相互批評の饗宴――幻想史学と仲間たち

 これは幻想史学の提唱から15年経った仲間たちとの相互批評と詩と写真による饗宴である。

書評ー室伏志畔著『日本古代史の南船北馬』(同時代社)  添田 馨

2011年09月18日 | 書評
古代史の骨格-ーー添田 馨

 個人的なことだが八〇年代の終わり頃に、私がはじめてわが国の古代史という迷路のなかへ踏み入った時、それまで門外漢だった私がまっさきに覚えたのは、おかしな言い方になるが、それらの歴史叙述にいわば“背骨”が通ってないことへの苛立たしさ、もどかしさ、といった感覚だった。当時、わが国の伝統的な王権たる天皇制を思想的に解体する方途を模索していた私は、その権威がよってきたる源泉と思われた記紀の歴史叙述における欺瞞性を暴きたい一心で、ひたすらその世界に没入していった訳だが、斯界の権威と呼ばれる人々の説論はどれも舌足らずであったり曖昧であったりで、重要だと思われる論点ほど、意図的にか偶然にか申し合わせたように的を外しているのが常だった。
 この感じは、言うならばわが国の古代史に関する記述が、文献学的にあれ考古学的にであれ精緻化し細分化すればするほど、私自身のトータルな納得というものからますます遠ざかっていくという、一種撞着した関係構造を暗示していたと思う。この不全感は、例えば「王朝交替説」にも「騎馬民族説」にも、さらには「九州王朝説」にさえもつきまとって容易に離れなかったが、今にして思えばそれらには互いに共通する根拠があったように思われる。それは何かと言えば、各々の学説がたちあげるそれぞれの歴史ヴィジョンが、たがいに接点を持たないまま交錯しあっているだけで、さらに一段背後からそれらの位置関係に眺望を与えるべき系統樹のようなもの、いわばそれらの史観が相互に共有する“骨格”といったものが最後まで欠落していたことに起因するだろう。
 私は、その後、わが国の古代史に関する新たな知見に接するたび、無意識のうちにそこへこうした“骨格”への手がかりが隠されていないかと、長いこと探し続けてきた気がするが、室伏氏の今回の著作『日本古代史の南船北馬』は、いうなれば私のこうした渇望に対して、はじめて満足に答えてくれる手ごたえのようなものを覚えた一冊であった。
 「南船北馬」-この古来からある四字熟語が、単に本のタイトルとしてのみならず、古代史のグランド・デザインを指し示すキーワードとして、これほど曇りない概念として提示されたことはかつてない。「第3章 日本古代史の南船北馬」において氏は次のように書いている。

 …日本古代史の王権興亡は、東アジア民族移動史の流れの中にあり、決して大和で純粋培養されたものではなかったのである。それは始め南船文化を開いた長江下流の江南の稲作民族の移動によって花開いたが、次第に北馬文明を戴く朝鮮経由の騎馬民族王によって征服されていく経緯をたどった。それは中国史における北馬文化における南船文明の征服が空間的に明らかになったとはいえ、本邦においては、それが時間的な縦の構造として、なお隠されてあるところに違いがあると言えようか。(第3章/53頁)
 わが国の古代史を、あくまで一国内での王朝勃興史としてのみ捉える方法(一元史観)の無効さをつき詰めたうえで、さらにそれを解体したところにはじめて焦点を結ぶ複数王朝の興亡史たる古代史像(多元史観)にもそのまま安住することなく、広く当時の東アジア史の民族的流動と政治的激動の流れのなかに、わが国の古代史も捉えかえされるべきだとする室伏氏の所論は、こうした記述のうちにも見事に結像している。
 室伏志畔がこれまで構築してきた「幻想史学」の驚くべき内容については、現在、知る人ぞ知るところとなりつつあるが、それらは『伊勢神宮の向こう側』(三一書房刊)を皮切りに『法隆寺の向こう側』(同)、『大和の向こう側』(五月書房刊)、『万葉集の向こう側』(同)の「向こう側シリーズ」既刊四冊(さらに未刊の『王権論の向こう側』を加えると五冊)において、独創的な“九州王朝=倭国楕円国家論”や“大和朝廷(日本)=百済復興王朝説”をとして展開されるに至っている。そして今回の『日本古代史の南船北馬』は、これらの著作での思想的成果を踏まえ、その精髄の部分のみをダイジェスト版にしてラフスケッチした内容だと言って大過ない。その意味で、室伏「幻想史学」にはじめて触れる者にとっても読みやすく、ハンディな入門書としても読める体裁になっている。総体は全六章からなり、既刊の「向こう側シリーズ」に内容的にほぼ対応する構成となっているものの、本質部分の記述は、要約されることによってむしろ際立った透明ささえ獲得するに至っている。
 この「幻想史学」において真に画期をなす主要な論点群を、ここでひと通り押さえておくことは、私のこのつたない文章の読者諸氏にとっても決して無駄ではあるまい。特に私が強く心を引かれ、目から鱗が何枚も剥落する思いをさせられた古代史の“骨格”とは、およそ以下のようであった。

