keikoさん、いかがお過ごしでしょうか。
すっかり秋になってしまいました。
栗やお芋を素材にしたお菓子や菓子パンが出回っています。
万年ダイエット中の身だということはわかっていて、会社がある駅のコンビニエンスストアで、いいように理由をつけて新製品を買ってしまう私。
意志薄弱だなぁと。
さて。。。<ユルスナールの靴>です。
須賀敦子さんのあとがきには、2年半かかってこの本を書いたとありました。
わたしもずいぶんかかって、だいたい読み終わったところ、8月中はずっとこれを読んでいたかもしれません。
読み応えがありましたねぇ・・・
だいたい読み終わったと書きましたのには理由があります。
端から端まで読んだにもかかわらず、理解ができなかったところがあちこちにありましてね。 字づらだけを追っていて、頭の中に入ってこないの。
<ユルスナールの靴>はフランスの女流小説家であるマルグリッド・ユルスナールをテーマにしながら、須賀さんのいつもの手法で、彼女自身のユルスナールに対する思いや結婚前のヨーロッパ留学時代の思い出を書きつづったエッセイです。
『マルグリッド・ユルスナール Marguerite Yourcenar (1903 - 1987)
ベルギーのブリュッセルの名家の生まれ。
生後まもなく母を失い、主として父や家庭教師から教育を受けた。
早くから古代ギリシア・ローマの古典に親しみ、ジッドの影響を受けながら26歳から小説を書き始める。
該博な知識を基礎に、哲学的考察に富んだ歴史小説を残した。
1951年に「ハドリアヌス帝の回想」によりフェミナ賞を受賞、その後「黒の過程」により再度フェミナ賞を受賞し、作家としてゆるぎない地位を確立した。
女性で初のアカデミー・フランセーズ会員となった。』
エッセイの冒頭の部分「フランドルの海」で、須賀さんはユルスナールの幼い頃の写真を見たときの感想を書いていますが、その写真は見つかりませんでした。
代わりに見つけたのはこれ、たぶんこれに似た雰囲気だったのではないでしょうか。
ベルギーの旧家に生まれ、彼女が生まれると同時に母親が亡くなったため、父方の祖母に引き取られ、祖母は孫娘のマルグッリドを嫌って女中に育児を任せた。
父親は文学青年であり旅に明け暮れたエキセントリックな人だったようです。
裕福な家庭に育ちながらも、この父親が資産をすべて使ってしまったために、二十代半ばにしてマルグリッドは家をなくして、無一文(とはいっても我々よりは金持ちなんですけどね)になった。
彼女が世間に認められて小説家として大成するのはそれから25年もあとのこと。
父親に似て、風変わりだったマルグリッド・ユルスナール。
第二次世界大戦の直前に、当時付き合っていたグリース・フリックに誘われてアメリカに渡り、メイン州のマウント・デザート島で、彼女とふたりで暮らし、ヨーロッパに帰ることなくここで一生を過ごした。
須賀さんは、マルグリッド・ユルスナールの生涯につかず離れずという感じで筆を進めていました。 ユルスナールに夢中という感じでもなく、緩やかな愛情を寄せながらしっかりと批判もしている。
ようちゃんのエピソードは他のエッセイにもありました。
<遠い朝の本たち>ではしげちゃんとして登場していた女学校時代のお友だちです。
読書家で、学校を卒業した後は戒律が厳しいので有名な修道院に入って修道女となり、夭折しました。
keikoさん、ようちゃんとしげちゃんは同一人物なのでしょうか。
このような生き方をした女友達が、ふたりもいるとは思わないでしょう?
でもね、須賀さんの本の中ではずいぶんちがった風に書かれていて、正直とまどいました。
修道院に入ってからは一度も会うことなくようちゃんは二十代半ばで昇天し、しげちゃんとは一度だけ病気療養中の調布の修道院で面会しているのです。
須賀さんの夫が亡くなったあとだから三十代の後半といいうことになる。
須賀敦子さんはフィクションとノンフィクションの間の微妙なバランスで書いていたのではないでしょうか。
というか、そうなんですよね。
小説家としてデビューする直前に亡くなった須賀さんの、小説家としての片鱗が表れているのかもしれません。
ようちゃんのエピソードがどう展開するのかと思ったら、ようちゃんが女学生時代に薦めてくれたアンドレ・ジッドの<狭き門>に話題がずれていきました。
<狭き門>は(ようちゃんが修道女になることを決心した)当時のカソリックでは、読んではいけない本だったらしい。
私たちはジイドと呼んでいますけれど、須賀さんの時代はジッドだったらしいのよ。
<狭き門>という本は、ある世代の象徴的な恋愛小説だということには、実は気がついていました。
なーんていうとなんだか偉そうな物言いですが、<風の盆恋歌>を読んだときにへぇと思ったんです。
中年になって再会した主人公の男女が、<狭き門>をキーワードにしているんですね。
どうやら、戦後すぐくらいに大学生だった世代には重要な物語のようです。
須賀さんはようちゃんから薦められて読んだ<狭き門>は息苦しくて好きじゃなかったけれども、心には引っかかっていたと書いています。
「精神が知性による判断の錬磨でありその持続であることに私は気づいていなかった。
(中略) 『狭き門』の強靱さは、そんな、持続である精神性に支えられているのではないか。 そう考えてみると私がもともとフランスに求めていたものが、カテドラルたちの精神性にあるような気もした。 そしてアリサの思考は、やはりひとつの透徹した精神性かもしれないのだった。」
う~ん、難しい。(苦笑)
森有正の<バビロンの流れのほとりにて>みたいだわ。
どこでユルナールに繋がるのでしょうか、だらだらと書いて申し訳ありません。
ユルスナールが26歳の時に出版された処女作、<アレクシス、あるいは虚しい戦いについて> 発売当時、この本がジッドの影響を受けていると評されたことかしらね。
実際にはジッドよりもリルケの影響を受けていると、晩年のユルスナールは語っているそうですが。
もちろん、わたしには全然わかりません。
<狭き門>も<マルテの手記>も読んだことはあるけれど、すっかり怪しくなっています。
ああ、話が長くなってしまいました。あと一回か二回にわけて書いてもよろしいでしょうか。 ごめんなさいね、読まされる方はとんだ災難だと、あたしも密かに思っているんです。
では。。。