元プロレスラー、ラッシャー木村が亡くなった。
ニュースによれば
【元プロレスラーで2003年からプロレスリング・ノア
の終身名誉選手会長に就任していたラッシャー木村さん
(68)が24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去した。
ノアの公式サイトで発表した。】サンスポ(2010.5.24 18:06)より
国際プロレス。
若きエースになるはずだったグレート草津がルー・テーズに敗れた事に
より、スタートから苦難の道を歩む事になった国際プロレス。
覆面太郎でデビューしたストロング小林がやっとエースに成長し、これ
からって時に、新日本プロレスに引き抜かれた。
突然のエース不在の国際プロレスを救ったのがラッシャー木村。
他の団体にはない目玉興行だった「金網デスマッチ」。
メインでこのデスマッチを行い「金網デスマッチの鬼」と言われた。
馬場の全日本プロレス(日本テレビ)、猪木の新日本プロレス(テレビ
朝日)を相手に国際プロレスも検討したが、1981年8月に活動を停止
した。
そして9月、アンドレ・ザ・ジャイアンント対スタン・ハンセン戦、
猪木対タイガー戸口戦が行われた新日本プロレスの、今では伝説と
言われる田園コロシアムでの試合。
そのリングに上がった木村の一言が後に語り継がれる
「こんばんは、ラッシャー木村です」
(映像を見ると「こんばんは。10月8日~」って聞こえます。
YTRusher )
新日本のリングではアニマル浜口、寺西勇と共に「はぐれ国際軍団」
として猪木の敵として戦った。
かつての国際プロレスのエース、ストロング小林とアントニオ猪木
の戦いにプロレスファンが熱狂した。
それは力道山対木村政彦以来の日本人同士の対決。
しかも団体のエース同士の対決。
小林の後、国際プロレスのエースとして団体を背負ってきたラッシャー
木村に与えられた仕事は3人で猪木と戦う事。
しかしそんな仕事に文句も言わず、黙々とこなしていたという。
それは後に新間氏だったか、ファイトの編集長だったI氏だったかの言葉。
レスラー人生の後半は馬場のリング、全日本プロレスに参戦。
ここで木村のプロレス人生は新たなマイクパフォーマンスのレスラーとして
花開く。
ラッシャー木村の試合は知らなくても、このマイクパフォーマンスを知って
いる人は多いのではないか。
サンスポラッシャー木村さん、誤嚥性肺炎で死去2010.5.24 18:06
日刊スポーツ愛された悪役、ラッシャー木村さん死去2010年5月25日9時26分
YTラッシャー木村物語-2
まだ少年時代、プロレス雑誌「ゴング」などを読んでいた頃…
ラッシャー木村が海外修業から帰国してプロレスマスコミに必殺技を公開
する、という記事だったと思うが、そこで披露されたのが
「回転足4の字固め」
という技だった。
対峙する相手の左足に自分の左足を引っかけ、前方に回転する。
お互い左足を絡めたままマットに倒れこむ形になる。
そこで相手の右足に自分の右足をフックして4の字固めにする技、だったと
思う。
言葉にするとよくわからないよね。
白黒のグラビアページに掲載された連続写真。
なんかその技がとっても凄い必殺技に見えてね、期待していた。
でもその技を試合で見た記憶がない。
ラッシャーっていうリングネームもその頃一般から公募して決まった
のように思う。
「ラッシュする力、ラッシング・パワーからラッシャーという
リングネームになった」って説明だったかなぁ~
プロレスは「興行」だが、あの肉体に刻まれた傷はフェイクで
ない。
ブッチャー程ではないかもしれないが、あの額に刻まれた傷は
まぎれもなく本物。
黒のロングタイツでメインイベンターになったのは力道山以来か。
ラッシャー木村。
人の良さ、性格の良さが災いしたのか、プロレスラーとしては
超一流にはなれなかった。
国際ではエースとして金網デスマッチを行い、新日では猪木の敵
、ヒールとして活躍したが、レスラー人生後半のリング、全日本
プロレス。
ジャイアント馬場のいたリング。
多くのファンから愛され、ある意味、一番楽しいプロレスをやって
いたのではないだろうか。
そういえば、前田日明をエースとした新団体「UWF」の最初の
メンバーでもあったんだよね、ラッシャー木村は。
ご冥福をお祈りいたします。
ニュースによれば
【元プロレスラーで2003年からプロレスリング・ノア
の終身名誉選手会長に就任していたラッシャー木村さん
(68)が24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去した。
