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「潛書」上『勸學篇』(清)唐甄

2021-11-26 17:50:13 | 日記
「潛書」上『勸學篇』(清)唐甄

翰林顏學山(光斅)試士浙江、唐士爲之客。顔公語坐人曰、“人之生、皆不自足者也。庶人有庶人之憂、士有士之憂、公卿有公卿之憂、天子有天子之憂、此 謂天之勞我以生也。“唐子 曰、“有一事可以無憂、人不知求之耳、學聖人之道是也。不求足於世、孰有與之以不足者。本無不足於己、孰有處於不足者。坦坦然、蕩蕩然、遊於天地之閒、如在唐虞之世、其有憂乎、其無憂乎。“顏公改容曰、“子之言誠是也。”

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自分なりに書き下し文を考えてみました。
(書き下し文)
翰林學山(光斅)試士浙江、唐士これの客に為る。顔公坐する人に語りて曰(いわく)、“人の生、皆自ずと足らざる者なり。庶人に庶人の憂い有り、士に士の憂い有り、公卿に公卿の憂い有り、天子に天子の憂い有り、これおもへらく天の生を以て我を勞(ねぎら)うなり。“唐子 曰(いわく)、“一事有るを以て憂い無かるべし、人之を求めるを知らざるのみ、聖人を學ぶの道これなり。世に足るを求めず、孰(たれ)か之以て足らざる者あり。本(もと)己に足らざるなし、孰(たれ)か足らざるに處(お)る者あり。坦坦然、蕩蕩然として、天地之閒(間)に遊び、唐虞の世に在るが如し、其(それ)憂い有るか、其(それ)憂い無しか。“顏公容(かたち)を改めて曰(いわく)、“子の言誠(まこと)に是(ぜ)なり。”

現代日本語訳を考えてみました。
(拙訳)
翰林學山(光斅)試士浙江、唐士がこの人の客になった。顔公が坐っている人に語って言った、“人の暮らしは皆自ずと足らないものである。庶民には庶民の憂いがあって、下級の役人には下級の役人の憂いがあって、高位高官の人には高位高官の人の憂いがあって、天子には天子の憂いがある。これは考えるに、天が私の生きる苦労を慰めてくれるのであろうか。“唐子が言った、“一事があれば憂いは無いであろう。人が之を求めるのを知らないだけで、聖人について學ぶ道はこれである。世間に足るを求めなければ、だれかこれで足らない者がいるだろうか。本来、己に足らないものはない、だれか足らない所にとどまる者がいるだろうか。安らかで、ゆったりと心が落ち着いて、天地の閒(間)に遊び、唐虞(太古の聖人といわれた二帝。唐は尭帝、虞は舜帝)の世にいるようで、それで憂いは有るのか、それで憂いは無いのか(無い)。“顏公は顔つきを改めて言った“あなたの言うことは本当に正しいです。”

高士傳二則(嚴遵、韓康)嚴遵(三国時代~西晉)皇甫謐

2021-11-25 11:37:16 | 日記
高士傳二則(嚴遵、韓康)嚴遵(三国時代~西晉)皇甫謐

嚴遵字君平,蜀人也。隱居不仕,常賣卜於成都市,日得百錢以自給。卜訖,則閉肆下簾,以著書為事。楊雄少從之遊,屢稱其德。李強為益州牧,喜曰:「吾得君平為從事,足矣!」雄曰:「君可備禮與相見,其人不可屈也。」王鳳請交,不許。蜀有富人羅沖者,問君平曰:「君何以不仕?」君平曰:「無以自發。」沖為君平具車馬衣糧,君平曰:「吾病耳,非不足也。我有餘而子不足,柰何以不足奉有餘?」沖曰:「吾有萬金,子無儋石,乃云有餘,不亦謬乎?」君平曰:「不然。吾前宿子家,人定而役未息,晝夜汲汲,未嘗有足。今我以卜為業,不下床而錢自至,猶餘數百,塵埃厚寸,不知所用,此非我有餘而子不足邪?」沖大慚。君平嘆曰:「益我貨者損我神,生我名者殺我身,故不仕也。」時人服之。

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原文、譯文(現代中国語訳)

