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ドラえもん「はじめての将棋」を読んで

2023-08-30 23:20:59 | 日記

正直なところ、ブログを拝見しても、今までは藤井聡太君がどうのとか、まるで興味がありませんでした。
ところが、ドラえもんの漫画を一通り読むと、やっと藤井聡太君の対局を見てみたいと私も思うようになりました。

あの伝習録の王陽明も中国将棋が大好きで、お母さんに中国将棋を川に捨てられたとき、詩を書いたそうです。


这场比赛赢得不容易。 今度の試合は大変な苦戦の末に勝ちました。

2023-03-21 12:21:01 | 日記
WBC2023準決勝
日本対メキシコ

这场比赛赢得不容易。
今度の試合は大変な苦戦の末に勝ちました。


アメリカと決勝へ






グランドピアノでこっそり(呟き)

2023-02-25 11:20:31 | 日記
街角にある誰でもピアノで、こっそり冬ソナのMy Memoryを弾いてみた。
しかし、残念ながら、まだデビューできる状態ではなかった。

何十回も電子ピアノで練習したけど、もっともっと努力が要るんだな😩

ちなみに、ヤマハのミニ楽譜シリーズ
昔は500円だったけど、今は1,320円になっているようだ。



夢溪筆談  卷十七 書畫(宋)沈括 (現代中国語訳から日本語にしてみました)

2022-08-05 17:38:00 | 日記
夢溪筆談 卷十七 書畫(宋)沈括

畫牛、虎皆畫毛,惟馬不畫。余嘗以問畫工,工言:「馬毛細,不可畫。」餘難之曰:「鼠毛更細,何故卻畫?」工不能對。大凡畫馬,其大不過盈尺,此乃以大為小,所以毛細而不可畫;鼠乃如其大,自當畫毛。然牛、虎亦是以大為小,理亦不應見毛,但牛、虎深毛,馬淺毛,理須有別。故名輩為小牛、小虎,雖畫毛,但略拂拭而已。若務詳密,翻成冗長;約略拂拭,自有神觀,迥然生動,難可與俗人論也。若畫馬如牛、虎之大者,理當畫毛,蓋見小馬無毛,遂亦不,此庸人襲跡,非可與論理也。

原文のあるサイト

譯文(現代中国語訳)

現代中国語訳から日本語にしてみました。
(拙訳)
人々は牛と虎を描くのに皆、毛を描く。馬を描くときだけ毛を描かない。私はかつて絵かきに、この一つの問題について尋ねた。絵かきは言った「馬の毛は細いから描かない」私は難癖をつけて言った「鼠の毛はもっと細いのに、逆に何故描くの?」絵かきは答えられなかった。普通、馬を描くとき、大きさは一尺にすぎない。本物の馬に比べてずっと小さい。もし比例に従って縮小すれば、毛は細くて描けない。鼠を描くときは実物の大きさとほぼ同じで、当然、毛を描くべきである。しかし、牛と虎も大きいのは小さくなるように描くので、理屈から言っても毛を描くべきではない。しかし、牛、虎の毛は深く、馬の毛は浅い。理屈から言うと区別すべきだ。名画家は小さな牛、小さな虎を描くのだから、毛を描くけれども大まかに数筆だけ塗るにすぎない。もしも細密周到に描かないといけないなら、かえって乱れてまとまりがなく、煩わしいように見える。簡単に数筆で塗ると、かえって精神がふきこまれ、よりいっそう生き生きとする。しかしながら、この理屈は絵の理がわからないような人と論じに行くのはとても難しい。もし馬を描くのと同様に、大きな牛、大きな虎を描くなら、当然、毛を描かないといけない。大概、小さな馬は毛がないように見えるから、毛を描かない。これは、凡庸な人が、古い足跡を踏襲して名画家たちと理を論ずることができないのだ。

(日本語にしてみましたが、自分でもまだ意味不明です)

