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高士傳二則(嚴遵、韓康)嚴遵(三国時代~西晉)皇甫謐

2021-11-25 11:37:16 | 日記
高士傳二則(嚴遵、韓康)嚴遵(三国時代~西晉)皇甫謐

嚴遵字君平,蜀人也。隱居不仕,常賣卜於成都市,日得百錢以自給。卜訖,則閉肆下簾,以著書為事。楊雄少從之遊,屢稱其德。李強為益州牧,喜曰:「吾得君平為從事,足矣!」雄曰:「君可備禮與相見,其人不可屈也。」王鳳請交,不許。蜀有富人羅沖者,問君平曰:「君何以不仕?」君平曰:「無以自發。」沖為君平具車馬衣糧,君平曰:「吾病耳,非不足也。我有餘而子不足,柰何以不足奉有餘?」沖曰:「吾有萬金,子無儋石,乃云有餘,不亦謬乎?」君平曰:「不然。吾前宿子家,人定而役未息,晝夜汲汲,未嘗有足。今我以卜為業,不下床而錢自至,猶餘數百,塵埃厚寸,不知所用,此非我有餘而子不足邪?」沖大慚。君平嘆曰:「益我貨者損我神,生我名者殺我身,故不仕也。」時人服之。

原文のあるサイト

原文、譯文(現代中国語訳)

自分なりに書き下し文を考えてみました。
(書き下し文)
嚴遵、字(あざな)君平、蜀の人なり。隱居して仕えず、常、成都市に於いて賣卜す。日に百錢得るを以て自ら給す。卜訖(おわ)り、則ち肆(し)を閉じ簾(れん)を下ろし、書を著(あらわ)すを以て事と為す。楊雄少(しばらく)之に從いて遊び、屢(しばしば)其の德を稱(たた)う。李強益州牧に為り、喜びて曰、「吾君平を得、從いて事を為す、足るや!」雄曰、「君禮を備え與(とも)に相(あい)見(まみ)えるべし、其の人屈すべからざるなり。」王鳳交(まじわり)を請うも、許さず。蜀、富む人に羅沖という者あり、君平に問うて曰、「君なんぞ以て仕えず?」君平曰、「自ら以て發(ひら)くなし。」沖、君平が為に車馬衣糧を具(そな)う。君平曰、「吾病むのみ、足らずにあらざるなり。我に餘(あまり)あり、而して子(し)足らず、いかんせん足らずを以て餘(あまり)あるに奉る?」沖曰、「吾萬金あり、子(し)儋石(たんせき)なし、乃ち云う餘(あまり)ありと、また謬(たが)わずや?」君平曰、「然らず。吾前(さきに)子(し)の家に宿る、人定まり、役未だ息(いこ)わず、晝(昼)夜汲汲とし、未だ嘗て足るにあらず。今我卜以て業と為し、床に下りず、錢自ずから至り、猶(なお)餘(あまり)數百、塵埃(じんあい)厚さ寸、用うる所知らず、これ我餘(あまり)あり、子(し)足らずや?」沖大いに慚(は)づ。君平嘆いて曰、「我(わが)貨を益(ま)す者は我(わが)神(しん)を損(そこな)い、我(わが)名を生かす者は我(わが)身を殺す、故に仕えず。」時人(じじん)これに服す。

現代日本語訳を考えてみました。
(拙訳)
嚴遵、字(あざな)は君平、蜀の人である。隱居して仕えないで、いつも、成都の街で占いをして職業とし、1日に百錢を得て自給していた。占いが終わると閉店し簾を下ろし、書物を書くのを日課にしていた。楊雄しばらく君平に従って遊び、たびたびその徳を称えた。李強が益州の地方長官になり、喜んで言った「私は君平を得て従って仕事をする。充分じゃないか!」雄が言った「君は礼節をわきまえ、互いに会見しないと、その人は屈しないだろう。」王鳳は付き合いを願ったが、許さなかった。」蜀に羅沖という金持ちがいて、君平に尋ねて言うには「君はどうして仕えないのか?」君平は言った「自分からあらわになることはない。」沖は君平のために車と馬、衣服、食料を準備した。君平は言った「私は病んでいるだけだ。足らないのではない。私には余りがあり、あなたは足らない。どうして足らない人が余りのある人に捧げるのか?」沖は言った「私には多くの金があり、あなたは二石もない、なんとまあ、余りがあると言う、それもまた食い違わないか?」君平は言った「そうではありません。私は先頃あなたの家に泊まりましたが、人が落ち着いても、仕事に携わる人はまだ休むことなく、昼夜忙しくしていました。まだ足りてはいません。今、私は占いを業としており、腰掛けに腰を下ろせば、錢が自ずから来ます。やはり余りは数百、塵埃(この世の汚れ、つまりお金)は厚さ一寸で用いる所がありません。これは、私に余りがあって、あなたが足りないのではないですか?」沖はたいへん恥じかしく思った。君平はため息をついて言った「自分のお金を増やす者は自分の精神を傷め、自分の名前を生かす者は自分の身を殺す。だから仕えないのだ。」その時代の人々はこれに畏れ入った。



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