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気まぐれロンリー 人生リボーン!

旅好き酒好きオヤジのロンリーライフ。
風に吹かれて何処をさすらう。
明日はいずこの草枕。

惜別演出

2021-03-26 11:02:32 | 日記

日テレ「ZIP」「スッキリ」

TBS「グッとラック」

フジテレビ「とくダネ」

MCが代わったり、番組が終了したり改編期は慌ただしい。

 

朝はTBSの「あさチャン」を見て、そのまま「グッとラック」をちょっと見て、テレ朝の「モーニングショー」にチャンネルを合わせる。

じっくりテレビと対峙しているわけでもないが、つけていないと寂しいから一応つけている感じ。

 

日テレにチャンネルを合わせるのは最後の最後。

ZIP」も「スッキリ」もどうも好きになれない。

「スッキリ」の内輪同士の大袈裟なウケ合いが大嫌い。

森とかいう局アナは何であんなにオーバーなのか。

白ける。

 

「スッキリ」も「とくダネ」もMC交代や番組終了に向けての惜別演出が過剰で気恥ずかしくなる。

番組もMCも終わるべくして終わり、代わるべくして代わるだけで、過剰に惜しむのはいかがなものか。

打ち上げで労い合えば良いことで、視聴者を巻き込もうという押し付けがましさには浅ましささえ感じる。

 

もちろん最後の挨拶はあって良いのだが、過剰にやる必要はないということ。

中にはどういうわけか唐突に消え去るコメンテーターもいて、視聴者が置いてけぼりにされることもある。

この差が気色悪い。

 

去るもの日々に疎し。

すぐ忘れちゃうのにね。

 


桜前線

2021-03-24 16:59:57 | 日記

桜前線は北上中。

でありながら徳島の開花宣言はまだ。

前にも書いたが、いわゆる標本木の設定の問題。

徳島地方気象台は数年前に標本木を老木から若木に変更した。

「安定した観測ができる」と豪語していたが、若木故に身持ちが硬い。

桜の開花地図は徳島だけ空白で残したまま北陸へと北上中。

意味がわからない。

これは設定にセンスがないということ。

 

広島は標本木を変えた結果、今年は日本で一番早い開花となってニュースとなった。

別に一番にならなくても良いが、もうあちこちで桜が咲き始めていると言うのに、全国的には未だ開花していない事になっていることの居心地の悪さ。

 

これを気にしないのは鈍感すぎる。

 

開花宣言を合図に花見の予定を立てようとすると、下手をすれば満開を狙ったつもりが手遅れという事にもなりかねない。

これは罪深い。

 

山はもう淡いピンク色がもこもこと自己主張を始めている。

頑なに標本木にこだわる愚かさ。

まあ役所らしいと言えばそれまでだが。

全くナンセンス。

 

因みに今日ボクは四国霊場八番札所熊谷寺へチェリーハンティング🌸

ソメイヨシノはまだ三分咲きだが、枝垂れ桜はほぼ満開。

キレイだった。

近くの宮川内ダムの桜も四分、五分咲き辺りか。

   

 

桜前線の足並みを乱れさせる徳島地方気象台の宣言などどこ吹く風。

桜は勝手に咲いている。


便利と不便

2021-03-22 14:02:10 | 日記

CDコンポが2台ある。

どちらも時々、音飛びする。

買い替えを検討しようと電器屋に行ってみた。

 

品数が少ない。

入荷未定というものもいくつかある。

 

店員に聞いてみた。

CDとレコードを聴きたいのだと。

レコードを聴くためにはプレイヤーを繋ぐための外部入力端子、AUX端子がいる。

今の時代、スマホなどからBluetoothで繋いで聴くのが主流。

ケーブルを繋ぐ発想がない。

CDすら聴かないのだから。

だから少ない。

 

だがオジサンとしてはCDもレコードも聴きたいのだ。

 

品数が少ない理由はもう一つ。

コロナだ。

コンポの製造を外国に頼っているための弊害。

忌々しい。

 

便利は不便の裏返し。

便利なんだか不便なんだか・・・。


燃ゆる女の肖像

2021-03-14 18:02:58 | 日記

自転車で新町に映画を見に行った。

西新町と東新町の間の道路が歩行者天国となりイベントが行われていた。

知らなかったからいつに無い賑わいに驚いた。

 

せっかくイベントをするならもっと告知すれば良いのに。

勿体無い。

 

「燃ゆる女の肖像」という映画。

客はボクを含めたった3人。

 

内容を知らずに見た。

前半は些か退屈🥱

そう思って見ていると、ボクの3列ほど前に座っていた方がいびきをかき始めた。

なんてこった。

 

映画は面白かった。

良い映画だと思った。

オルフェウスの神話が効果的に使われている。

音楽の伏線もあったようだが精通していないと分からない。

後で知って悔しく思った。

 

 

 


四つのお願い

2021-03-14 10:46:00 | 日記

日テレの番組でアイヌ民族に対する差別表現があったらしい。

ある芸人がアイヌ民族をテーマにしたドキュメンタリーを紹介する際に、謎かけでアイヌと「あ、犬」をかけた部分が差別にあたると指摘されたというのである。

 

「アイヌ」と「あ、犬」

つまりアイヌ民族を犬扱いしているのが差別だと言う指摘である。

そう言われたらそうかと思うが、アイヌ=犬が差別と言うことを日常的に意識している人は、北海道人ならいざ知らず、少ないと思う。

ボク自身全く意識していない。

 

ロシア人はオソロシヤというレベルの駄洒落と同じように思える。

 

昔、ちあきなおみの「四つのお願い」と言う歌が差別として問題視されたことを思い出した。

「四つ」が被差別に対する差別ということだが、当時、そんな相関関係は知らなかった。

逆に問題視されたことで知ったわけで、知らなくても良いことをわざわざ知らしめるのもどうかと思う。

 

差別用語として言葉狩りされ死語と化した言葉は沢山ある。

「めくら蛇におじず」「めくら撃ち」「片手落ち」などなど。

ゴダールの傑作「気狂いピエロ」も、わざわざ「きぐるい」と読ませたり。

 

差別か否かは「発する側の意識」が問題になるべきで、無意識な発言まで糾弾するのはいかがなものか。

だが昨今のハラスメントは発する側ではなく受け止める側の意識こそが決定打となっている。

これは諸刃の剣。

過剰なハラスメント狩りを招く危険がある。

過剰な言葉狩りが行われて来たように。

 

アイヌ民族を駄洒落で「あ、犬」と表現し、アイヌ民族が傷ついたなら、発した側は自らの不明を謝罪すべきだろうが、アイヌ民族の気持ちを勝手に代弁して正義感を振りかざすのは少し違うのではないか。

 

地球環境から見れば、人間は生きているだけで害悪という考えもある。

人は知らずに他者を傷つけたりもする。

悪意があるかないか。

せめてそれを基準にしなければ、誠実な人間は日々謝り続けなければならない。

 

人間はそんなに立派じゃない。