不入虎穴不得虎子

2022-06-22 18:15:34 | 日記
「後漢書」列傳 第四十 班梁列傳 班超傳(南朝宋)范曄

『不入虎穴不得虎子』

班超字仲升,扶風平陵人,徐令彪之少子也。為人有大志,不修細節。然內孝謹,居家常執勤苦,不恥勞辱。有口辯,而涉獵書傳。永平五年,兄固被召詣校書郎,超與母隨至洛陽。家貧,常為官傭書以供養。久勞苦,嘗輟業投筆歎曰:「大丈夫無它志略,猶當效傅介子、張騫立功異域,以取封侯,安能久事筆研閒乎?」左右皆笑之。超曰:「小子安知壯士志哉!」其後行詣相者,曰:「祭酒,布衣諸生耳,而當封侯萬里之外。」超問其狀。相者指曰:「生燕頷虎頸,飛而食肉,此萬里侯相也。」久之,顯宗問固「卿弟安在」,固對「為官寫書,受直以養老母」。帝乃除超為蘭臺令史,後坐事免官。
十六年,奉車都尉竇固出擊匈奴,以超為假司馬,將兵別擊伊吾,戰於蒲類海,多斬首虜而還。固以為能,遣與從事郭恂俱使西域。
超到鄯善,鄯善王廣奉超禮敬甚備,後忽更疏懈。超謂其官屬曰:「寧覺廣禮意薄乎?此必有北虜使來,狐疑未知所從故也。明者睹未萌,況已著邪。」乃召侍胡詐之曰:「匈奴使來數日,今安在乎?」侍胡惶恐,具服其狀。超乃閉侍胡,悉會其吏士三十六人,與共飲,酒酣,因激怒之曰:「卿曹與我俱在絕域,欲立大功,以求富貴。今虜使到裁數日,而王廣禮敬即廢;如令鄯善收吾屬送匈奴,骸骨長為豺狼食矣。為之柰何?」官屬皆曰:「今在危亡之地,死生從司馬。」超曰:「不入虎穴,不得虎子。當今之計,獨有因夜以火攻虜,使彼不知我多少,必大震怖,可殄盡也。滅此虜,則鄯善破膽,功成事立矣。」眾曰:「當與從事議之。」超怒曰:「吉凶決於今日。從事文俗吏,聞此必恐而謀泄,死無所名,非壯士也!」眾曰:「善」。初夜,遂將吏士往奔虜營。會天大風,超令十人持鼓藏虜舍後,約曰:「見火然,皆當鳴鼓大呼。」餘人悉持兵弩夾門而伏。超乃順風縱火,前後鼓噪。虜眾驚亂,超手格殺三人,吏兵斬其使及從士三十餘級,餘眾百許人悉燒死。明日乃還告郭恂,恂大驚,既而色動。超知其意,舉手曰:「掾雖不行,班超何心獨擅之乎?」恂乃悅。超於是召鄯善王廣,以虜使首示之,一國震怖。超曉告撫慰,遂納子為質。還奏於竇固,固大喜,具上超功效,并求更選使使西域。帝壯超節,詔固曰:「吏如班超,何故不遣而更選乎?今以超為軍司馬,令遂前功。」超復受使,固欲益其兵,超曰:「願將本所從三十餘人足矣。如有不虞,多益為累。」

