今日のテレビは、こぞって20年前のJALの事故について語っている。
確かに20年というのは、大きな節目になるのかもしれないが、ある人の「遺族にとって、20年も21年も19年も変わるものではない」という言葉に同感した。
しかしまた、あらためて報道されることによって、「安全への信念」が風化しないように、みんなに啓蒙していくことは大切なことだろう。
私にとって、JALの事故は身につまされるものがあるので、かえって多くを語るわけにはいかないが、今後教訓として生かしていくためにも、交通機関そしてそれ以外においても安全については、心していかなければならないだろう。
最近、学校や職場でどうも気になるのが、「厳しさ」の欠如である。
先輩や上司、教師、父親、みんなみんな優しくなった。
軍隊のような厳しさへの反動なのかもしれないが、あまり人に対して事細かにしからない。
厳しすぎることは、問題だけれど、優しすぎるのも問題のように思う。
昔の先輩は、ものすごく怖かった。でもその分とても優しかった。
私も相当しかられて、機内のトイレでよく泣いていたけれど、それは、しかられたから泣いたのでない。自分がなぜできないのだろうと情けなくなって泣いていた。でもその分、目標ができて、それができるようになったとき、めちゃくちゃうれしかった。
言われることには、真実があったから、ありがたいと思うことがあっても、いじめられているなんて、微塵も感じなかった。
もしかすると、最近ではそれをいじめと取ったり、反発したりするのかもしれない。
愛情や信念がない厳しさだとしたら、もちろんそれには、反発があっても仕方がないと思う。最近は、そういう教師や先輩が多いのかもしれない。
ただし、たとえば安全という絶対必要なものに対しては、甘えやなあなあということなしに、厳しさが必要だと思う。
今は、定時性や経済性優先が事故の原因のように言われていて、表面的にはそれも確かだけれど、それに対して、誰も意義をとなえないということに、もっと問題があるのではのだろうか?
こういうことをいうと、うるさいと思われるだろうな、嫌われたくないしなという気持ちが、徐々にゆるみを生み出すのではないだろうか?そうすると間違った方向へどんどんと進んでいってしまう。
こういうときには、男性性,父性が世の中には必要だ。最近、母性と女性性が勝ってしまっているような気がする。
ああ、今日は、涙が出てとまらない・・・・
それぞれの人の尊い人生、家族の愛、死への恐怖
もう一度、「生きて死ぬ智恵」でも読み返そうかなあ・・。私たちも宇宙もみな粒子・・・
主人のいとこ(大学生)があの飛行機に乗っていました。私は、その家でお葬式の準備など、何日も手伝いをしましたが、立場上板ばさみの状態で非常に苦しかったのを覚えています。
また今日、エンジントラブルの報道があり、「いったいどうなってるの~!!」と叫びたくなります。
変革するのって時間がかかるとはいっても、これは緊急事態です。早く~!アクションを!
先生が共感した言葉を発したのは
前群馬県上野村村長だったと思います。
私も思わず深く頷いてしまいました。
そして遺族の
「思い出すのはつらい。でも忘れられて風化されるのはもっとつらい。」という言葉が
忘れられません。
大事な人やものを失う「喪失感」の重みを
感じえずにはいられませんでした。
「もしも私が遺族の立場だったら、、、、」と
想像してみても、、想像しきれませんね。
事故当時私は中学生でした。
JALに勤めていた父が蒼い顔をして
ニュース番組を見つめていました。
我が家には緊張感が張り詰めていました。
それからのJALを非難する報道の様を見て、
まるで自分の親の悪口を言われているような
気分になったものです。
(子どもの心理でしょうか)
父性の欠如、そうですね。
今は強い人、リーダーシップを発揮する人が少ないですね。
責任を引き受けるのを逃げているような、、。
いろいろ感じるものがあり、
何だかつらつらと書いてしまいました。