手を取ってくれなくても、
例え抱きしめられなくても、
それでも殺さないでほしいです。
人は簡単に死を迎える。
身体的な死は必ず訪れることは誰しもが知っているけれど、
本当の意味でも死というのは、
その人が誰からも思い出されなくなった時だと思っていて、
どんな形であれ、
物であれば喪失後は思い出されるものなのです。
物体として役割を果たせなくなり、
人で言う肉体的死を迎えたわけなんだが、
それでも資料となり、
人々の記憶となり残されていくから本来の意味での死を迎えることはない。
また、
たくさんの人が使用することで忘れられることが少ない。
人はどうだろうか。
簡単に忘れ去られてしまう。
3世代前の祖先の記憶なんてあるはずもなく、
また関わらない人の記憶も薄れていく。
また人を殺している。
とも言い切れず、
その人はまた別の場所で誰かと関わっているから誰かに覚えてもらっている。
誰かの心と頭の片隅に生存している。
僕が恐れている死は、
肉体の死ではなく、
誰からも思い出されることなく忘れ去られてしまうことだろう。
どんな形であれ誰かの一部になりたいと思って過ごしています。
忘れられないように、
また忘れないように、
死を恐れながら受け入れていくことで楽になれるんでしょう。
生きづらさや煩わしさは身が拒絶しているからなのかもしれない。
これについてはまた今度。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます