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不入虎穴不得虎子

2022-06-22 18:15:34 | 日記
「後漢書」列傳 第四十 班梁列傳 班超傳(南朝宋)范曄

『不入虎穴不得虎子』

班超字仲升,扶風平陵人,徐令彪之少子也。為人有大志,不修細節。然內孝謹,居家常執勤苦,不恥勞辱。有口辯,而涉獵書傳。永平五年,兄固被召詣校書郎,超與母隨至洛陽。家貧,常為官傭書以供養。久勞苦,嘗輟業投筆歎曰:「大丈夫無它志略,猶當效傅介子、張騫立功異域,以取封侯,安能久事筆研閒乎?」左右皆笑之。超曰:「小子安知壯士志哉!」其後行詣相者,曰:「祭酒,布衣諸生耳,而當封侯萬里之外。」超問其狀。相者指曰:「生燕頷虎頸,飛而食肉,此萬里侯相也。」久之,顯宗問固「卿弟安在」,固對「為官寫書,受直以養老母」。帝乃除超為蘭臺令史,後坐事免官。
十六年,奉車都尉竇固出擊匈奴,以超為假司馬,將兵別擊伊吾,戰於蒲類海,多斬首虜而還。固以為能,遣與從事郭恂俱使西域。
超到鄯善,鄯善王廣奉超禮敬甚備,後忽更疏懈。超謂其官屬曰:「寧覺廣禮意薄乎?此必有北虜使來,狐疑未知所從故也。明者睹未萌,況已著邪。」乃召侍胡詐之曰:「匈奴使來數日,今安在乎?」侍胡惶恐,具服其狀。超乃閉侍胡,悉會其吏士三十六人,與共飲,酒酣,因激怒之曰:「卿曹與我俱在絕域,欲立大功,以求富貴。今虜使到裁數日,而王廣禮敬即廢;如令鄯善收吾屬送匈奴,骸骨長為豺狼食矣。為之柰何?」官屬皆曰:「今在危亡之地,死生從司馬。」超曰:「不入虎穴,不得虎子。當今之計,獨有因夜以火攻虜,使彼不知我多少,必大震怖,可殄盡也。滅此虜,則鄯善破膽,功成事立矣。」眾曰:「當與從事議之。」超怒曰:「吉凶決於今日。從事文俗吏,聞此必恐而謀泄,死無所名,非壯士也!」眾曰:「善」。初夜,遂將吏士往奔虜營。會天大風,超令十人持鼓藏虜舍後,約曰:「見火然,皆當鳴鼓大呼。」餘人悉持兵弩夾門而伏。超乃順風縱火,前後鼓噪。虜眾驚亂,超手格殺三人,吏兵斬其使及從士三十餘級,餘眾百許人悉燒死。明日乃還告郭恂,恂大驚,既而色動。超知其意,舉手曰:「掾雖不行,班超何心獨擅之乎?」恂乃悅。超於是召鄯善王廣,以虜使首示之,一國震怖。超曉告撫慰,遂納子為質。還奏於竇固,固大喜,具上超功效,并求更選使使西域。帝壯超節,詔固曰:「吏如班超,何故不遣而更選乎?今以超為軍司馬,令遂前功。」超復受使,固欲益其兵,超曰:「願將本所從三十餘人足矣。如有不虞,多益為累。」

