしまいます。私も昨年までは、神様は残酷な方だと思っていました。

どうして異教の民を一人残らず殺してまでカナンの地を手に入れるよう、神様が命令されたのか?

昨年、このことについて、個人的に神様から答えを頂きました。

巨人族の事を深く調べて行ったことから、答えが繋がりました✨

 

カナンの巨人族について・・・人気な本のようです。

OGPイメージ

Giants or Canaanites? The Conquest - Bible Study With Randy

Giants or Canaanites? The Conquest Who was the conquest of Canaan a...

Bible Study With Randy

 

 

実は、ダビデの兵が闘っていた敵は巨人族 (悪霊のハイブリッド)でした。(巨人について、教会では教えません)。

神様が抹殺命令を出されたのは、相手が巨人族だったからであり、単なる異教徒ではありません。

現代でいう悪霊ハイブリッドである爬虫類人間“レプティリアン”の始祖だと言えば、理解しやすいかと思います。

恐竜、巨人族、レプティリアン、エイリアンは、堕天使(悪霊)から派生した同じDNAを持つ存在です。

 

真面目に神学校だけ卒業した教会の牧師は、巨人やエイリアンについて聖書から紐解けません😢

そういうのはファンタジーだという先入観があるので、隠された秘儀を見つける感性が磨かれません。

頭が硬いと聖書の奥義の深さに至りません。 

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Ancient Aliens: The Garden of Eden's Genetic Laboratory (Season 8) | History

The search continues with new episodes of In Search Of Fridays at 10/9...

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【更に詳しく】

エドム人については巨人だと記されていませんが、エドム人はヤコブの兄弟エサウの子孫です(創世記25:23)。

ヤコブとエサウから2枝の分離した民族が始まります。ヤコブは同じ民族の娘と結婚しますが、エサウは

カインの子孫であり異邦人であるカナン人の娘と結婚します。(創世記36:1-9)

カナン人は様々な部族から構成されていましたが、全て巨人族だと考えられています。

乳と蜜で溢れる肥沃な土地であるカナン(約束の地)は、巨人族が占領していた巨人族のメッカでした。

ancient inhabitants

巨人と言っても、その当時の巨人はペリシテ人のゴリアテが6.5キュビト(約2.9m)だったので、普通の人より大きい2~3mぐらいの大男を意味します。

ジャックと豆の木のような大木のような巨人の骨も見つかっていますが、別世代の巨人だと思われます。

聖書の巨人は実在した!?ダビデに倒されたゴリアテの骨 (2019年11月2日) - エキサイトニュース

聖書の中に登場する有名なエピソード、ダビデ王とゴリアテの戦い。「第一サムエル記」第17章によると、当時は羊飼いだったダビデが兄に食料を届けよ...

エキサイトニュース

 

 また、こういう説もあります:ゴリアテの身長は?

 

例えば、巨人族であったカナン人の信仰がどのようなものであったのか・・・

カナン人の崇拝していた対象(英語)

The Canaanites had many gods and goddesses. They made idols, which were supposed to look like these gods, and they worshiped them in hilltop temples. One of the most important was Baal, god of fertility and weather. The Philistines inherited many of the Canaanite gods.

カナン人は神々や女神の像を造り、丘の上に宮を建て拝んでいました。一番、崇拝していた神はバアル神(子孫繁栄と天気の神)です。ペリシテ人もカナン人信仰を承継しました。

バアル神は、要するにモレク神と同じと考えられています。

 

 

 

 

 

 そして、バアル神・モレク神は、現代のバフォメット信仰=ルシファー信仰と重なります。

呼び名は違いますが、感性的に同じことを意味します。

 

 

 

 

 

悪魔は実在する?聖書を元に悪魔の正体について7つの衝撃的な事実が・・ | グレースコロニー

 