自分なりに書き下し文を考えてみました。
(書き下し文)
嚴遵、字(あざな)君平、蜀の人なり。隱居して仕えず、常、成都市に於いて賣卜す。日に百錢得るを以て自ら給す。卜訖(おわ)り、則ち肆(し)を閉じ簾(れん)を下ろし、書を著(あらわ)すを以て事と為す。楊雄少(しばらく)之に從いて遊び、屢(しばしば)其の德を稱(たた)う。李強益州牧に為り、喜びて曰、「吾君平を得、從いて事を為す、足るや!」雄曰、「君禮を備え與(とも)に相(あい)見(まみ)えるべし、其の人屈すべからざるなり。」王鳳交(まじわり)を請うも、許さず。蜀、富む人に羅沖という者あり、君平に問うて曰、「君なんぞ以て仕えず?」君平曰、「自ら以て發(ひら)くなし。」沖、君平が為に車馬衣糧を具(そな)う。君平曰、「吾病むのみ、足らずにあらざるなり。我に餘(あまり)あり、而して子(し)足らず、いかんせん足らずを以て餘(あまり)あるに奉る?」沖曰、「吾萬金あり、子(し)儋石(たんせき)なし、乃ち云う餘(あまり)ありと、また謬(たが)わずや?」君平曰、「然らず。吾前(さきに)子(し)の家に宿る、人定まり、役未だ息(いこ)わず、晝(昼)夜汲汲とし、未だ嘗て足るにあらず。今我卜以て業と為し、床に下りず、錢自ずから至り、猶(なお)餘(あまり)數百、塵埃(じんあい)厚さ寸、用うる所知らず、これ我餘(あまり)あり、子(し)足らずや?」沖大いに慚(は)づ。君平嘆いて曰、「我(わが)貨を益(ま)す者は我(わが)神(しん)を損(そこな)い、我(わが)名を生かす者は我(わが)身を殺す、故に仕えず。」時人(じじん)これに服す。

現代日本語訳を考えてみました。
(拙訳)
嚴遵、字(あざな)は君平、蜀の人である。隱居して仕えないで、いつも、成都の街で占いをして職業とし、1日に百錢を得て自給していた。占いが終わると閉店し簾を下ろし、書物を書くのを日課にしていた。楊雄しばらく君平に従って遊び、たびたびその徳を称えた。李強が益州の地方長官になり、喜んで言った「私は君平を得て従って仕事をする。充分じゃないか!」雄が言った「君は礼節をわきまえ、互いに会見しないと、その人は屈しないだろう。」王鳳は付き合いを願ったが、許さなかった。」蜀に羅沖という金持ちがいて、君平に尋ねて言うには「君はどうして仕えないのか?」君平は言った「自分からあらわになることはない。」沖は君平のために車と馬、衣服、食料を準備した。君平は言った「私は病んでいるだけだ。足らないのではない。私には余りがあり、あなたは足らない。どうして足らない人が余りのある人に捧げるのか?」沖は言った「私には多くの金があり、あなたは二石もない、なんとまあ、余りがあると言う、それもまた食い違わないか?」君平は言った「そうではありません。私は先頃あなたの家に泊まりましたが、人が落ち着いても、仕事に携わる人はまだ休むことなく、昼夜忙しくしていました。まだ足りてはいません。今、私は占いを業としており、腰掛けに腰を下ろせば、錢が自ずから来ます。やはり余りは数百、塵埃(この世の汚れ、つまりお金)は厚さ一寸で用いる所がありません。これは、私に余りがあって、あなたが足りないのではないですか?」沖はたいへん恥じかしく思った。君平はため息をついて言った「自分のお金を増やす者は自分の精神を傷め、自分の名前を生かす者は自分の身を殺す。だから仕えないのだ。」その時代の人々はこれに畏れ入った。



玉泉子 (書き下し文と現代語訳を考えてみました)

2021-11-23 18:30:00 | 日記
玉泉子

杜羔,字中立,少年時贍於財產,它無所求。其所與遊者,徒利於酒肉,其實蔑視之也。一日,同送迎於城外逆旅,客有善相者,歷觀諸賓侶,獨指中立曰:「此子異日當為將矣。」一座大笑。中立後尚真源公主,竟為滄州節度使。初,李琢之出鎮,旗竿道折,乃钁殺其執旗者。中立在道亦然,杖之二十,琢竟無患,而中立卒焉。豈煞之可以應其禍哉?

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自分なりに書き下し文を考えてみました。
(書き下し文)
杜羔、字(あざな)中立、年わかき時、財産に贍(た)り、他に求むる所なし。そのともに遊ぶ所の者、いたずらに酒肉に於いて利する。その實、これを視て蔑むなり。一日、城外の逆旅に送迎を同じうす。客に善くみる者あり。もろもろの賓侶の曆を観る。ひとり中立を指して曰、「この子、異日まさに将になるべきや。」一座、大いに笑う。中立、後に真源公主(唐の文宗の娘)を尚(めと)る。競いて滄州節度使になる。はじめ、李琢これ出鎮す。旗竿みちすがら折れる。乃ちその旗を執る者を钁(かく)殺す。中立、道に在りて亦(えき)然として、これ二十杖(う)つ。琢ついに患(うれえ)なく、中立卒(おわ)る。豈に煞(さつ)これ以て、その禍に應ふべきかな。

