
多客で2連運用となった列車です。3両しか配置がないのに増結運用をこなすと言う事は予備なし運用ということになり車齢の高さから、現場ではかなりの綱渡りの運用だったと思われます。 07,11,16 頸城大野―根知 429D Canon EOS-1v RVP100
来年3月のダイヤ改正でJR西日本・金沢支社のプレス資料の最後の項目に「大糸線の老朽化した気動車を新型気動車(キハ120)に置き換えます。」との一文がありました。この文章を見て、私は”来るべき日がいよいよ来た!”と思わずにはいられませんでした。そう、489系が定期運用から外れる同じダイヤ改正で大糸線のキハ52も引退する事になったのです。
大糸線用のキハ52は3両でかつては通称・越美北線色と呼ばれている塗装だったのが04年夏に115号が国鉄標準色。同年冬に156号が首都圏色(通称:タラコ)に、更に125号が国鉄気動車旧標準色に塗装変更され一躍脚光を浴びるようになり、私もご他分に漏れず絶好の被写体として大糸線に通うようになりました。
自宅から順調に走れば南小谷駅まで約4時間で到着します。ちょっときついですが、夜行日帰りが出来る範囲です。
塗装変更後はキハ52に魅せられて何度も足を運びました。しかし車両の老朽化は想像以上で、最近も車両故障によるバス代行があったばかりです。特に一番撮りたい115号が一番状態が悪いようで、午後から115号が運用に入ると糸魚川運転センターで確認し更に庫では搭載用品の積換まで確認しているので運用に入るのは間違いないと撮影地へ先回りしたらて、なんと来たのは青色の125号だったということもありました。それだけ状態の悪いキハ52ですが、私はすこし楽観視していました。と、言うのも北陸新幹線開業までは手付かずになるのではないかと思っていたからです。別に具体的な根拠と言う物はないのですが既に何回かキハ120やキハ40を借りてきて試運転はしたものの、軽すぎて空転を繰り返したり、1エンジンでパワーがなく降雪時に吹き溜まりからの脱出が困難な事が予想され投入には問題が山積していると現場の方から聞いたいたから安心していたのかもしれません。しかし、それらの抜本的解決を見ないままのキハ120の投入は予想以上に、キハ52の老朽化が深刻だと言うことだと思います。

↑かつては大阪より20系やDC181系等が”シュプール号”が多数運転されていましたが、その頃には見向きもしなかった大糸線ですが、キハ52の塗装変更には色めきたって、塗装変更直後の04年夏には直後の休日に現地に出向き、懐かしい国鉄色にたうっとりしたものでした。この色、この景色は私を充分過ぎるくらい興奮させてしまいました。04,08,08 頚城大野 424D Canon EOS1v RDPⅢ
↓大糸線で初めて撮る国鉄色にご機嫌な私です。(湘南チサ区様撮影・ご提供)04,08,08 頚城大野

大糸線と言えばキハ52と共に糸魚川運転センター(旧糸魚川機関区)レンガ庫の事が頭に浮かびます。かつては親不知越のD51が折り返し、我々の知る時代ではボイラーからデフへと伸びるステーが湾曲しツララ切をかねていたC56125号機がこのレンガ庫で休む姿を何度も写真で見たことがあり、その時代の証人みたいなレンガ庫が今も残っていたのも糸魚川の魅力のひとつでした。しかし訪れるたびに北陸新幹線の工事が進み、この夏に訪れた際には運転センターの敷地外まで北陸新幹線の工事が迫ってきていて、いつレンガ庫が取り壊されてもおかしくない状況でした。今回、キハ52の撤退とほぼ時を同じくしてレンガ庫の取り壊しも始まるようです。糸魚川から国鉄型気動車がなくなる日、北陸線や大糸線のカマの基地の象徴でもあったレンガ庫が消えていく事は何かの縁としか言いようがありません。

糸魚川運転センターのレンガ庫の前で休む115号と125号。この光景も二度と見られなくなります。 07,02,20 糸魚川運転センター Canon EOS1v RDPⅢ
塗装変更以降、非常に感動したのが現場となるJR西日本の糸魚川運転センターではインターネットで運用を告知して我々の撮影をバックアップしていただいた事です。いままでこのように長期にわたって運用の告知がなされた例は無く、通常業務の中でこのようなサービスを続けていただけたことは本当にありがたく十分活用が出来ました。本当に感謝に絶えません。

地元の子供会が平岩まで日帰りキャンプのために乗車。時ならぬ多客に車内の乗客も困惑の様子です。 05,08,07 根知 425D Canon EOS-1v DP-Ⅲ