ノアの公式サイトで発表した。】サンスポ(2010.5.24 18:06)より
国際プロレス。
若きエースになるはずだったグレート草津がルー・テーズに敗れた事に
より、スタートから苦難の道を歩む事になった国際プロレス。
覆面太郎でデビューしたストロング小林がやっとエースに成長し、これ
からって時に、新日本プロレスに引き抜かれた。
突然のエース不在の国際プロレスを救ったのがラッシャー木村。
他の団体にはない目玉興行だった「金網デスマッチ」。
メインでこのデスマッチを行い「金網デスマッチの鬼」と言われた。
馬場の全日本プロレス(日本テレビ)、猪木の新日本プロレス(テレビ
朝日)を相手に国際プロレスも検討したが、1981年8月に活動を停止
した。
そして9月、アンドレ・ザ・ジャイアンント対スタン・ハンセン戦、
猪木対タイガー戸口戦が行われた新日本プロレスの、今では伝説と
言われる田園コロシアムでの試合。
そのリングに上がった木村の一言が後に語り継がれる
「こんばんは、ラッシャー木村です」
(映像を見ると「こんばんは。10月8日~」って聞こえます。
YTRusher )
新日本のリングではアニマル浜口、寺西勇と共に「はぐれ国際軍団」
として猪木の敵として戦った。
かつての国際プロレスのエース、ストロング小林とアントニオ猪木
の戦いにプロレスファンが熱狂した。
それは力道山対木村政彦以来の日本人同士の対決。
しかも団体のエース同士の対決。
小林の後、国際プロレスのエースとして団体を背負ってきたラッシャー
木村に与えられた仕事は3人で猪木と戦う事。
しかしそんな仕事に文句も言わず、黙々とこなしていたという。
それは後に新間氏だったか、ファイトの編集長だったI氏だったかの言葉。
レスラー人生の後半は馬場のリング、全日本プロレスに参戦。
ここで木村のプロレス人生は新たなマイクパフォーマンスのレスラーとして
花開く。
ラッシャー木村の試合は知らなくても、このマイクパフォーマンスを知って
いる人は多いのではないか。
サンスポラッシャー木村さん、誤嚥性肺炎で死去2010.5.24 18:06
日刊スポーツ愛された悪役、ラッシャー木村さん死去2010年5月25日9時26分
YTラッシャー木村物語-2
まだ少年時代、プロレス雑誌「ゴング」などを読んでいた頃…
ラッシャー木村が海外修業から帰国してプロレスマスコミに必殺技を公開
する、という記事だったと思うが、そこで披露されたのが
「回転足4の字固め」
という技だった。
対峙する相手の左足に自分の左足を引っかけ、前方に回転する。
お互い左足を絡めたままマットに倒れこむ形になる。
そこで相手の右足に自分の右足をフックして4の字固めにする技、だったと
思う。
言葉にするとよくわからないよね。
白黒のグラビアページに掲載された連続写真。
なんかその技がとっても凄い必殺技に見えてね、期待していた。
でもその技を試合で見た記憶がない。
ラッシャーっていうリングネームもその頃一般から公募して決まった
のように思う。
「ラッシュする力、ラッシング・パワーからラッシャーという
リングネームになった」って説明だったかなぁ~
プロレスは「興行」だが、あの肉体に刻まれた傷はフェイクで
ない。
ブッチャー程ではないかもしれないが、あの額に刻まれた傷は
まぎれもなく本物。
黒のロングタイツでメインイベンターになったのは力道山以来か。
ラッシャー木村。
人の良さ、性格の良さが災いしたのか、プロレスラーとしては
超一流にはなれなかった。
国際ではエースとして金網デスマッチを行い、新日では猪木の敵
、ヒールとして活躍したが、レスラー人生後半のリング、全日本
プロレス。
ジャイアント馬場のいたリング。
多くのファンから愛され、ある意味、一番楽しいプロレスをやって
いたのではないだろうか。
そういえば、前田日明をエースとした新団体「UWF」の最初の
メンバーでもあったんだよね、ラッシャー木村は。
ご冥福をお祈りいたします。
ジャンボ鶴田も早く亡くなったし・・
プロレスラーは早く亡くなる人が多いような気もするな。お相撲さんと同じように体重を無理に増やすことで、かなり負担がかかるのかもね。
心よりご冥福をお祈りします・・
「ダー」をやってる猪木(67歳)は
元気だものね。
>プロレスラーは早く亡くなる人が多いような気もするな。
永年に渡って肉体を酷使する仕事だか
ら、どうしも色々な所に「無理」があ
ったんだろうね。
改めてご冥福をお祈りいたします。