
私の二十歳の誕生日にこの上ないプレゼントとなったのがドビーカンの空の元、大好きだったEF5853号機が14系12両を牽引してやって来事でした。この写真撮った時の感動は40年経過した今でも忘れられません。ところでこの撮影地はいまはどうなっているのでしょうか?足場は踏切でこの後ろに大手前女子短期大学がありました。今だったら踏切を渡る女子大生が気になって撮影どころではないかもしれません。当時もそうだったのだと思いますが、女子大生の事は全く記憶にありません。覚えているのはひっきりなしにやって来るEF58で興奮した事だけです。 78,04,04 芦屋 202レ EF5853号機
40年前の04月04日は私の二十歳の誕生日でした。休みを申し込んで広島でセノハチのEF59の魅力を堪能し大阪ではひっきりなしにやっているEF58牽引の夜行列車で興奮していました。たしか春休みはもう少しあったと記憶していますが母親からせっかくの二十歳のお祝いの日には自宅にいる様にと言われてこの日がこり撮影旅行の最終日でした。かなり曖昧な記憶になっていますが確かこの年の秋に廃止となる予定の寝台特急”安芸”に広島から乗って早朝の大阪に着いて、すぐに芦屋に戻って続々と上って来るEF58の列車を撮影したと思います。ネガを探してもこの夜は何も撮影していないので定かではありません。ここで撮影してから何故か西明石駅から新幹線に乗って帰宅しています。
この78,04,04は私の二十歳の誕生日以上にインパクトのある日でありました。それは当時、人気絶頂のキャンディーズの解散コンサートの日でもありました。このキャンディーズの解散は突然の出来事でした。前年の77年07月17日に日比谷野外音楽堂で行われた“サマージャック’77日比谷野音”で最後の曲を迎え、なかなかはじまらない演奏に、ファンがとまどいを感じ始めたとき、”みなさん、みなさん、あたし達、あたし達、みなさんに謝らなければならないことがあります”とはじまり彼女たちの声は、やがて「普通の女の子に戻りたい。」という名言とともに、その年の09月をもってキャンディーズを解散することを宣言されたのです。そして、最後の曲「さよならのないカーニバル」の演奏がはじまると3人は泣き崩れましたその姿は私たちの世代では伝説の出来事になっています。。
しかし突然ともいえる解散宣言は関係者も知らず寝耳に水そのものだったようです。当時、人気絶頂だったキャンディーズは”8時だヨ!全員集合”をはじめとしたレギュラー番組をもち、ラジオでもいくつかのレギュラーを持ち彼女の想いとは裏腹にすぐに辞めれる状況ではありませんでした。さらに毎月6回の劇場公演が翌年の02月まで予定されていたため、所属事務所やレコード会社などの説得もあって、後日、彼女たちの引退は半年後の78年の04月に延期され偶然にも私の二十歳の誕生日にあたる04月04日に後楽園ドームで解散コンサートが開催されることになり当時としては異例のNHKのお昼のニュースでそのコンサートの設営風景が放映されその違和感を西明石駅の待合室のテレビで見た記憶が鮮明に残っています。余談ながら私はミキちゃん派でした。ミキちゃは引退以降、一切マスコミに現れませんでしたがスーちゃんがせ亡くなた際の告別式にその姿を見る事が出来ましたが、彼女は普通の女の子になりその後は普通のおばさんになった様でした。