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〈書き下し文〉
 班超(はんちよう)、字(あざな)は仲升(ちゆうしよう)、扶風平陵の人、徐の令彪(ひよう)の少(すえ)の子なり。人と為(な)り志有って細節を修めず。然れども内は孝謹にして、家に居りて常に勤苦を執り、労辱を恥とせず。口弁有って而も書伝を渉猟(しようりよう)す。永平五年、兄の固(こ)召されて校書郎に詣亜(いた)るや、超は母と与(とも)に随いて洛陽に至る。家貧しく、常に官の為に傭書して以て供養し、久しく労苦す。嘗つて業を輟(や)め筆を投じて歎じて曰わく、「大丈夫他の志略無きも、猶お当(まさ)に傳介子(ふかいし)、張騫(ちようけん)に效(なら)いて功を異域に立て、以て封侯を 取るべし。
安(いずく)んぞ能く久しく筆研(ひつけん)の間に事(つと)めん乎(や)」。左右皆な之を笑う。超曰わく、「小子安んぞ壮士の志を知らん哉(や)」。其の後、行きて相者に詣(いた)るに、曰わく、「祭酒は布衣の諸生なる耳(のみ)。而れども当(まさ)に侯に万里の外に封ぜられるべし」。超、其の状を問う。相者指さして曰わく、「生は燕の頷(あご)に虎の頸(くび)、飛びて肉を食らわん。此れ万里侯の相なり」。之を久しくして顕宗は固(こ)に問う、「卿(そち)の弟は安くにか在流」。固対(こた)うらく、「官の為に書を写し、直(あたい)を受けて以て老母を養う」。
帝乃ち超を除して蘭台令史と成す。後に事に坐して官を免ぜらる。
 十六年、奉車都尉竇固(とうこ)の匈奴(きようど)に出撃するや、超を以て仮司馬とす。兵を将(ひき)いて別に伊吾(いご)を撃ち、蒲類(ほるい)海に戦い、多く斬首(ざんしゆ)慮(りよ)して還る。固は以て能(のう)と為し、遣わして従事の郭恂(かくじゆん)と倶(とも)に西域に使せしむ。
 超、鄯善(ぜんぜん)に到るや、鄯善王の広(こう)は超を奉じて礼敬甚だ備わりたるも、後に忽ち更(あらた)めて疏懈(そかい)なり。超、其の官属に謂いて曰わく、「寧(すなわ)ち広の礼意の薄きを覚(さと)れる乎(や)。
此れ必ず北虜の使の来ること有って、狐疑(こぎ)して未だ従う所を知らざるが故なり。明者は未だ萌(きざ)さざるに睹(み)る。況(いわ)んや已に著(あき)らかなるを邪(や)」。乃ち侍胡を召して之を詐(たばか)って曰わく、「匈奴の使来って数日なり。今安(いず)こに在る乎(や)」。侍胡惶(お)じ恐れ、具(つぶ)さに其の状を服す。超乃ち侍胡を閉じこめ、悉(ことごと)く其の吏士三十六人を会(あつ)めて与(とも)に共に飲み、酒酣(たけなわ)にして、因って之を激怒せしめて曰わく、「卿(そち)の曹(やから)は我と倶(とも)に絶域に在って、大功を立てて以て富貴を求めんと欲す。今、虜の使到ること裁(わず)かに数日にして、而して王の広(こう)の礼節即ち廃る。
如(も)し鄯善(ぜんぜん)をして吾が属(ともがら)を収(とら)えて匈奴(きようど)に送らしめなば、骸骨は長(とこし)えに豺狼(さいろう)の食(えじき)と為らん。之を為すこと奈何(いかん)せん」。官属皆な曰わく、「今、危亡の地に在り。死生、司馬に従わん」。超曰わく、「虎穴に入らずんば虎子を得ず。当今の計(はかりごと)、独り夜に因って火を以て虜を攻ムルこと有るのみ。彼をして我の多少を知らざらしむれば、必ず大いに震え怖れ、殄(ほろ)ぼし尽くす可きなり。此の虜を滅ぼさば、則ち鄯善は肝(きも)を破り、攻成り事立たん」。
衆曰わく、「当(まさ)に従事と之を議すべし」。超怒りて曰わく、「吉凶は今日に決す。従事は文俗の吏なれば、此れを聞きて必ず恐れて謀(はかりごと)泄(も)れん。死して名とせらるる所無きは、壮士に非ざるなり」。衆曰わく、「善し」。初夜に遂に吏士を将(ひき)いて往きて虜の営に奔(はし)る。会(たまた)ま天大いに風ふく。超、十人をして鼓(つづみ)を持ちて虜舎の後に蔵(ひそ)ましめ、約して曰わく、「火の然(も)ゆるを見れば、皆な当(まさ)に鼓を鳴らして大いに呼(さけ)ぶべし」。余人悉(ことごと)く弓弩(きゆうど)を持ち、門を夾(さしはさ)みて伏す。超乃ち風に順(したが)いて火を縦(はな)ち、前後鼓噪(こそう)す。虜衆驚き乱れ、超手ずから三人を格殺し、吏兵は其の使及び従士を斬ること三十余級、余衆百人許(ばか)りは悉(ことごと)く焼死す。明日
乃ち還りて郭恂に告ぐ。恂大いに驚き、既にして色動く。超、其の意を知り、手を挙げて曰わく、「椽は行かずと雖も、班超何の心あってか独り之を擅(もっぱ)らにせん乎(や)」。恂乃ち悦ぶ。超是(ここ)に於いて鄯善王の広を召し、虜の使の首を以て之に示したれば、一国震え怖る。超、暁(さと)し告げて撫慰し、遂に子を納(い)れて質と為す。帰って竇固(とうこ)に奏するや、固大いによろこび、具(つぶ)さに超の功效を上(たてまつ)り、幷(あわ)せて更(あらた)めて使を選んで西域に使いせしめんことを求む。帝は超の節を壮とし、固に詔して曰わく、「吏の班超の如き、何の故にか遣わさずして更めて選ばんとする乎(や)。
今、超を以て軍司馬と為し、前の功を遂げしめよ」。超復(ま)た使を受く。固は其の兵を益さんと欲せしも、超曰わく、「願わくは本(も)と従えし所の三十余人を将(ひき)いれば足れり。如(も)し不虞(ふぐ)有らば、多く益すこと累(わずら)いと為らん」。


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