羽生結弦を「絶対王者」と表現するメディアの感性がイヤ。
ずっとそう思っていて前にも書いたことがあるような気がするが、昨日のニュースで練習に現れた羽生結弦を、相も変わらずそう形容していたから気になった。
「絶対」が好きなメディアは「徹底」も好き。
「徹底討論」とか「徹底追求」とか・・・。
これで本当に「徹底」したものをボクはついぞ知らない。
この世に「絶対」や「徹底」なるものが存在するかどうかは知らないが、それを軽々に使う鈍感さがイヤ。
「完璧な文章は存在しない。完璧な絶望が存在しないように」
まあそんな言葉もあるが、やはり「完全なるもの」に対する疑問を持つのが表現するものの弁えだろう。
こうした表現は「抜けるような青空」とか「バケツをひっくり返したような雨」とか、いわゆる常套句と同じで、こんな原稿を書いたら普通は笑われる。
ジャーナリストならとても恥ずかしくて使えない。
それが安易に氾濫しているから恐ろしい。
「なにげに」とか「まぎゃく」とかをアナウンサーが普通に使う時代だから仕方ないのかも知れないが耳障りでしかたがない。
もちろんこれはボクの極めて個人的な管見であって、「絶対」真理では決してない。