神を愛し、掟を守り、偶像崇拝をしてはならないという命令。(偶像崇拝=人間が作った偶像や神々でないものを拝むこと。悪魔信仰・拝金物質主義なども含む。)

神様が偶像崇拝に対して厳しいのは、例え、人間が神々と呼んでいても神でないものを拝むと、誘惑され、違った霊を受け、聖書の神が約束された永遠の命という救いに預かれないからです。

偶像崇拝には厳しいですが、聖書を読むと解りますが、神がどれだけ愛と忍耐がある方であり、弱き者・貧しき者・虐げらた者の味方であるか解ります。

神を愛し、偶像崇拝を避け、罪から遠のけば、神様はその人を護り、必要なもので満たし、祝福して下さると約束されています。

 

申命記11章

ゆえに、わたしが、きょう、あなたがたに命じる戒めを、ことごとく守らなければならない。そうすればあなたがたは強くなり、渡って行って取ろうとする地にはいって、それを取ることができ、
かつ、主が先祖たちに誓って彼らとその子孫とに与えようと言われた地、乳と蜜の流れる国において、長く生きることができるであろう。
10 あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。
11 しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。
12 その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。
13 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、
14 主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、
15 また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。
16 あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。
17 おそらく主はあなたがたにむかい怒りを発して、天を閉ざされるであろう。そのため雨は降らず、地は産物を出さず、あなたがたは主が賜わる良い地から、すみやかに滅びうせるであろう。
18 それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、
19 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、
20 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。
21 そうすれば、主が先祖たちに与えようと誓われた地に、あなたがたの住む日数およびあなたがたの子供たちの住む日数は、天が地をおおう日数のように多いであろう。
22 もしわたしがあなたがたに命じるこのすべての命令をよく守って行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、主につき従うならば、
23 主はこの国々の民を皆、あなたがたの前から追い払われ、あなたがたはあなたがたよりも大きく、かつ強い国々を取るに至るであろう。
24 あなたがたが足の裏で踏む所は皆、あなたがたのものとなり、あなたがたの領域は荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテから西の海に及ぶであろう。
25 だれもあなたがたに立ち向かうことのできる者はないであろう。あなたがたの神、主は、かつて言われたように、あなたがたの踏み入る地の人々が、あなたがたを恐れおののくようにされるであろう。
26 見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。
27 もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。
28 もしあなたがたの神、主の命令に聞き従わず、わたしが、きょう、あなたがたに命じる道を離れ、あなたがたの知らなかった他の神々に従うならば、のろいを受けるであろう。
29 あなたの神、主が、あなたの行って占領する地にあなたを導き入れられる時、あなたはゲリジム山に祝福を置き、エバル山にのろいを置かなければならない。
30 これらの山はヨルダンの向こう側、アラバに住んでいるカナンびとの地で、日の入る方の道の西側にあり、ギルガルに向かいあって、モレのテレビンの木の近くにあるではないか。
31 あなたがたはヨルダンを渡り、あなたがたの神、主が賜わる地にはいって、それを占領しようとしている。あなたがたはそれを占領して、そこに住むであろう。
32 それゆえ、わたしが、きょう、あなたがたに授ける定めと、おきてをことごとく守って行わなければならない。

  

詩編108編を、イルミを含めた悪い勢力から護られるための祈りの武器としてプレゼントします!

神のコトバは信じる者の上には、絶大に働きます。

 

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、

心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。ヘブル4:12

【詩篇108】ショートメッセージ ※聖句字幕付

2019/7/14 日曜礼拝メッセージ 桜井知主夫牧仕 ジーザス・コミュニティ(カルバリーチャペル国分寺)http://www.calvar...

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詩篇108の感・感・願で賛美しましょう。Let's Worship Using Psalm 108 and Kan-kan-gan

詩篇 108 PSALM 108 1 神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。 1 My hear...

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神のとてつもない偉大さを信じる(英語:聞き流しメディテーション) 

Let Go and Trust God

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