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[縄文時代の食生活] 食生活について語ろう

2019年10月10日 | 美容ダイエット
🧔・縄文時代の食生活Dietary life of the Jomon period じょうもんじだいのしょくせいかつ
   日本の食物史の始まりとして語られることの多い縄文時代の食生活について調べてみました。主に狩猟(しゅりょう)中心の生活であったのではと推測しています。人類最古の土器はアフリカのケニアで発見した約八千年前のものと考えられていましたが、昭和30年代以降、愛媛県や福井県で発掘する縄目土器は放射性炭素の分析により、一万四千年以上も前に作られたことがわかっています。
縄文時代(紀元前1万6000年~紀元前200年頃まで)は、発掘する新石器時代の人骨より血液酸性度が低く、好んで食べられていたのは、動物では肉より内蔵、髄で食塩の無かった時代で有機塩の形での補給が可能で他のミネラルも摂取できます。骨格の発達が良好でカルシュウムの補給状況もよくビタミン、ミネラルバランスがよかったのではと推測しています。
主食、副食の別なく雑食といったほうが適切かもしれません。焼き石などの発見から火を用いた調理法であったようです。自然災害、不測の事故、衛生的環境の悪さが短命の原因と思われています。実際遺跡から出る骨を調べると焼けているものはほとんどなく、また、骨は意図的に打ち砕かれたようになっています。それは骨髄を取るために割ったと考えられます。
おそらく生のままか茹でて食べたのでしょうが、生のまま食べたとしても骨には肉片や軟骨などが残りますから、それを有効に利用するために、茹でて食べた可能性があります。また、骨髄は塩分、ビタミン・タンパク質脂肪に富んでいますし、調味料の代わりにもなり、その汁にドングリで作った団子を入れたりしていたと思われます。
 
 当時の食生活を解明する手がかりとなる食糧としていた後のゴミの集積場としていたと思われる貝塚より貝殻、魚の骨、動物の骨を発見しています。「貝塚」に捨てられていたものは貝殻だけではなく、食事後の動物や魚の骨の他にも土器の破片、灰、化石化した木の実やクッキーのような練り物など貝塚から発掘しています。
貝塚では、貝殻の炭酸カルシウム成分のために日本列島のような酸性土壌であっても貝殻由来の炭酸カルシウムのアルカリ性で中和して、土壌が有機物由来の考古遺物を保護する作用により人骨や鳥獣魚骨、骨角器などが比較的良好な保存状態で出土することが多いのです。
縄文時代の貝塚は、日本列島ではおよそ2500個所発見しており、その4分の1近くが東京湾の東沿岸一帯に見られます。特に千葉県下に集中し、特に千葉市内は分布密度が高く、世界最大の貝塚密集地帯です。このほか貝塚が集中して分布している地域としては、太平洋沿岸の大きな内湾であり干潟がよく発達した仙台湾や大阪湾などです。
1877年(明治10年)に、アメリカの動物学者エドワード・S・モースによって大森貝塚は、日本の考古学の発祥地として知られます。縄文時代は狩猟が中心の生活でしたが、すでに船を作って海上に出ていました。釣りやモリ突きのルーツは縄文時代にあります。猟犬として犬は狩猟にも使われ縄文時代から人間のパートナーとしての存在でした。
新しい見解として東京都北区上中里中里貝塚は集落からはなれた浜辺で、その周辺の人々が協業して貝加工を行った結果残された巨大な貝塚であり、自給自足以外に4500年前の縄文時代中期にあって内陸の他の集落へ供給することを目的とした牡蠣、ハマグリの貝の加工処理があったことを各種の遺構・遺物によって具体的に伝える重要な遺跡としています。もしカキを養殖していたとすれば、これまで古代ローマ(BC5)に始まったといわれていたカキ養殖の歴史が大幅に遡(さかのぼ)ることになります。このことから、2000年(平成12年)9月6日、国の史跡に指定しています。
 