現代日本語訳を考えてみました。
(拙訳)
杜羔、字(あざな)は中立、若い時、財産で充分に豊かだった。他に求めることはなかった。一緒に遊ぶ者は無駄に酒と肴にあずかって、その実、杜羔を視て蔑んでいた。ある日、城市の外の旅館で送り迎えを共にした。客の中に上手に占う者がいて、いろいろな客や友達の暦を観て占った。ひとり中立を指して言うには、「この人は後日、大将になります」と。同席していた人全員が大笑いした。中立は後に真源公主(文宗の娘)を娶った。競って滄州節度使になった。初め、李琢が鎮めに出た。旗竿が途中で折れた。そこで旗を手に持っていた者を钁(農具の一種、大型のくわ)で殺すことになった。中立は道で大きくこれを二十回鞭打った。琢は、とうとう災いがなく、中立は死んだ。いったいどうして、これを殺すことで、災いに報いなければいけないのだろうかな。

潛研堂文集 五 兩馬

2021-11-21 18:01:08 | 日記
潛研堂文集 五 兩馬

主人有兩馬一赭白一青其齒相若調良又相若也試之行而校其里數則赭白者日贏一十主人才之被以黃金鞍錦障泥異檀而飲之出入射獵必以從青馬惟默水芻而已閱一年而赭白死欲乘青馬鞭之不前乃舍勿乘重一十年叔於種下主人曰是凡馬也而霸於赭白意者造物忌才乎將修短有定命乎其夜青馬見夢於士人曰予以吾真不如赭白邪吾與彼皆凡馬也力之所不及吾能安焉黃金鞍錦障泥於吾柯盆吾故不官窮極其力以殉之彼強其力以求勝故不久而傷其天年然自主人乘赭白驚而蹙者歲齋一一而吾未嘗一日貽主入憂予奈何優彼而劣吾主人覺以告廬史廟吏曰是非知命者彼知生之可樂而不知榮之可印以直一匕彥責一樂也以凡焉而冒神峻之名而享共利赭白之所得視彼多矣若夫驚而蹙主人受其咎而未嘗以咎馬則赭白亦智矣哉

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現代日本語訳を考えてみました。
(拙訳)
主人は2頭の馬を飼っていた。1つは赤土色、1つは青色。その歯はともに若くよく調っていて、互いに若い。ある日、試しに行かせて、その道のりを比べると、赤土色は日に十里余り行った。主人は能力あるこれに黄金の鞍と錦の(馬の脇腹に垂れたあぶみの)泥よけを被せた。檀(まゆみ)を異にし、これに飲ませ、猟に出入りするときは必ず従えた。青い馬はもっぱら黙って水と馬草を食んで、自分の時間を過ごす一年だった。そして赤土色が死んだので、青色に乗ろうと鞭打ったが、進まないで止まる。重ねて十年、乗ることがなかった。末に主人が広めて言うには、青が平凡な馬で、赤土色より長命だったのは、天の神が才能ある者を嫌うためだろうか、はたまた、短く修める定まった寿命があるのかな。その夜、青い馬は夢を見た。夢の中で、学徳を積んだ立派な人が青い馬に言った。自分は本当に赤土色に及ばないのか?自分も赤土色どちらも普通の馬である。力の赤土色に及ばない所は、自分が、なぜか黄金の鞍と錦の泥よけに比し、木の枝の台だったことだ。自分は故に、その力を窮めに極め、命を捨ててまで主人に従う役を司らなかった。赤土色は強いその力で勝ちを求めた故に長生きしないで敗れた。その定まった寿命には、そうして主人が赤土色に乗ったことで驚いた。きゅうきゅうとちぢこまった者は寿命が一年一年縮まる。しかし、自分は未だ嘗て、自分がどのように赤土色より優れようかと主人を心配したりして送った日は、一日もない。そして劣った自分に主人は気付き、家と廟の使用人に告げて言うには、短命を知る者では、生きるその生涯を楽しめないだろう。また、誉れを知らなければ、誉れのため仕事を司る印を持てないだろう。ただ、一男女は1つの楽しみを求めるのである。普通の馬でありながら、素晴らしい優れた馬の名を冒すと、赤土色の馬は、見ることができる所の共通の利を享受すること多いだろう。もし、それで、驚き、こせこせするなら、主人はその咎を受け、未だ嘗て、馬つまり赤土色の馬を咎めて、また智恵があったということはないなあ。