みっちゃん
看板は「大学生おばあちゃん奮闘記」なのに一向に奮闘しない、大学生でもない日々が続いているせいか、ブログの訪問者数はうなぎ下がり(?)yes,今日も看板に偽りありの話題です。たぶん、、、私は書きながら考える人なので、タイトルとカテゴリーな最後でないとつけられないのです。
今、日本で一番もてている男性といえばノーベル賞の山中教授でしょうか。山中教授を嫌いだという人にまだ出会っていません。運命の女神が彼にウインクしたと思ったという講演も素敵でしたね。私たちに運命の女神がウインクする瞬間など絶対訪れるはずはないと思う半面、今の幸せな状況、少なくとも物質的に不幸でない状況を思えば、どこかで私にも運命の女神がほほ笑んでおられるのかもしれません。そう、子供のころに思い切り物質的な不幸に合った私たちは、滅多なことで、不幸とは思えないのです。もっとも家族や知り合いが夭折したり、病を得たりけっして四海波静かとは言えませんが、幸せも不幸も、当の本人が気がついていなければ幸せでも不幸でもないですよね。
4~5年前(かな?)に買った“幸福の木”正式名は“ドラセナ”だそうですが、最近徐々に元気がなくなりました。植木鉢が小さくなったので、夫が植え替えてくれたのだけど、多分植え替えたことが原因ではなく、今年の寒さが関係あるように思います。思うに、幸福の木というような縁起の良い名前の木は逆に枯れるとがっかりするので、縁起が悪いような気がします。幸か不幸か私の予感は大抵外れるので、たとえ枯れたとしてもあまり気にはかけないとは思いますが、、、やはり幸福の木という名前の木は買わない方がベターかも。
花の名前を付ける人もずいぶんいい加減なもので、山歩きをしていると「ままこのしりぬぐい」という山野草に出会ったことがあります。ウスピンクのかわいい花を咲かせますが、茎にとげとげがあり継子はこの草でお尻を拭かれるという発想です。継子も可愛そうだけど、意地悪をしなければおさまらない継母の心理もなんだかあわれ、おそらく食べるものも満足になかった時代の話です。
読み人はわすれましたがむかし歳時記でこんな句に出会いました。
蝶の黄を あわしと思う つわの花
我が家の狭い庭はいま“つわぶき”が咲いています。花の無い時期の唯一の彩りだけど、日本の花はどうしてこうさびしいのでしょうね。蝶よりも目立つ黄色に咲きながら、風景の中に溶け込んで「あれ!咲いてたの?」ほとんど見向きもされない花だなあと思います。水仙もそろそろ花芽をもつころだけど、西洋水仙との違いはどうでしょう。日本ではワーズ ワスもあの名作“The Daffodils”をかくことはできなかったと思いませんか?ギリシャ神話の少年、ナルキッソスも自分の姿に恋をして花になることはなかったかも。
かにかくに、、、大学生おばあちゃんは2013年の声を聞かなければ、一向に奮闘する気配もなく炬燵で丸くなっています。
看板は「大学生おばあちゃん奮闘記」なのに一向に奮闘しない、大学生でもない日々が続いているせいか、ブログの訪問者数はうなぎ下がり(?)yes,今日も看板に偽りありの話題です。たぶん、、、私は書きながら考える人なので、タイトルとカテゴリーな最後でないとつけられないのです。
今、日本で一番もてている男性といえばノーベル賞の山中教授でしょうか。山中教授を嫌いだという人にまだ出会っていません。運命の女神が彼にウインクしたと思ったという講演も素敵でしたね。私たちに運命の女神がウインクする瞬間など絶対訪れるはずはないと思う半面、今の幸せな状況、少なくとも物質的に不幸でない状況を思えば、どこかで私にも運命の女神がほほ笑んでおられるのかもしれません。そう、子供のころに思い切り物質的な不幸に合った私たちは、滅多なことで、不幸とは思えないのです。もっとも家族や知り合いが夭折したり、病を得たりけっして四海波静かとは言えませんが、幸せも不幸も、当の本人が気がついていなければ幸せでも不幸でもないですよね。
4~5年前(かな?)に買った“幸福の木”正式名は“ドラセナ”だそうですが、最近徐々に元気がなくなりました。植木鉢が小さくなったので、夫が植え替えてくれたのだけど、多分植え替えたことが原因ではなく、今年の寒さが関係あるように思います。思うに、幸福の木というような縁起の良い名前の木は逆に枯れるとがっかりするので、縁起が悪いような気がします。幸か不幸か私の予感は大抵外れるので、たとえ枯れたとしてもあまり気にはかけないとは思いますが、、、やはり幸福の木という名前の木は買わない方がベターかも。
花の名前を付ける人もずいぶんいい加減なもので、山歩きをしていると「ままこのしりぬぐい」という山野草に出会ったことがあります。ウスピンクのかわいい花を咲かせますが、茎にとげとげがあり継子はこの草でお尻を拭かれるという発想です。継子も可愛そうだけど、意地悪をしなければおさまらない継母の心理もなんだかあわれ、おそらく食べるものも満足になかった時代の話です。
読み人はわすれましたがむかし歳時記でこんな句に出会いました。
蝶の黄を あわしと思う つわの花
我が家の狭い庭はいま“つわぶき”が咲いています。花の無い時期の唯一の彩りだけど、日本の花はどうしてこうさびしいのでしょうね。蝶よりも目立つ黄色に咲きながら、風景の中に溶け込んで「あれ!咲いてたの?」ほとんど見向きもされない花だなあと思います。水仙もそろそろ花芽をもつころだけど、西洋水仙との違いはどうでしょう。日本ではワーズ ワスもあの名作“The Daffodils”をかくことはできなかったと思いませんか?ギリシャ神話の少年、ナルキッソスも自分の姿に恋をして花になることはなかったかも。
かにかくに、、、大学生おばあちゃんは2013年の声を聞かなければ、一向に奮闘する気配もなく炬燵で丸くなっています。