現在も食料とされ知られいるものを中心に一覧にしてみました。
アカガイ、アコヤガイ、カキ、イガイ、シャコガイ、マテガイ、サザエ、タニシ、あさり、はまぐり、フジツボ、しじみ、にし、あわび、オオノガイ、エビ、カニ、藻類、
いのしし、しか、さる、イヌ、たぬき、うさぎ、くま、ぶた、うま、ナガス鯨、いるか、鳩、マカモ、キジ、カラス、トビ、ヒキガエル、カメ、スッポン、シマヘビ、カブトムシ、コイ、ウグイ、フナ、ウナギ、ナマズ、ボラ、ニシン、タラ、スズキ、メバル、サバ、ブリ、ヒラメ、ホッケ、カサゴ、サメ、いか、たこ、うに、まぐろ、鰹、いわし、鯛、ふぐ、
、カヤ、シイ、ミズナラ、モモ、アケビ、トチノミ、タラノキ、タケ、クルミ、マメ、ウリ、ひょうたん、里芋、自然芋(じねんしょ)、あわ、ひえ、ソバ、十字花植物、きのこ類、球根類、コケ類
調味に山椒、レイシ、キサゴ、ミツ、アマヅラなどです。
泥炭(でいたん)層より発見したもので、他に新芽、果実、樹皮、根なども食用としていたことを予測しています。果実酒が壷型、口の小さい土器が見られることから発酵食品として作られたと見られています。 当時の調理方法は「焼く」よりも「煮る」が多かったといわれています。
縄文土器には、当時のさまざまな情報が土器に残されています。そして、2007年に電子顕微鏡で金属など電子線に不透明な固体の表面構造を観察するための一方法で縄文土器の「レプリカ法」で出土、解析から、縄文時代の後・晩期の3600年前に長崎県大野原(おおのばる)、熊本県三万田(みまんだ)、山梨県北杜(ほくと)市酒呑場(さけのみば)遺跡で、主にタイズのへその部分の発見ですがダイズを栽培していたことがわかってきました。
根拠としては、(1)野生種ツルマメに比べサイズが大きい、(2)高い頻度で発見している、ということが挙げられます。さらに土器の痕跡から穀物を食べるコクゾウムシを見つけており、縄文時代後期中ごろには稲と大豆がわが国に入ってきたのではないかと推測しています。
青森の三内丸山(さんないまるやま)遺跡は、平成4年(1992年)からの発掘調査によって縄文時代中期(約5900年前~4200年前)を中心に1500年もの間、居住者100名を超える集落が存在していた痕跡を発掘しています。用途に応じた土地区画が行われ、数多くの大型堀立柱建物群が整然とした配置がみられました。従来の太古な縄文時代のイメージを根底から覆(くつがえ)しています。2000年に国の特別史跡に指定を受けました。黒曜石などさまざまな資材が遠方から移入していたと思われます。DNA鑑定により、豆、ヒョウタン、ゴボウ、主にクリを積極的に栽培していたことが明らかになっています。
縄文時代の集落では、一般に住居の周辺にクリやウルシ、水辺ではトチノキの林を管理し、これは人の手が入った二次的自然であり、現代の里山に通じる存在です。さらに各種の栽培作物を発見しています。縄文時代早期(10000~6000年前)にはヒョウタン、アズキ、アサ等があり、時代が下るとエゴマ、ウリ等が加わります。これらは日本に自生しないことから、栽培していたと考えられます。 
後晩期(4000~2300年前)ではイネ、オオムギ、ソバ等が知られイネは陸稲の熱帯ジャポニカ種で、オオムギ等とのセットで焼畑栽培が行われたと推測しています。                                         
 
縄文時代の生活は今までの単なる狩猟生活であったとの見解の見直しがはかられています。定住、栽培の拠点として、DNA鑑定などの進化により、生活様式が明確化してきました。三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」は、世界遺産登録を目指しています。    
 
 
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