相互批評の饗宴――幻想史学と仲間たち

 これは幻想史学の提唱から15年経った仲間たちとの相互批評と詩と写真による饗宴である。

『織姫たちの学校』への招待状

2012年10月12日 | 本の紹介
『織姫たちの学校』(橿日康之著)への招待状

 60年の安保闘争が終わり、大衆消費社会が始まる70年代を前にした1966年に、大阪は泉州に紡績・織布企業に働く二交替制の中卒女子労働者に高校資格を与える隔週定時制高校4校が大阪府の肝入りで開校された。
 それは低賃金・過酷な労働で知られる繊維企業に人が集まらないため、企業側が大阪府に泣きつき設立を見たものである。それはこれまで二交替勤務にある繊維企業にある女子労働者に高校卒業資格を与えることで、全国の中卒女子生徒を泉州に集め、繊維企業の生き残りをはかるものであった。
この企業側の作戦は図に当たり、それから40年した2006年3月に最後の卒業生7人を貝塚高校が送り出すまでに、1万有余の中卒女子生徒が、大阪府立の泉南高校、貝塚高校、和泉高校、鳳横山分校(後に横山高校)に併置された隔週定時制に沖縄から北海道に至る全国の中卒女子生徒が押しかけた。
 彼女らは3月末(後半は4月初旬)に出征兵士のごとく故郷を見送られ泉州に到着すると、二交替勤務に合わせ、先番と後番に分けられ、次いで寮の各部屋が割り振られ、先輩の部屋長の指導下に入る。そして先番の生徒は翌日には朝4時半にけたたましいサイレンに叩き起こされ、5時から45分の休憩を挟む8時間の立ち労働に刈り出され、湿気と綿ほこり舞う職場で慣れない仕事を先輩の指導を受けつつ汗びっしょりになって働く。ようやく13時45分に仕事を上がり、風呂で汗を流し遅い昼食を取ると、14時30分に会社を出て15時過ぎに始まる隔週定時制に通うのだ。そこから5限の授業を19時30分近くまで受け、8時近くに会社に戻り遅い夕食を取り、22時の消灯までに細々した仕事を済まし、就寝につく。
 後番の生徒は朝8時半までに朝食を済ますと。9時過ぎに始まる通信制3限の授業を11時30分近くまで週3日受けると,急いで会社に戻り、昼食を取ると先番と交替し、持ち場につきそれから45分の休憩を挟み8時間の立ち仕事に就く。そして22時30分に上がり、風呂で汗を流し24時の消灯までの残された時間に日常の仕事をこなし、ようやく床につく。
 これが泉州の繊維企業に就職し、隔週定時制に入学した中卒女子生徒の15歳の春を等しく襲う、それから4年止むことのなく吹き荒れるのだ。さらに恐ろしいのは先番と後番が一週間ごとに入れ替わることだ。それに順応しないと疲れているのに眠れず、睡眠不足で危ない現場に立つため、時に指を挟まれ、髪の毛が巻き込まれ死に至ることもある職場である。隔定卒業生徒が入学者の半数に近いのは、この過酷な日常に心身がついて行けずに脱落するからである。しかし、それにも関わらず、毎年、4年間皆勤の生徒があったことは驚かされる。
 しかし、これら勤労生徒を苦しめるのは、厳しい労働と時間ばかりではない。同輩、先輩との間で、また上司との間で、また登校した学校の級友との間で、悩ましい人間関係のもつれに悩まされる。それを嫌い町での気晴らしは、また思わぬ異性関係を生じ、彼女らをさらに追いつめる。
こうして万余の生徒それぞれの4年間に生じた事件は数知れず、それらとりどりのハードルを乗り越え、生徒一人一人の卒業があった。
 彼女らの傍らを昭和・平成の「昭和元禄」や「バブル経済」が通り過ぎる中で、地方出身の中卒女子生徒が全身汗まみれになって働き、卒業して行った。これはその泉州の繊維企業の語られることのなかった織姫たちの学校物語が、ここにある。

『織姫たちの学校』 の目次
はじめに
1 隔週定時制高校の四〇年
2 昭和・平成の織姫物語
 序 /高塀の向こう側 /織姫の一日 /織姫の父/織姫の母/ 織姫の支え/無償の善意/織姫殺人事件/官星多発の織姫/失業する織姫/家庭訪問/出産する織姫/出産する織姫/末期癌の織姫/組合教員の傲り/心を病む織姫/駆け落ちする織姫/技能員と織姫/校長と日の丸/「あかんたれ」の経営感覚/リストカットする織姫/汚れた教師
解説――十五の春にのしかかるものーーー藤野光太郎
あとがき

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