  …漢籍の多くに「倭は呉の太伯の後」とする記述がある。それは先の卑弥呼も関係した三世紀の三国時代の呉ではなく、それから七、八百年溯った呉王・夫差と越王・勾践の臥薪嘗胆の争いで知られる春秋・戦国時代の呉なのだが、国破れて呉越同舟して彼らは共に中国を離れざるをえなかったらしく、その呉王の末裔が倭を形成したというのである。(中略)私は呉人は九州に入ったなら、同舟した越人はどこに消えたのかと疑ったが、それこそ本邦の越(高志)ではないのか。彼らは江南における血で血を洗った苦い過去の経験に因み、本邦で棲み分けをはかったのである。最初、蓬莱の夷洲(倭国)で呉人は舟を降り、越人は亶洲(丹後半島前後)に向かい、そこに長江文明の稲作を持ち込んだのではあるまいか。それこそがこの列島の縄文稲作の伝播の起源を語るように思えてならない。(第3章/46~47頁)
 まさに幻想表出からする「幻想史学」ならではのヴィジョンが、ここには顕在するのではないだろうか。「越(高志)」の国が、越人の渡来によって開かれたという物証も文献上の根拠もない訳だが、そんなことよりこうしたヴィジョンの骨格そのものが持つ異常な説得力の内にこそ、私たちは何かを見出すべきなのではないだろうか。この道筋に沿うなら、ここまでは「南船」文化というわが国の稲作文化の下地を形成した歴史要因として捉えることができ、さらにその上に時間差で「北馬」文化による席巻の事態が覆いかぶさっていったとする経緯が、その後の列島の歴史を動かした主な要因だったということになる。これと類似のことは今までも比較文化誌の中で言及されてはきたが、歴史上の王朝興亡史との明確な連関においては語られてこなかった。室伏氏は続けて、こう書いている。

 この縄文稲作文明の繁栄を垂涎の思いで見ていたのが、朝鮮半島南端にあった伽耶であった。そこには列島に入ったと同じ倭人が北方騎馬民族系の扶余族の王を戴く、辰(秦)王家の本流があった。しかし半島における立場が次第に困難になるにつれ、彼らは対馬海流上の天国にも足掛け一大国を営み、八雲や倭国を窺い、時至って八雲の国を征服し出雲王朝を創出したのが素戔嗚命であり、倭国に天孫降臨したのが邇邇芸命ではなかったか。(同/47頁)
 神話を歴史の側に奪回することが、「幻想史学」の重要な一側面でもあることを想起すれば、およそこうした記述が、その内に神々の名を列記していようと、神話ではなく実は歴史の記述であることが容易に察知されよう。「素戔嗚命」も「邇邇芸命」も、ここでは朝鮮半島を南下し「北馬」文化を以て列島へ徐々にその支配を浸透させていった、別々の権力集団の換喩表現にほかならない。
 さて、最後に私はどうしても述べておかねばならないが、これらの思想的(あえて学問的といわずに)成果のことごとくは、権威的な史学アカデミズムの懐からではなく、特に七〇年代以降に古田武彦などによって牽引された、市民による歴史研究運動の多大な蓄積を母体に持って誕生してきている事実だ。室伏氏の「幻想史学」の来歴もこうした流れを踏まえた展開ではあるのだが、逆にそれだからこそ、八〇年代以降、こうした歴史研究運動が「偽書疑惑」事件などによって分裂・停滞してしまった状況に対する氏の批判も必然化されるのである。「第1章/サブ・カルチャー時代の中の市民運動」のなかで、彼はこう書いている。

 日本の市民運動は政治的変革を自ら勝ち取ったことがないので、その前提を欠いた夢の実現をたやすく期待するため、またたやすく絶望し、先祖帰りし、てんやわんやする離合集散を、今も飽きずに繰り返す茶番の中にある。この傾向は日本の思想運動が、例えば「新しい歴史教科書」の批判のことごとくが、明治近代以来の日本の蓄積を一挙に失う亡国の論理としての皇国史観を引きずっているとする批判や、かつての軍国主義を復活につながるとする批判に相変わらず止まっている。しかしそれを批判する進歩派の歴史観は相変わらず、前天皇史である記紀神話を歴史に取り戻すことなく、前天皇史への研究に蓋するイデオロギー史学の中にある。(第1章/21頁)
 古代史といえども、それが〈現在〉の懐から生み出される“思想”である以上、停滞する現状への戦略思考を研ぎ澄ますことなしに、自らの延命もまたありえない。歴史研究運動が、単なる自己目的化した「研究」の枠組みを越えて、運動としての活力をおのれのものとし、本来あるべき歴史像の彫琢に学問的レベルにおいて寄与するところまで行くには、しかしながらまだ多くの障害が横たわっているであろうことは、室伏氏ならずとも共通に認識するところだろう。「新しい歴史教科書」の前時代的な神話記述を笑止として退けることは容易いが、その一方で歴史認識がアジア各国との間で政治問題化すると、手も無くそれら外国の言い分にすり寄る体の“進歩的”言説にも、どんな展望すら期待できないとするなら…。
 「この停滞を打ち破るためには、市民による歴史研究運動は、反動的な復権を許すことなく、またこの革新の無自覚な対応を容赦しない、二重の越境を自己の課題とすることなしに不可能なのである。」(第1章/22頁)-室伏氏のこの言葉こそ、〈歴史〉を掘り下げる行為がそのまま〈現在〉という時代の層位を深める生き方へ直結するとのだいう重い主題を、その言外に強く響かせてもいるのである。(季報「唯物論研究」)

※大芝英雄講演 2011年10月9日(日)pm2時 泉北すえむら資料館(旧泉北考古資料館