須賀敦子さんの本(11) コルシア書店の仲間たち Ⅰ

2006-01-29 10:59:39 | 須賀敦子さんの本
keikoさん、昨年暮れは仕事が忙しかったこともありご無沙汰してしまいました。
お怪我のほうは大分よくなられたのかと気にしております。 くれぐれもお大事になさってください。

手元にある須賀敦子さんの本について感想文を書いてきましたが、この「コルシア書店の仲間たち」が最後の一冊になりました。
須賀さんの本はコルシア書店から読み始めました、という人が多いと思うのですが、わたしもそのひとりです。
でも、本を買ったときのことは覚えていません。 これをきっかけにして須賀さんを次々に読んでいったのですから、強い印象があったはずなのに覚えていない。 惚れ込んだきっかけを思い出せないなんてちょっと情けないです。

須賀さんは二十代の半ば過ぎから15年をフランスとイタリアで過ごしました。
フランスからイタリアに流れてきた須賀さんは(というのが私の印象なんですが)、イタリアの気風にあっていたのでしょうね、ここにぴたっとはまりました。
ペッピーノと結婚したときには一生をここで過ごすつもりでいたのだと思いますが、夫の死によって
航路の変更を余儀なくされ、四十路に入ってすぐに帰国します。



須賀さんがエッセイを書き始めたのは還暦を過ぎてから。 
「コルシア書店の仲間たち」は、イタリアで30年前に出会った彼女のたいせつな人たちの肖像画集です。
肖像画に描かれているのは当時の、三十年前のそのままであるのに、画家はモデルの未来を知っていました。
モデルのほとんどは須賀さんよりも年上です。 六十路の須賀さんが描き始めたときには、すでに思い出の中だけで生きている人たちが多い。
読んでいるときには過去のできごとという感じはしないのですが、本から目を離して我にかえったときに、ああこれは(人ひとりにとっては遠い)昔のできごとなのだなぁとため息が出ました。

須賀さん自身も、自分の持ち時間がわずかであることには気づいていなかったと思います。
読者の私たちは、コルシア書店の仲間たちが須賀さんも含めて今は霧の向こうに去ってしまったことを知っている。
本の中に登場する人たちは活き活きと描かれ、賑やかに笑ったり怒ったり泣いたりしているのに、今はここにはいない。
このエッセイが評判が高いのは、読んでいるときの充実感と、書いている須賀さんとの一体感、人が生まれて、生きて、死ぬことがほんとうに自然なことだとわかるからではないでしょうか。

せつない気持ちになった、目頭が熱くなった。 解説の松山巌さんはそう書いていますが、よくわかります。 わたしも、この文章を書いているうちに胸が痛いような熱いような、少し泣いてもいいような気がしてきました。

うん、さっぱり本題に入っていないですね。 来週続きを書くことにいたします。
もうしばらくおつきあいください。

※写真は、コルシア書店だった 現・サンカルロ書店の入り口。 もう一枚はMilanoの街の夜景です。



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