原文のあるサイト

関連する中国語のサイト
https://kknews.cc/history/gjx8bry.html

班超 Wikipedia

関連するブログ 漢書の作者「班固」と「班超」兄弟について~虎穴に入らずんば虎子を得ず~

原文、書き下し文、漫画のあるブログ①

原文、書き下し文、漫画のあるブログ②

原文、書き下し文、漫画のあるブログ③

原文、書き下し文、漫画のあるブログ④

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原文、書き下し文、漫画のあるブログ⑧

〈書き下し文〉
 班超(はんちよう)、字(あざな)は仲升(ちゆうしよう)、扶風平陵の人、徐の令彪(ひよう)の少(すえ)の子なり。人と為(な)り志有って細節を修めず。然れども内は孝謹にして、家に居りて常に勤苦を執り、労辱を恥とせず。口弁有って而も書伝を渉猟(しようりよう)す。永平五年、兄の固(こ)召されて校書郎に詣亜(いた)るや、超は母と与(とも)に随いて洛陽に至る。家貧しく、常に官の為に傭書して以て供養し、久しく労苦す。嘗つて業を輟(や)め筆を投じて歎じて曰わく、「大丈夫他の志略無きも、猶お当(まさ)に傳介子(ふかいし)、張騫(ちようけん)に效(なら)いて功を異域に立て、以て封侯を 取るべし。
安(いずく)んぞ能く久しく筆研(ひつけん)の間に事(つと)めん乎(や)」。左右皆な之を笑う。超曰わく、「小子安んぞ壮士の志を知らん哉(や)」。其の後、行きて相者に詣(いた)るに、曰わく、「祭酒は布衣の諸生なる耳(のみ)。而れども当(まさ)に侯に万里の外に封ぜられるべし」。超、其の状を問う。相者指さして曰わく、「生は燕の頷(あご)に虎の頸(くび)、飛びて肉を食らわん。此れ万里侯の相なり」。之を久しくして顕宗は固(こ)に問う、「卿(そち)の弟は安くにか在流」。固対(こた)うらく、「官の為に書を写し、直(あたい)を受けて以て老母を養う」。
帝乃ち超を除して蘭台令史と成す。後に事に坐して官を免ぜらる。
 十六年、奉車都尉竇固(とうこ)の匈奴(きようど)に出撃するや、超を以て仮司馬とす。兵を将(ひき)いて別に伊吾(いご)を撃ち、蒲類(ほるい)海に戦い、多く斬首(ざんしゆ)慮(りよ)して還る。固は以て能(のう)と為し、遣わして従事の郭恂(かくじゆん)と倶(とも)に西域に使せしむ。
 超、鄯善(ぜんぜん)に到るや、鄯善王の広(こう)は超を奉じて礼敬甚だ備わりたるも、後に忽ち更(あらた)めて疏懈(そかい)なり。超、其の官属に謂いて曰わく、「寧(すなわ)ち広の礼意の薄きを覚(さと)れる乎(や)。
此れ必ず北虜の使の来ること有って、狐疑(こぎ)して未だ従う所を知らざるが故なり。明者は未だ萌(きざ)さざるに睹(み)る。況(いわ)んや已に著(あき)らかなるを邪(や)」。乃ち侍胡を召して之を詐(たばか)って曰わく、「匈奴の使来って数日なり。今安(いず)こに在る乎(や)」。侍胡惶(お)じ恐れ、具(つぶ)さに其の状を服す。超乃ち侍胡を閉じこめ、悉(ことごと)く其の吏士三十六人を会(あつ)めて与(とも)に共に飲み、酒酣(たけなわ)にして、因って之を激怒せしめて曰わく、「卿(そち)の曹(やから)は我と倶(とも)に絶域に在って、大功を立てて以て富貴を求めんと欲す。今、虜の使到ること裁(わず)かに数日にして、而して王の広(こう)の礼節即ち廃る。
如(も)し鄯善(ぜんぜん)をして吾が属(ともがら)を収(とら)えて匈奴(きようど)に送らしめなば、骸骨は長(とこし)えに豺狼(さいろう)の食(えじき)と為らん。之を為すこと奈何(いかん)せん」。官属皆な曰わく、「今、危亡の地に在り。死生、司馬に従わん」。超曰わく、「虎穴に入らずんば虎子を得ず。当今の計(はかりごと)、独り夜に因って火を以て虜を攻ムルこと有るのみ。彼をして我の多少を知らざらしむれば、必ず大いに震え怖れ、殄(ほろ)ぼし尽くす可きなり。此の虜を滅ぼさば、則ち鄯善は肝(きも)を破り、攻成り事立たん」。
衆曰わく、「当(まさ)に従事と之を議すべし」。超怒りて曰わく、「吉凶は今日に決す。従事は文俗の吏なれば、此れを聞きて必ず恐れて謀(はかりごと)泄(も)れん。死して名とせらるる所無きは、壮士に非ざるなり」。衆曰わく、「善し」。初夜に遂に吏士を将(ひき)いて往きて虜の営に奔(はし)る。会(たまた)ま天大いに風ふく。超、十人をして鼓(つづみ)を持ちて虜舎の後に蔵(ひそ)ましめ、約して曰わく、「火の然(も)ゆるを見れば、皆な当(まさ)に鼓を鳴らして大いに呼(さけ)ぶべし」。余人悉(ことごと)く弓弩(きゆうど)を持ち、門を夾(さしはさ)みて伏す。超乃ち風に順(したが)いて火を縦(はな)ち、前後鼓噪(こそう)す。虜衆驚き乱れ、超手ずから三人を格殺し、吏兵は其の使及び従士を斬ること三十余級、余衆百人許(ばか)りは悉(ことごと)く焼死す。明日
乃ち還りて郭恂に告ぐ。恂大いに驚き、既にして色動く。超、其の意を知り、手を挙げて曰わく、「椽は行かずと雖も、班超何の心あってか独り之を擅(もっぱ)らにせん乎(や)」。恂乃ち悦ぶ。超是(ここ)に於いて鄯善王の広を召し、虜の使の首を以て之に示したれば、一国震え怖る。超、暁(さと)し告げて撫慰し、遂に子を納(い)れて質と為す。帰って竇固(とうこ)に奏するや、固大いによろこび、具(つぶ)さに超の功效を上(たてまつ)り、幷(あわ)せて更(あらた)めて使を選んで西域に使いせしめんことを求む。帝は超の節を壮とし、固に詔して曰わく、「吏の班超の如き、何の故にか遣わさずして更めて選ばんとする乎(や)。
今、超を以て軍司馬と為し、前の功を遂げしめよ」。超復(ま)た使を受く。固は其の兵を益さんと欲せしも、超曰わく、「願わくは本(も)と従えし所の三十余人を将(ひき)いれば足れり。如(も)し不虞(ふぐ)有らば、多く益すこと累(わずら)いと為らん」。